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潮風の日高三石海岸 人生100年の自転車旅

2015-09-30 00:26:47 | 自転車でコスモスの島へ

 

 海風を避けて、道路よりも低く建てられた民家の庭にコスモスが揺れています。

 

 

 

 海面に荒立つ波が海底の昆布を巻き上げ、日高昆布が育つ恵みの海であることを告げていました。

 

 

  

 南東へ向かう国道沿いに河岸段丘が続き、自転車の進行に抗う強さを増し始めた風が、交通安全の黄色い旗をはためかせていました。

 

 

 打ち寄せる波が、白い泡を立て始めました。

 

 

 磯で働く昆布取りが、波のリズムを計り、先端に鉤の付いた棒を操っていました。

 

 きっと、芳醇なミネラルを含んだ黒潮がこの磯にぶつかり、猛々しい波が海にオゾンを溶け込ませるのでしょう。

 

 荒々しい海であればこそ、豊かな恵みをもたらすのかもしれません。

 

 厳しい海で働く人々の慎ましやかな姿が、コンクリートとガラスに囲まれた都会に暮らす日々で忘れたものを、想い出させてくれる気がします。

 

 

 潮風荒く吹きつのる道で、生命力を感じさせるオオハンゴンソウの輝きが、風に逆らう力を与えてくれます。

 

 

 通り過ぎる家々の庭に、コスモスが揺れていました。

 

 容赦ない潮風の中で、花を絶やさぬ人々の暮らしに勇気づけられます。

 

 

 河岸段丘の大地の先、緑の牧草地の広がりの果てに、遥かに連なる日高山脈が望めました。

 

 

 三石海浜公園を越え、三石川を渡りました。

 

 

 河岸段丘に沿って小さなアップダウンが繰り返され、向かい風の中で緩慢なペダリングを続けました。

 

 向かい風の中であっても、苦しいとか、休みたいと思う気持ちとは無縁でした。

 

 空腹を感じたら、峠の頂きなどで、大福餅や一口羊羹で糖分を補給すれば、10分も休まずに脚力が回復しました。

 

 休憩後はギア2つ分も、脚力が回復したのが分かります。

 

 

 これから100歳まで、後35年ほど使うつもりの、足の筋肉に負担を掛けないよう心がけ、小さな上り坂も小まめにギア比を調節し続けたのが良かったのかもしれません。

 

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静内から のどかな自転車旅

2015-09-29 19:11:45 | 自転車でコスモスの島へ

 

 静内の街に戻り、国道235号を襟裳岬へ向かいました。

 

 この時は、青い空に浮かんだ白い雲が今日の天気を約束していると思い込んでいました。

 

 

 

 街外れで、静内川を渡りました。

 

 車の旅では意識しない、新たな地へと「川を渡る思い」が旅の記憶の中に積み重なってゆきます。

 

 

 

 なにも無い国道に白線が伸びて、太陽の光と成す角度が日時計のように見えていました。

 

 いつもは意識しない太陽の動きを感じながら、ゆったり長閑な自転車旅が続きます。

 

 

 ドライブではない、散歩でもない、自転車旅特有の時の移ろいの中で、絵のような空と海、風と雲のハーモニーを五感に刻みながら、全てのことから解放された、贅沢な想いに包まれていました。

 

 

 海岸線をなぞる道の遥かな先に、風の岬が潮騒の中に揺れていました。

 

 光りを遮る雲の下で、微睡む岬の姿はあまりにも遠く、自転車をこぎ進めることが、その場所に辿り着く作業とは無縁のことのように思えました。

 

 

 海中に突き出た岩礁の周囲は、昆布の森となっているようです。

 

 磯に接する海は、海底の黒い森を映すのか蒼さを増し、波の動きも遠慮がちに見えます。

 

 

 玉石が光る浜では、昆布干し作業に勤しむ人の姿がありました。

 

 

 振り返れば、数時間前に居たはずの大地が、雲の下に佇みます。

 

 私は本当にあの場所に居たのでしょうか?

 

 

 不思議な感覚を伴う、自転車の旅が続きました。

 

 

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コスモスは北海道に良く似合う

2015-09-29 11:06:47 | 自転車でコスモスの島へ

 

 二十軒道路桜並木でコスモスのフラワーラインを眺め、静内へ引き返すことにしました。

 

 旅はまだ始まったばかりです。

 

 坂を転がり下る自転車の、空に浮ぶ雲の先に、秋が顔を覗かせていました。

 

 

 坂下の民家の庭先でコスモスの花群れを見かけました。

 

 北海道の心地好い大気と広やかな大地、屈託ない人々の暮らしぶりを、爽やかなコスモスが象徴する気がします。

 

 あっけらかんと明るく、素直なコスモスの花は、ほんとうに北海道の景色に良く似合います。

 

 

 

 自転車をこぐ背に朝陽を浴びながら、静内の街へ向かうと、

 

 

 小川の岸にアカマツらしき木立を見かけました。

 

 本当にアカマツでしょうか?

 

 この辺にアカマツが育つかな?

 

 函館付近で松並木を見た記憶が蘇ります。

 

 今まで私は、渡島半島がアカマツやクロマツの北限と認識していました。

 

 興味を覚え、マツ林の方へハンドルを向けると、鳥居が見えました。

 

 鳥居の横に

 「皇祖神社由来 明治四年静内郡開拓の朝令を受けた稲田家臣団が淡路から移住した際、神武創業の古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、開拓の守護神として奉斎したものである」

 

 と記された掲示と、その横に「百年の赤松」という石碑が設けられていました。

 

 

 北海道にアカマツの自生はありません。

 

 どうやらこの杜のアカマツは、明治初期に淡路からの入植者達が持ち込んだようです。

 

 周囲に広がる稲穂とともに、人と植物の興味深い関係を再認識しました。

 

 

 そして、三年前にイギリスを旅した時、グラスゴー植物園に掲示されていたアンリ・ルソーの絵を思い出しました。

 

 その絵に付された

 

 「動物には植物が必要で、この絵から植物を取り去ることはできません」

 の解説文に記された「動物」を「人間」に置き換え、

 

 静内のコスモスやアカマツの存在から、

 

 「植物を必要」とするものに、精神的、心理的な意味が含まれることに気付かされました。

 

 

 

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自転車で訪ねた二十軒道路桜並木のコスモス

2015-09-28 13:28:26 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月10日 

 

 静内古川公園の東屋下でテントをたたみ、パンとジュースで朝食を済ませ、6時20分頃に出発の準備を整えました。

 

 

 今日はこれから、道内二か所の「さくら名所百選」の内の一つ、二十軒道路桜並木にコスモスを見に行きます。

 

 二十軒道路桜並木へは30年ほどの昔、桜の季節に札幌から車で訪ねましたが、静内から内陸へ10㎞ほどの場所だった記憶があります。

 

 静内の街を抜ける頃から、歩道の脇にコスモスが可憐な姿を見せてくれました。

 

 

 静内市街を抜けると直ぐに、輝く稲穂が見えました。

 

 数日前、茨城の大洗辺りで黄金色に輝く穂波を見てきましたが、こんなにも気候が異なる北海道で、時を同じくして稔りを迎える日本の稲作技術は、相当高度なのかもしれません。

 

 

 進みゆく道の先に、雲を纏った峰が見えてきました。

 

 多分、ペテガリ岳だと思います。

 

 学生の頃、冷たい雨に打たれながら、長い尾根道を歩き通したことがありました。

 

 日高山脈は、あの山もこの山も、懐かしい想い出に包まれています。

 

 

 静内の街を出てから30分ほどで、二十軒道路桜並木への分岐点に至りました。

 

 地図も持たず、記憶も定かではありませんが、日本の道路は標識がしっかりしているので、道に迷う心配は殆どありません。

 

 

 日高山脈を背に、サラブレッドの親子が牧草地の中で、見知らぬ小父さんの自転車を見送っていました。

 

 

 30m程の高さの河岸段丘に登って行きます。

 

 坂道の横で、白い花に縁どられたイタドリが枝を広げていました。

 

 

 坂を登りきるとその先に、二十軒道路の桜並木が続きます。

 

 その桜並木に寄り添いながら、薄紅色のコスモスが朝日の中に輝きました。

 

 

 コスモスのフラワーラインの先で、蒼く佇むのは日高山脈の秀峰カムイエクウチカウウシ山でしょうか。

 

 私はまだ、あの峰の頂きを踏むことができずにいます。

 

 

 

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秋の気配の国道235号 人生100年の自転車旅

2015-09-28 00:12:39 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月9日、今日からいよいよ、コスモスの島北海道でのサイクリングが始まります。

  

 20歳の時以来となる40数年ぶりの自転車旅行ですから、足腰の筋肉に注意を払いながら、慎重にペダルをこぎ始めました。

 

 苫小牧市内での買物などに手間取り、昼近くの出発となってしまいました。

 

 苫小牧市内の県道259号を北東に進み、

 

 

 

 沼ノ端でインターチェンジを右折して国道235号線に入り、進路を南東方向へ変えました。

 

 右手に自動車専用道路を見ながら、交通量の少ない道を進んで行きます。

 

 今回の旅で私は、決して自転車ではしらず、自転車で歩き通す旅にしようと考えていました。

 

 また、東京から大洗までの初日の経験から、体力的には1日100㎞前後の距離が無難と判断していました。

 

 

 進みゆく路肩にユウゼンギクが揺れていました。

 

 

 並んで咲くのはネバリノギクでしょう、赤紫色の花がなかなかに綺麗です。

 

 目にする野の花は、もうすっかり秋の気配に染まっていました。

 

 

 ゆったりペースで自転車を進め、苫小牧市エリアを抜け、隣の厚真(あつま)町に入ってきました。

 

 

 道路脇のヒマワリ畑に、一瞬の夏が蘇りますが、空を覆う雲と涼やかな大気が、すぐに初秋の気配を意識させます

 

 

 鵡川市街を抜けると、道は鵡川に掛かる橋を越えてゆきます。 

 

 

 鵡川を過ぎて富川に進むと、胆振から日高へと変わり、過ぎゆく道の両側に馬牧場が姿を現しました。

 

 

 そして、国道235は沙流川を渡ります。

 

 この川は日高山脈北部の日勝峠付近を源流域とします。

 

 私が若かりし頃に親しんだ日高幌尻岳や戸蔦別岳からの雪解け水を集め流れ下るのです。

 

 ナキウサギが棲む戸蔦別岳カールには、今でもあの頃と同じ光景が広がるのでしょうか。

 

 

 日高紋別を過ぎると道は、海岸に沿って進み始めました。

 

 今まで聞こえていた虫の声が、波の音に換わりました。

 

 

 厚い雲が覆う空の下、なだらかなアップダウンを繰り返しながら道は伸び、

 

 

 対向車線を過ぎ去る、車のヘッドライトに灯が点り始める頃、

 

 

 新ひだか町 静内の街に辿り着きました。

 

 

 今日の走行時間は6時間弱、85㎞程の道のりでした。

 

 

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北海道大学苫小牧研究林

2015-09-27 13:38:06 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月8日 フェリーは19時間ほどの航海を経て、苫小牧港へ向かっています。

 

 

 フェリーのデッキから、樽前山を背にした苫小牧の街が見えてきました。

 

 

 フェリーは定時に着岸しましたが、タラップの設置などに時間を要し、14時頃の下船となりました。

 

 

 今日は以前から気になっていた、北海道大学苫小牧研究林を訪ねることにしました。

 

 北海道大学の苫小牧研究林は明治37年に農学部の研究林として創設され、苫小牧市民のオアシスとして親しまれています。

 

 私はここ数年、草花から樹木へと興味の対象を広げ、この場所も一度は訪ねてみたいと考えていました。

 

 ホームページで研究林の場所は確認していましたが、地図を持たなかったので、高丘森林公園辺りに迷い込み、研究林に着く頃には、雲が空を広く覆い、上空から時折の水滴を感じるようになっていました。

 

 研究管理棟へと続く道の周囲には緑豊かな森が広がり、

 

 

 舗装道路に沿った木立の中に、幌内川が清透る流れをつないでいます。

 

 

 流れを留める池の畔で、野菊が静かに目を誘っていました。

 

 

 管理棟の横に山草園が設けられ、

 

 

 「ご自由にお休み下さい」と表示されたログハウスに入って見ると、壁一面に小鳥達の写真などが掲げられていました。

 

 

 管理棟裏の池で、清流に棲む魚の影を見た気がしました。

 

 

 資料館横の樹木園の木々には名札が付けられていました。

 

 

 今度来る時は潤沢な時間を準備して、再びまた訪ねてみたいと思わせる北大苫小牧研究林でした。

 

 

 

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商船三井フェリー エコノミールーム

2015-09-26 21:02:50 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月7日 月曜日 

 

 大洗は朝から小雨が降っていました。

 

 民宿では、今夜のお客さんを迎える準備があるとかで、10時のチェックアウトを求められました。

 

 同宿した二人連れの女性達は、大宮の知人と連絡を取り、今夜はその方の世話になると、宿のご主人の車で送られ、大洗駅へ向けて宿を去って行きました。

 

 私は彼女達を見送った後、自転車に跨り、海岸沿いに並ぶ観光施設を目指しました。

 

 最初に入った大洗マリンタワーのエントランス横にテーブルとイスが並んでいたので、売店カウンターのお嬢さんに、「ここのテーブルで食事をしても良いですか?」と聞いてみました。

 

 すると、「この場所に飲食物の持ち込みは禁止ですが、テーブルは自由にお使い頂けます」との返事が得られました。

 

 見渡すと、大洗海岸にはクロマツやリキダマツが数多く植栽されていました。

 

 

 

 私はそれらの松の枝葉の観察を行ない、数本の枝を採取すると、大洗マリンタワーエントランスのテーブルに陣取り、マツの葉の測定を始めました。

 

 今日一日、夕方のフェリーが出発するまでに時間はたっぷりとあります。

 

 きっと、今日のこの時間は神様が私にくれたプレゼントなのだろうと考えました。

 

 もし今日一日の作業が大きな発見に繋がれば、「今日はきっと忘れられない一日になるぞ」と考え、ちょっと頬を緩めました。

 

 勿論、頬を緩めたのは「あぁあ、なんて能天気なんだろう」という自分への嘲笑も含めてです。

 

  

 

 フェリーターミナルの窓口は、15時に開きました。

 

 直ぐに乗船名簿を整え、苫小牧までのチケットを購入しました。

 

 60歳以上はシルバー割引が該当しますので、商船三井フェリーのエコノミー席は自転車を含め苫小牧港までたったの9190円です。ルンルン♪

 

 乗車券購入時、乗船開始時間は17時ですから、それまでにお集まり下さいとの説明がありました。

 

 私は一旦ターミナルを離れ、昼前に確認しておいた街のスーパーに出向き、幕の内弁当とカップ麺、缶チューハイなど、船旅で必要となる食料を買い求めターミナルに戻りました。

 

 「車、オートバイ、自転車の乗船を開始します」のアナウンスがあり、岸壁へ向かいますと、「さんふらわあ さっぽろ」の船腹からタラップが岸に伸びていました。

 

 

 中高年のライダーを含む20数台のオートバイが乗船開始を待って並んでいます。

 

 その列の横の自転車は私一人でした。

 

 

 

 ライダー全員の視線を浴びながら(と思いながら)、いの一番にローギアでタラップを上り、船内の人となりました。

 

 

 エコノミー席は、幅50㎝程のマットレスとシーツが壁に沿ってならんでいます。

 

 夫々に番号が振ってあって、ほぼ一つ置きに客席が割り振られていました。

 

 

 私は自分の席を確認すると、デッキへ廻り、西の空に沈む夕日を眺め、その足で展望風呂へと向かいました。

 

 フェリーはゆったりした展望風呂を、真夜中以外いつでも利用することができます。

 

 共同風呂ですから、早目に入るとお湯も綺麗で、贅沢な気分に浸ることができます。

 

 

 お風呂から上がる頃、大洗港は夜の闇に包まれていました。

 

 

 

 フェリー出航後のレストランに、ディナーを楽しむ多くの人達の姿がありました。

 

 私の夕食は、スーパーで買い求めた幕の内弁当と缶チューハイです。

 

 独りでレストランのテーブルに座っても、レストルームのテーブルで弁当を食べても満足感に大差はありません。

 

 

 ディナーは1700円ですが、弁当は450円でした。

 

 年金生活に入っても、萎縮した時を過ごす気などは毛頭ありませんが、無駄な出費を抑える心がけは忘れないようにしています。

 

 

 

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今日のフェリーは欠航です

2015-09-26 00:14:27 | 自転車でコスモスの島へ

 

 

 9月6日の16時に大洗のフェリーターミナルに着くと、窓口はカーテンに閉ざされていました。

 

 私は数十年振りのサイクリングなので、フェリー乗船開始の17時までに大洗港に到着できる自信がなく、今回は苫小牧行きフェリーの予約を取りませんでした。

 

 商船三井フェリーの大洗-苫小牧航路は今まで何度も利用していますが、夏休み以外は、車の持ち込みさえなければ、99%乗船できるだろうことが分かっています。自転車を持ち込む場合も同様の筈です。

 

 17時になれば窓口は開くだろうと、たかを括り、ロビーの椅子に半身を横たえてその時を待っていました。

 

 外では台風18号の影響か、雨が降り始めていました。

 

 16時30分頃になって、女性の二人連れがロビーに現れ、「窓口はまだ開かないの?」と訊ねられましたので、「多分17時ごろになれば開くと思いますよ」と答えました。

 

 しかし、実際に時計の針が17時を過ぎても、窓口には何の変化も現われません。

 

 これはおかしいぞと思い、ロビーに居た守衛さんに「窓口は何時になったら開くのでしょうか」と訊ねてみました。

 

 すると、守衛さんから「今日はもうフェリーの便がないので、明日まで窓口は開かないですよ」との回答がありました。

 

 「えぇぇえ! うっそぉ~、ネットで調べたけど、夕方便に欠航はない筈だけどなぁ」

 

 実は一ヶ月程前に、大洗-苫小牧間を繋ぐ商船三井フェリーは、航海中の「さんふらわ あだいせつ」に火災が発生し、それ以降船数が不足し、通常運行に支障が出ているのです。

 

 それでも、2、3日前にフェリー会社のホームページを覗いたときは、1日2便の内、夕方の便に欠航はなかった筈なのです。

 

 しかし守衛さんと一緒に、ドアに貼ってある運行表を確認しに行くと、何と、この日の夕方便だけが欠航となっていました。

 

 「そうか、見落としたんだ。まいったな~」

 

 外には雨が降り続けていました。

 

 直ぐ守衛さんに、「このフェリーターミナルは、夜も開いているんですか?」と聞いてみました。

 

 守衛さんは気の毒そうな声で、「今夜19時から明朝7時までは閉まります」との返事が返ってきました。

 

 そこで再度、ターミナルの外階段下のスペースを指差して、「あそこにテントを張れないでしょうか?」と聞いてみました。

 

 「いや~、ここは町管轄の建物なので、ちょとね~、良いとは言えないですよ」とのこと。

 

 「えぇ~、どうしよう」

 

 すると、「確か、素泊まり2~3千円で泊まれる民宿がこの近くにあると思うけど」と守衛さんがアドバイスをくれました

 

 「本当ですか、それは助かる。早速探しに行ってみます。」と答え、ロビー内に居た先ほどの女性達にも声を掛け、一通りの状況を説明し、どうしますか?と聞いてみました。

 

 彼女達も此処へは電車とバスを乗り継いで来たので、今夜の宿が大洗に確保できるなら有難いとの返事でした。

 

  「じゃあ、私が自転車で街へ行って民宿を探してきますから、ここで待ってて下さい。」

 と言い置いて、急いで雨の中へとはしり出しました。

 

 大洗の雨降る街で数軒の民宿を当たった1時間程の後、その内の一軒に、三人は無事に雨露を凌げる場所を確保することが出来ました。

 

 さすがに、一泊2~3千円という料金ではありませんでしたが、高い安いと言ってる場合ではなかったのです。

 

 二人連れの女性は姉妹だそうで、お話の内容から50歳代後半と推察しました。

 

 登別でスナックを経営しているとかで、筑波に居る妹さんの家族に不幸があり、フェリーを利用して苫小牧と大洗を往復することになったのだそうです。

 

 旅先では、本当に多彩な方との巡り会いがあるものです。

 

 私はこの夜、100㎞以上もの自転車旅の疲れもあってか、温かい風呂に浸った後、一本の缶チューハイも飲み干せないままに、深い眠りへと入っていったのでした。

 

 

 

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痛むお尻を庇いながらの自転車旅

2015-09-25 09:53:43 | 自転車でコスモスの島へ

 

 自転車で国道6号線をはしり、柏市街へ入る頃には、交通量もかなり多くなってきました。

 

 

 そしていよいよ利根川を越え、千葉県から茨城県に入ります。

 大利根橋の先に取手市が見えてきました。

 

 

 今回の旅は、時計を持参せずと書きましたが、ベルトのケースに収めたコンパクトデジカメ(コンデジ)には撮影時間が記録されますので、旅を終えてブログを書いている今は、正確に記録を辿ることができます。

 

 自宅を出てからほぼ4時間後、私の臀部に怖れていたある兆しが現れ始めました。

 

 自転車のサドルに当る股間に痛みを感じ始めたのです。

 

 学生時代にサイクリングをやって以来、40数年振りの自転車旅ですから、当然のことです。

 

 ペダルをこぎ初めて約70㎞、予想はしていましたが、少しずつペースが落ちてきました。

 

 コンビニに自転車を停めて、100円コーヒーなどを飲み、持参した大福餅で糖分を補給します。

 

 

 土浦郊外のバイパスを11時過ぎに通過しました。

 

 

 

 その後、石岡辺りの牛丼屋で昼食を摂りました。

 

 出発して100㎞を超えた辺りから、足に疲労感を覚えながら、水戸市へ入る手前の茨城町で県道16号に入りました。

 

 

 

 涸沼に沿って、大洗町へ続く県道16号の横に、黄金色の豊かな稲穂が広がっていました。

 

 

 

 ついこのあいだまで、暑さに喘いだことが嘘のように思える秋の気配を、車道へと伸びる萩の花が伝えていました。

 

 

 臨海大洗鹿島線の涸沼駅前を、ひりひりと痛むお尻を庇いながら15時に通過しました。

 

 

 

 そして、自宅から125㎞ほどの距離をペダルをこぎ続け、出発してから約10時間後の午後4時過ぎ、無事大洗フェリーターミナルに到着することができました。

 

 

 

 

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人生100年の自転車旅 北海道への花旅 

2015-09-24 21:06:38 | 自転車でコスモスの島へ

 

 2015年9月6日の日曜日朝64歳と179日目の私は、自転車にテントと寝袋を積んで都内の自宅を出発しました。

 

 60歳で定年退職し4年と6ヶ月ちょっと。

 

 遠慮がちに、図々しく100歳までの命と見積もれば、私に許された時間は後35年程。

 

 外痔核、平たく言えばイボ痔の手術を二度済ませましたが、それ以外はいたって健康です。

 

 しかし、何度やっても懲りない深酒に体力は確実に低下しています。

 

 更には、40数年ぶりの自転車旅ですから、無事にはしり続けられるだろうかと、不安が胸に去来します。

 

 ゆっくりと無理をせず、慎重第一に自転車をこぎ進めました。

 

 目の前に文京区役所の庁舎が見えてきました。

 

 今日の目的地は約120㎞先の茨城県大洗港。

 

 のんびりとペダルをこぎ続けました。

 

 

 自転車のサドルを降りるのが面倒で、目の前の信号が赤であれば、横から交差してくる横断歩道を渡って路地に入り、その先の十字路で進行方向を修正します。

 

 

 

 大洗への最短ルートは、頭の中にあるので、都内を抜けるまでは、何処を通っても距離と時間に大差はありません。

 

 気が付くと、浅草の浅草寺裏手の石畳に迷い込んでいました。

 

 

 そのまま進んでゆくと、何と、浅草寺のお賽銭箱の前に出ました。

 

 

 正月は人人人で身動きが取れない賑わいを見せる浅草寺ですが、今朝は全く異なる場所かと思うほどに閑散としていました。

  

 宝蔵門の後の仲見世が、見たことも無い趣で雷門へ続いていました。

 

 

 その雰囲気に魅了されて、賽銭箱正面の石段に座って、前夜コンビニで買ったジャムパンとコーヒー牛乳で朝食を済ませました。

 

 朝食後にポケットに手を突っ込み、最初に触れた赤銅色のコインを確認し、それを賽銭箱へ投げて、手を合わせました。

 

 不安に満ちたサイクリング旅行の安全祈願ですが、金額の多寡で判断する神様なら、手を合わせるまでもないと考え、十円玉以外のコインを探すことはしませんでした。

 

 浅草寺の境内を横切り、言問橋で隅田川を越えました。

 

 

 正面に見えるスカイツリーは、雲の中に頂きを隠していました。

 

 東京を出立する旅の情景として、これほどまでに象徴的な光景は無いと思えます。

 

 それにしても、人が築いた建造物の頂きが雲に隠れるなんて、そうめったに見れるものではありません。

 

 

 

  隅田川を渡って左折し、国道6号に入りました。

 

 その先で荒川を渡り、江戸川を越えて、千葉県に進んで行きます。

 

 

 松戸辺りの赤信号で自転車を止めると、中学生らしき子供達の姿が目に留まりました。

 

 今日は日曜日なので、クラブ活動にでも出かけるのでしょうか。

 

 どうやらそんな時間帯だったようです。

 

 

 そうなんです、今回の旅で私は時計を持参しませんでした。

 

 携帯電話も持ちませんし、地図さえも持参しませんでした。

 

 大まかなルートは考えましたが、半年後には65歳となる身ですから、一日でどれ程走るかを計算するような旅にするつもりは無かったのです。

 

 今思えば、サイクリングは40年ぶりですから、かなり大胆な冒険旅行だったかもしれません。

 

 しかし不思議なことに、脚力以外は、旅の不安は全くありませんでした。

 

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東北漫遊 花の旅 index

2015-09-04 19:53:31 | 東北漫遊 花の旅

「花の旅」 総合目次 


東北漫遊 花の旅 index

 

 東京~ 

 1  片雲の風にさそはれて (東北漫遊の旅 初日は矢吹町のハスです)福島県矢吹町

 2  樹木も見ます (三春町法蔵寺のハスから仙台市野草園へ)福島県三春町~仙台

 3  仙台市野草園に憩う仙台市野草園の木々に癒されました仙台市

 4  気ままな旅 (大崎三本木のヒマワリを見て、山形へ移動宮城~山形県鶴岡

 5  青い蒼い空と森の広がる郷で (大山公園上池のハスは見事でした)山形県鶴岡市

 6  倉田窯の蓮 (由利本荘市の倉田窯のハスを訪ねました)秋田県由利本庄市

 7  竿燈祭りの真最中でした(秋田市へ辿り着くと 竿燈祭りの真最中)秋田市

 8  白い雲が浮かぶ空の下で (千秋公園と南の池公園にハスが咲き揃う秋田市~

 9  ゴジラとナデシコ (ゴジラ岩の海岸にハマナデシコが咲く)男鹿半島へ

10  青い空の日の夜祭 男鹿半島を周遊し、夜は竿燈祭りを楽しむ)秋田市

11  翠雲公園あじさい園 秋田北部のアジサイ園秋田市~ 

12  猿賀公園の蓮 青森県平川市の猿賀公園のハス」)青森県平川市

13  ねぶたの花火 (青森港の岸壁でねぶた祭りの花火)青森市

14  朝から混浴千人風呂 (酸ヶ湯の千人風呂での朝湯)八甲田

15  今の私にできることは (八甲田から奥入瀬に廻ります)奥入瀬渓谷

16  幸せへの方程式 盛岡の小岩井農場を訪ねました岩手県盛岡

17  八戸から三陸海岸へ 八戸から三陸海岸沿いに南下します八戸市~

18  鵜の巣断崖はファイブナイトクリフ (鵜の巣断崖の景観は豪壮)岩手県田野畑村

19  一億年の歳月の高さ (田老村の三王岩は1億年の歳月を積み重ねます)田老村

20  あの日を忘れない (三陸海岸に3.11津波の爪痕が残ります)釜石、陸前高田

21  気仙沼から平泉へ (気仙沼の復興屋台村で美味しい思い)気仙沼

 

 

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気仙沼から平泉へ

2015-09-03 19:48:30 | 東北漫遊 花の旅

 

 旅の最後の夜を気仙沼で過ごしました。 

 

 気仙沼も復興の道半ばであることに変わりはありません。

 

 しかし、被災時には山間部のかなりの高さまで、津波による瓦礫が散乱していた光景は消え、震災の爪痕は海岸沿いに見るだけとなっています。

 

  2011年6月の状況

 

 気仙沼の港には観光客用の駐車場の横に復興屋台村があったので、多少なりとも現金を落としていこうと思いました。

 

 私が入ったのは被災前に民宿を経営しておられた方のお店でした。

 

 この夜の一品目は、メニューに「マンボウ刺」と書かれたマンボウの刺身です。

 

 それを酢味噌で頂きました。

 

 マンボウなるものを初めて食べましたが、癖のない淡白な味でした。

 

 

 

 次にオーダーしたのが「モーカの星」とメニューにあった、モウカ鮫の心臓です。

 

 そう言えば、気仙沼はフカヒレの生産量が日本一だったはずです。

 

 気仙沼らしい一品に巡り会えて、記憶に残る夜を過ごすことができました。

 

 

 

 次の日は気仙沼から平泉に足を伸ばし、中尊寺を訪ねました。

 

 平泉は何度も通っているのですが、いつも先を急いでいたので、過去に中尊寺を訪ねたことがありません。

 

 

 この日は生憎の雨でしたが、中尊寺では弁慶堂、

 

 

 能楽堂などを見て、

 

 

 山口青邨の句碑「人も旅人 われも旅人 春惜しむ」の句碑を眺め、

 

 

 金色堂も見学しましたが、金色堂は撮影禁止なので写真はありません。

 

 

 

 中尊寺の後は、毛越寺を訪ねました。

 

 私はここでも最初に、松の枝が気になりました。

 

 

 

 毛越寺は、世界遺産に登録された平泉の資産の一つで、国の特別史跡、特別名勝に指定されています。

 

 しかし、40以上もあったお堂や塔は相次ぐ火災により焼失し、今は遺跡が残るだけです。

 

 

 そして毛越寺はアヤメ園が有名です。

 

 今度は是非アヤメ、ハナショウブの季節に訪ねてみたいものです。

 

 

 

 さて、いったい何日かけて奥陸(みちのく)を巡ってきたのでしょうか。

 

 想像以上の暑さに怖気づいて、とうとう花の山に登りませんでした。

 

 体力と気力が残っている間に、次は何としても、東北の花の百名山を訪ねてみたいものです。

 

 今回の「東北漫遊花の旅」は平泉で終了としました。

 

 平泉から東京までは、4時間弱の距離です。

 

 日本も世界も本当に狭くなりましたが、人と人、国と国の心の距離はどうなのでしょうか。

 

 怨嗟や嫌悪感、嫉妬や疑いなど、人の心の距離をコントロールする知恵や技術は、平泉に金色堂が建てられた頃と変わらないような気もします。

 

 子供や家族への愛が、他人への怨嗟に繋がらぬよう、自国民への思い込みが他国民への憎しみに転嫁しないようにと願うばかりです。

 

 今回も「東北漫遊花の旅」にお付き合いを頂きまして、本当に有難うございました。

 

 朝夕に涼しさを感じるようになりました。 

 

 気候の変わり目です。

 皆様も体調などを崩しませぬよう、くれぐれもどうぞ、ご自愛のほどを。

 

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あの日を忘れない

2015-09-03 18:25:19 | 東北漫遊 花の旅

 

 田老(たろう)町の三王岩の後、宮古市の浄土ヶ浜に足を向けました。

 

 浄土ヶ浜は5年前に立ち寄っています。

 

 その時目にした、真夏の太陽の下、碧い海に白い岩が立ち連なる景観が、今でも印象深く脳裏に残ります。

 

 あの美しい海はどうなったかと心配しながら、浜へ向かいました。

 

 海に下る途中、歩道から見えた浄土ヶ浜は、記憶の中の風景と変わらぬ穏やかな渚を見せていました。

 

 

 

 安堵の思いで浜に下ると、5年前と同じように、多くの親子連れが水辺で遊ぶ姿を目にしました。

 

 

 浜辺の岩に、名も知れぬ黄色い花が咲き、津波の爪痕を感じさせるものは目にしませんでした。

 

 

 

 しかし、浄土ヶ浜を出て、釜石市を過ぎた辺りで、山間の高台に仮設住宅が建ち並ぶ姿を目にしました。

 

 震災から4年半が過ぎても、以前の生活を取り戻せない方達の現状を知らされました。

 

 

 陸前高田市に入ると、今も津波の恐ろしさを如実に示す集合住宅の残骸を目にしました。

 

 5階建ての集合住宅の4階から下の窓は全て破壊されています。

 津波はこの建物の4階にまで達したのです。

 

 

 周囲の旧市街地には、付近の丘陵地からベルトコンベアが伸びて、土地を嵩上げする作業が進んでいました。

 

 

 奇跡の一本松をシンボルに、復興作業は着実に進められている様子でした。

 

 

 

 2011年の6月に訪ねた被災地は、何から手を付けたら良いのかさえ分からない状況でしたが、その時に比べれば、良くはなってきています。

 

2011年6月の当該地区の様子

 

 当時は、東京、大阪は勿論、長崎の島々から駆け付けた、百人を超えるボランティアが、体育館の床に寝泊まりしながら、復旧作業に汗を流しました。

 

 

ボランティアが宿泊した体育館

 

 被災地では、「日本加油(=日本頑張れ) 台湾より」とボディーに記載されたワンボックスカーを目にしました。

 

 台湾の人々から暖かい援助を頂いたことを思い出します。

 

 

 

 二度と再び、このような悲惨な状況を目にすることのないよう、後の世代に記憶を語り伝え、対策を怠らないようにしたいものです。

 

 そう、比較にならぬ程に悲惨だったあの戦争の記憶と共に。

 

 そして悲しいことに、今の世界秩序の契機となった70年前を記念して、人間を殺傷する道具を揃えて軍事パレードを行う国の為政者が何を意図しているかを、冷静な目で、注意深く見つめ続ける必要があります。

 

 地震が避けて通れないなら、対策を準備する心構えだけは忘れないようにしたいものです。 

 

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一億年の歳月の高さ

2015-09-03 16:08:11 | 東北漫遊 花の旅

 

 三陸海岸の真崎岬に穏やかな波が打ち寄せています。

 

 

 オオマツヨイグサが季節の移ろいを予測させながら、潮風を浴びています。

 

 

 岬の形通りに作られた林道を進んで行くと、三王園地と表示された場所に出ました。

 

 駐車場に車を停めて、散策路を進みますと、頂に松を飾った岩が、海中に屹立していました。

 

 立ち上がる岩の横で、ドングリみたいな形をした岩が、程好いアクセントになって、絵のような光景を完結させていました。

 

 

 散策路の脇にコマツナギが可憐な花を咲かせています。

 

 

 三王園地の一角に、「海嘯鎮魂の詩」と銘した詩碑を見かけました。

 

 「独り残りし幼子も

 人の情けにすがりたる

 育てはぐくむ慈悲もあり

 親にかわりし愛の手に

 健やか育ち子もありて

 今静かなる碧き海

 母なる海よふるさとの海」

 

 

 

 

 三王園地の西側から、三王岩を眺めると、岩の下部は大小の砂礫が積み重なる層を成し、その上に熱変性を受けた岩が載っています。

 

 この砂礫層は白亜紀のものだそうです。

 

 地球上に恐竜が繁栄を極め、消えていった様子を、この岩は見ていたはずです。

 

 白亜期とは、イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡の白亜(チョーク)を含む地層の意味ですから、先程の鵜の巣断崖も三王岩もセブンシスターズもみな同じ年月を地球と共に見て来たことになります。

 

 

 三王岩は一億年の歳月の高さで、頂に松を育てていました。

 

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鵜の巣断崖はファイブナイトクリフ

2015-09-03 13:57:17 | 東北漫遊 花の旅

 

 

 陸海岸を南にむかいました。

 

 急ぐ旅ではありませんし、「花の名所」にリストした場所もこの辺りにはないので、のんびりと車を進めます。

 

 北山崎園地のすぐ南の鵜の巣断崖にも寄っていくことにしました。

 

 駐車場から海辺の断崖までの歩道の両側は美しいアカマツ林が続いていました。

 

 私は今まで、これ程までに美しいアカマツの林を見たことがありません。

 

 

 

 鵜の巣断崖は海岸から200mの絶壁がそそり立ち、見下ろせば足がすくむような場所で、波が白い飛沫を岩に寄せていました。

 

 数年前に、イギリスの有名なセブンシスターズを訪ね、足を震わせながら白い断崖を覗きこんだことを想い出しました。

 

 写真を並べると、鵜の巣断崖の方がセブンシスターズよりも高く、豪壮さははるかに優ります。

 

 緑豊かな自然に裏打ちされた、世界的にも秀逸な景観だと思います。森と緑を見慣れた日本人よりも、海外の観光客に高い評価が得られるかもしれません。

 

 鵜の巣断崖は絶壁が5層に連なりますから、英語で表せばファイブブラザーズでしょうか。

 

 それともファイブナイトクリフ(five knights cliff )、5人の騎士の断崖とでも命名すれば海外での知名度が上がり、海外からの観光客が増えるかもしれません。

 

 岩手県観光課の皆さん、地域振興策として如何でしょう。

 

  

     左写真 三陸 鵜の巣断崖        右写真 イギリス セブンシスターズ 

 

 鵜の巣断崖から三陸海岸を更に南下し、国道から真崎岬への細い道に紛れ込んでみました。

 

 真新しいコンクリートの堤防を沖に見ながら、親子連れが、海辺で夏の盛りを満喫していました。

 

 

 浮き輪で泳ぐ子供達にカメラをズームすると、満面笑顔の表情が得られました。

 

 

 磯辺には、たわわに実を付けたハマナスが枝を広げていました。

 

 震災から4年の歳月を経て、花は実を付け、子供達が笑顔を見せています。

 

 

 2011年6月にボランティアで入った石巻の海岸は、津波で盛り上がった砂礫の上に瓦礫と流木が積み重なり、渚へも近づけないほどでした。

 

 

2011年6月の陸前高田海岸

 

 その光景を思い出すと今でも胸が塞がれますが、今回の旅で目にした光景は、私に心の安らぎをもたらしてくれました。

 

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