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東北漫遊 花の旅 index

2015-09-04 19:53:31 | 東北漫遊 花の旅

「花の旅」 総合目次 


東北漫遊 花の旅 index

 

 東京~ 

 1  片雲の風にさそはれて (東北漫遊の旅 初日は矢吹町のハスです)福島県矢吹町

 2  樹木も見ます (三春町法蔵寺のハスから仙台市野草園へ)福島県三春町~仙台

 3  仙台市野草園に憩う仙台市野草園の木々に癒されました仙台市

 4  気ままな旅 (大崎三本木のヒマワリを見て、山形へ移動宮城~山形県鶴岡

 5  青い蒼い空と森の広がる郷で (大山公園上池のハスは見事でした)山形県鶴岡市

 6  倉田窯の蓮 (由利本荘市の倉田窯のハスを訪ねました)秋田県由利本庄市

 7  竿燈祭りの真最中でした(秋田市へ辿り着くと 竿燈祭りの真最中)秋田市

 8  白い雲が浮かぶ空の下で (千秋公園と南の池公園にハスが咲き揃う秋田市~

 9  ゴジラとナデシコ (ゴジラ岩の海岸にハマナデシコが咲く)男鹿半島へ

10  青い空の日の夜祭 男鹿半島を周遊し、夜は竿燈祭りを楽しむ)秋田市

11  翠雲公園あじさい園 秋田北部のアジサイ園秋田市~ 

12  猿賀公園の蓮 青森県平川市の猿賀公園のハス」)青森県平川市

13  ねぶたの花火 (青森港の岸壁でねぶた祭りの花火)青森市

14  朝から混浴千人風呂 (酸ヶ湯の千人風呂での朝湯)八甲田

15  今の私にできることは (八甲田から奥入瀬に廻ります)奥入瀬渓谷

16  幸せへの方程式 盛岡の小岩井農場を訪ねました岩手県盛岡

17  八戸から三陸海岸へ 八戸から三陸海岸沿いに南下します八戸市~

18  鵜の巣断崖はファイブナイトクリフ (鵜の巣断崖の景観は豪壮)岩手県田野畑村

19  一億年の歳月の高さ (田老村の三王岩は1億年の歳月を積み重ねます)田老村

20  あの日を忘れない (三陸海岸に3.11津波の爪痕が残ります)釜石、陸前高田

21  気仙沼から平泉へ (気仙沼の復興屋台村で美味しい思い)気仙沼

 

 

 ※ 全ての「花の旅」 総合目次

 

 

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気仙沼から平泉へ

2015-09-03 19:48:30 | 東北漫遊 花の旅

 

 旅の最後の夜を気仙沼で過ごしました。 

 

 気仙沼も復興の道半ばであることに変わりはありません。

 

 しかし、被災時には山間部のかなりの高さまで、津波による瓦礫が散乱していた光景は消え、震災の爪痕は海岸沿いに見るだけとなっています。

 

  2011年6月の状況

 

 気仙沼の港には観光客用の駐車場の横に復興屋台村があったので、多少なりとも現金を落としていこうと思いました。

 

 私が入ったのは被災前に民宿を経営しておられた方のお店でした。

 

 この夜の一品目は、メニューに「マンボウ刺」と書かれたマンボウの刺身です。

 

 それを酢味噌で頂きました。

 

 マンボウなるものを初めて食べましたが、癖のない淡白な味でした。

 

 

 

 次にオーダーしたのが「モーカの星」とメニューにあった、モウカ鮫の心臓です。

 

 そう言えば、気仙沼はフカヒレの生産量が日本一だったはずです。

 

 気仙沼らしい一品に巡り会えて、記憶に残る夜を過ごすことができました。

 

 

 

 次の日は気仙沼から平泉に足を伸ばし、中尊寺を訪ねました。

 

 平泉は何度も通っているのですが、いつも先を急いでいたので、過去に中尊寺を訪ねたことがありません。

 

 

 この日は生憎の雨でしたが、中尊寺では弁慶堂、

 

 

 能楽堂などを見て、

 

 

 山口青邨の句碑「人も旅人 われも旅人 春惜しむ」の句碑を眺め、

 

 

 金色堂も見学しましたが、金色堂は撮影禁止なので写真はありません。

 

 

 

 中尊寺の後は、毛越寺を訪ねました。

 

 私はここでも最初に、松の枝が気になりました。

 

 

 

 毛越寺は、世界遺産に登録された平泉の資産の一つで、国の特別史跡、特別名勝に指定されています。

 

 しかし、40以上もあったお堂や塔は相次ぐ火災により焼失し、今は遺跡が残るだけです。

 

 

 そして毛越寺はアヤメ園が有名です。

 

 今度は是非アヤメ、ハナショウブの季節に訪ねてみたいものです。

 

 

 

 さて、いったい何日かけて奥陸(みちのく)を巡ってきたのでしょうか。

 

 想像以上の暑さに怖気づいて、とうとう花の山に登りませんでした。

 

 体力と気力が残っている間に、次は何としても、東北の花の百名山を訪ねてみたいものです。

 

 今回の「東北漫遊花の旅」は平泉で終了としました。

 

 平泉から東京までは、4時間弱の距離です。

 

 日本も世界も本当に狭くなりましたが、人と人、国と国の心の距離はどうなのでしょうか。

 

 怨嗟や嫌悪感、嫉妬や疑いなど、人の心の距離をコントロールする知恵や技術は、平泉に金色堂が建てられた頃と変わらないような気もします。

 

 子供や家族への愛が、他人への怨嗟に繋がらぬよう、自国民への思い込みが他国民への憎しみに転嫁しないようにと願うばかりです。

 

 今回も「東北漫遊花の旅」にお付き合いを頂きまして、本当に有難うございました。

 

 朝夕に涼しさを感じるようになりました。 

 

 気候の変わり目です。

 皆様も体調などを崩しませぬよう、くれぐれもどうぞ、ご自愛のほどを。

 

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あの日を忘れない

2015-09-03 18:25:19 | 東北漫遊 花の旅

 

 田老(たろう)町の三王岩の後、宮古市の浄土ヶ浜に足を向けました。

 

 浄土ヶ浜は5年前に立ち寄っています。

 

 その時目にした、真夏の太陽の下、碧い海に白い岩が立ち連なる景観が、今でも印象深く脳裏に残ります。

 

 あの美しい海はどうなったかと心配しながら、浜へ向かいました。

 

 海に下る途中、歩道から見えた浄土ヶ浜は、記憶の中の風景と変わらぬ穏やかな渚を見せていました。

 

 

 

 安堵の思いで浜に下ると、5年前と同じように、多くの親子連れが水辺で遊ぶ姿を目にしました。

 

 

 浜辺の岩に、名も知れぬ黄色い花が咲き、津波の爪痕を感じさせるものは目にしませんでした。

 

 

 

 しかし、浄土ヶ浜を出て、釜石市を過ぎた辺りで、山間の高台に仮設住宅が建ち並ぶ姿を目にしました。

 

 震災から4年半が過ぎても、以前の生活を取り戻せない方達の現状を知らされました。

 

 

 陸前高田市に入ると、今も津波の恐ろしさを如実に示す集合住宅の残骸を目にしました。

 

 5階建ての集合住宅の4階から下の窓は全て破壊されています。

 津波はこの建物の4階にまで達したのです。

 

 

 周囲の旧市街地には、付近の丘陵地からベルトコンベアが伸びて、土地を嵩上げする作業が進んでいました。

 

 

 奇跡の一本松をシンボルに、復興作業は着実に進められている様子でした。

 

 

 

 2011年の6月に訪ねた被災地は、何から手を付けたら良いのかさえ分からない状況でしたが、その時に比べれば、良くはなってきています。

 

2011年6月の当該地区の様子

 

 当時は、東京、大阪は勿論、長崎の島々から駆け付けた、百人を超えるボランティアが、体育館の床に寝泊まりしながら、復旧作業に汗を流しました。

 

 

ボランティアが宿泊した体育館

 

 被災地では、「日本加油(=日本頑張れ) 台湾より」とボディーに記載されたワンボックスカーを目にしました。

 

 台湾の人々から暖かい援助を頂いたことを思い出します。

 

 

 

 二度と再び、このような悲惨な状況を目にすることのないよう、後の世代に記憶を語り伝え、対策を怠らないようにしたいものです。

 

 そう、比較にならぬ程に悲惨だったあの戦争の記憶と共に。

 

 そして悲しいことに、今の世界秩序の契機となった70年前を記念して、人間を殺傷する道具を揃えて軍事パレードを行う国の為政者が何を意図しているかを、冷静な目で、注意深く見つめ続ける必要があります。

 

 地震が避けて通れないなら、対策を準備する心構えだけは忘れないようにしたいものです。 

 

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一億年の歳月の高さ

2015-09-03 16:08:11 | 東北漫遊 花の旅

 

 三陸海岸の真崎岬に穏やかな波が打ち寄せています。

 

 

 オオマツヨイグサが季節の移ろいを予測させながら、潮風を浴びています。

 

 

 岬の形通りに作られた林道を進んで行くと、三王園地と表示された場所に出ました。

 

 駐車場に車を停めて、散策路を進みますと、頂に松を飾った岩が、海中に屹立していました。

 

 立ち上がる岩の横で、ドングリみたいな形をした岩が、程好いアクセントになって、絵のような光景を完結させていました。

 

 

 散策路の脇にコマツナギが可憐な花を咲かせています。

 

 

 三王園地の一角に、「海嘯鎮魂の詩」と銘した詩碑を見かけました。

 

 「独り残りし幼子も

 人の情けにすがりたる

 育てはぐくむ慈悲もあり

 親にかわりし愛の手に

 健やか育ち子もありて

 今静かなる碧き海

 母なる海よふるさとの海」

 

 

 

 

 三王園地の西側から、三王岩を眺めると、岩の下部は大小の砂礫が積み重なる層を成し、その上に熱変性を受けた岩が載っています。

 

 この砂礫層は白亜紀のものだそうです。

 

 地球上に恐竜が繁栄を極め、消えていった様子を、この岩は見ていたはずです。

 

 白亜期とは、イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡の白亜(チョーク)を含む地層の意味ですから、先程の鵜の巣断崖も三王岩もセブンシスターズもみな同じ年月を地球と共に見て来たことになります。

 

 

 三王岩は一億年の歳月の高さで、頂に松を育てていました。

 

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鵜の巣断崖はファイブナイトクリフ

2015-09-03 13:57:17 | 東北漫遊 花の旅

 

 

 陸海岸を南にむかいました。

 

 急ぐ旅ではありませんし、「花の名所」にリストした場所もこの辺りにはないので、のんびりと車を進めます。

 

 北山崎園地のすぐ南の鵜の巣断崖にも寄っていくことにしました。

 

 駐車場から海辺の断崖までの歩道の両側は美しいアカマツ林が続いていました。

 

 私は今まで、これ程までに美しいアカマツの林を見たことがありません。

 

 

 

 鵜の巣断崖は海岸から200mの絶壁がそそり立ち、見下ろせば足がすくむような場所で、波が白い飛沫を岩に寄せていました。

 

 数年前に、イギリスの有名なセブンシスターズを訪ね、足を震わせながら白い断崖を覗きこんだことを想い出しました。

 

 写真を並べると、鵜の巣断崖の方がセブンシスターズよりも高く、豪壮さははるかに優ります。

 

 緑豊かな自然に裏打ちされた、世界的にも秀逸な景観だと思います。森と緑を見慣れた日本人よりも、海外の観光客に高い評価が得られるかもしれません。

 

 鵜の巣断崖は絶壁が5層に連なりますから、英語で表せばファイブブラザーズでしょうか。

 

 それともファイブナイトクリフ(five knights cliff )、5人の騎士の断崖とでも命名すれば海外での知名度が上がり、海外からの観光客が増えるかもしれません。

 

 岩手県観光課の皆さん、地域振興策として如何でしょう。

 

  

     左写真 三陸 鵜の巣断崖        右写真 イギリス セブンシスターズ 

 

 鵜の巣断崖から三陸海岸を更に南下し、国道から真崎岬への細い道に紛れ込んでみました。

 

 真新しいコンクリートの堤防を沖に見ながら、親子連れが、海辺で夏の盛りを満喫していました。

 

 

 浮き輪で泳ぐ子供達にカメラをズームすると、満面笑顔の表情が得られました。

 

 

 磯辺には、たわわに実を付けたハマナスが枝を広げていました。

 

 震災から4年の歳月を経て、花は実を付け、子供達が笑顔を見せています。

 

 

 2011年6月にボランティアで入った石巻の海岸は、津波で盛り上がった砂礫の上に瓦礫と流木が積み重なり、渚へも近づけないほどでした。

 

 

2011年6月の陸前高田海岸

 

 その光景を思い出すと今でも胸が塞がれますが、今回の旅で目にした光景は、私に心の安らぎをもたらしてくれました。

 

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八戸から三陸海岸へ

2015-09-03 00:10:10 | 東北漫遊 花の旅

 

 小岩井農場を出て、八戸へ向かいました。

 

 盛岡よりも八戸の方が美味しい魚が食べられると思ったからです。

 

 そして、19時過ぎには八戸の繁華街を歩いていました。

 

 しかし残念ながらこの夜、八戸は小雨に濡れていました。

 

 最初に目に付いたコインパーキングに車を入れて、すぐ近くの居酒屋の縄暖簾を潜りました。

 

 

 

 「ばんや」というレトロな雰囲気を漂わす居酒屋は、かなり名が知られているらしく、カウンターもテーブルも満杯で、私より遅れて来たお客さんは、女将から「本当に申し訳ありません、満席なんです」と断られていました。

 

 

 このような店で、長居するのは野暮の極みと言うものです。

 

 馬刺しと焼き魚を頼み、酒もほどほどに、雰囲気を十分に味わって、店を後にしました。

 

 機会があれば、次にまた訪ね来たいと思います。

 

 

 

 翌朝は、予定以上に早く目が覚めたので、種差海岸の葦毛崎へ行ってみました。

 

 しかし残念ながら。陽が登るはずの水平線上に雲がかかり、期待していた日の出を見ることはできませんでした。

 

 

 

 以前の紀行文で記したように、人生と旅は、3割程度の「当たり」が出れば「良し」とすべきなのです。

 

「当然だよね」と呟きながらも、「残念」の一言を置き土産に、国道45号線を南へ下り、三陸海岸を目指しました。

 

 朝靄の中に続く国道に家屋の姿は僅かで、交通量は少なく、信号も殆どありません。

 

 

 

 実は私は、東北大震災の前年の夏に、この道をドライブしています。

 

 その時は、久慈市南の北山崎海岸などを訪ね、偶然目にした田野畑村の旧島越駅駅舎などにレンズを向けていました。

 

 しかし2011年3月11日の大震災で津波がこの地を襲い、この瀟洒な駅舎は、波の狼藉を受け、跡形もなく破壊され尽くしてしまったのです。

 

 

 2010年8月当時の旧鳥越駅駅舎

 

 今回は、その時以来となる二度目の訪問ですが、北山崎園地の海岸線の景色は当時と変わらぬ表情で私を迎えてくれました。

 

 三陸海岸は、過去に何幾度も津波の被害を被ってきましたが、目の前の景色、そのような痕跡を感じさせるものは全くありません。

 

 

 

 更に、前回の旅では気付かなかった、海岸丘一面に広がるアカマツ林の、見事さに目を奪われました。

 

 

 松といえば、幹を左右に捩り枝を伸ばすイメージが浮かびますが、この松林のアカマツは地表から空へ向かって真っすぐに幹を伸ばし、陽の当らぬ場所の枝葉は殆どが枯れ落ちていました。

 

 昨日、小岩井農場で見たアカマツも同じような姿だったことを思い出しました。

 

 針葉樹は全ての種がこのように真直ぐ空に向かって伸びる姿が本来の形なのかもしれませんが、どうなのでしょうか。

 

 このような視点から、日本全国に木々の姿を眺め歩く旅も楽しいかもしれないと、そんなことを、ぼんやりと考えていました。

 

 海の青と、松の緑。

 

 それらを優しく包む海霧の中で、有るがままの全てを見つめ受け入れたいと思う、有るがままの私が居ました。

 

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幸せへの方程式

2015-09-02 16:36:57 | 東北漫遊 花の旅

 

 奥入瀬渓谷から小岩井農場へと向かいました。

 

 牧場や観光農場は北海道旅行などで、散々見飽きていますので、今まで小岩井農場を訪ねる気にはなれなかったのですが、奥入瀬渓谷を出るタイミングで、午後の時間を最も有効に過ごすにはと考え、小岩井農場を訪ねることにしました。

 

 

 

 小岩井農場に入ると、正面に雲を被った岩手山が見えました。

 

 案内表示版を見ると、乗馬やアーチェリー、トロ馬車などが楽しめ、牛舎や乳業工場も見学できるようです。

 

 しかしここはやっぱり、家族連れか若いカップルで来る所だったようです。

 

 どうしようかと周囲を見回すと、トラクターバスで森林エリアを巡る最後のツアーが出発時間を迎えていたので、それに参加することにしました。

 

 トラクターバスは十数人の参加者を乗せて、通常は非公開の森の中へと入って行きます。

 

 周囲には樹齢100年を数える杉が育っていました。

 

 小岩井農場は創業120年ですから、創業当初から、畜産だけでなく林業も行なっていたことを初めて知りました。

 

 小岩井農場の75%がスギやヒノキなどの山林で、100年以上の歳月を経た森は、キツネ、シカ、ツキノワグマ、アライグマなどが生息する、多様な生物の宝庫となっているそうです。

 

 

 

 

 トラクターバスが停まると、乗客はバスから降りて、林の沢沿いの小道に案内されました。

 

 

 

 沢の中の石を裏返すと、サワガニが慌てて逃げ去ります。

 

 ガイドさんが「小石の間にカワシンジュガイが居るから、探して下さい」と言うので、サンダルを履いていた私はそのまま川に入って貝を探しました。

 

 ガイドさんの説明では、カワシンジュガイ(大阪教育大学のページは冷たい綺麗な水の流れる小川に生息し、生息地で生まれた幼生は下流にながれ、そこでヤマメなどの鰓に付着して、上流に戻ってくるのだそうです。

 

 また、寿命が非常に長く、10数cmを越える貝は100年の寿命を数えるとのことでした。

 

 

 

 珍しいものを見せてもらいました。

 

 この内容なら、800円のツアー参加費は十分に価値があると思います。

 

 

 小岩井農場では牛が約2000頭、羊数百頭、鶏20000羽が飼育されているといった説明や、最近ではクリなどの果樹の植栽を進めているといった説明に興味を覚え、ツアー中はガイドさんに次々と質問を重ねてしまいました。

 

 ツアーが終わって、トラクターバスから降りて農場内を見まわすと、園内に数種類の樹木が枝を茂らせていました。

 

 私は今、木が枝分かれするときの姿に着目して木の葉や枝を観察しています。

 

 周囲に邪魔するものがない場所に育つ木の形は、その木本来の姿だと思いますので、アカマツやドイツトウヒ、

   

 

 

 ミズキなどの木々の枝振りを興味深く眺め続けました。

 

 夫々の木の形は、枝の分かれ方によって決まる筈なので、その仕組みを考え続けます。

 

 

 最近は花が咲いていなくても、今まで以上に「花の旅」が楽しめるようになりました。

 

 木を知ることで、愛着が深まり、更に見つめ続け、新しい知識が得られ、大きな感動に包まれ、幸せな思いに浸ることができるようになりました。

 

 相手を知り、愛着を深め、見詰め直し、心振るわせ、喜びを感じる。

 

 全ての人やものに共通する、幸せへの方程式かもしれません。

 

 

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今の私にできることは

2015-09-02 15:56:07 | 東北漫遊 花の旅

 

 酸ヶ湯温泉から先の道を、今回初めて通りました。

 

 ブナ林の中に鈍色の道が続いていました。

 

 ありふれた舗装道路だって、こんなに素晴らしい景色の中では、見事な絵となって記憶の一コマに留められます。

 

 

 どれ程の資金を積んでも、決して手に入れることはできない、光と大気と木霊とが調和し、静粛のシンフォニーを奏でていました。

 

 

 道路脇の掲示板に、八甲田ブナ林の説明がありました。

 

 

 八甲田ブナ二次林

 「ブナは温帯林を代表する落葉高木で、日本の代表的な広葉樹です。この周辺一帯は牛馬の放牧は行なわれていたところで、古くからあったブナ林は放牧のため、ほとんど伐られました。その後60年余りの間に、残された木の種から芽生えた樹木等により、再びこのようなブナ林(二次林)となったものです。これらのブナ林は今後も生長を続け、やがて巨木となって大地を支え潤すことになります。昭和63年10月」

 

 この掲示板が設けられてから既に27年の歳月が流れたことになります。

 

 これから同じ歳月が流れたときに、更に美しく育ったブナ林をもう一度訪ねてみたいと思うのは、私だけでしょうか。

 

 少なくとも、今日生まれた子供達が27年後に、今日の私と同じように、ブナ林のシンフォニーを聴けるようにあってもらいたいものです。

 

 そして、今の私にできることは何かな、と考えます。

 

 十和田湖温泉で右折して、奥入瀬渓谷をはしる、国道102号線に入りました。

 

 

 奥入瀬渓流は、十和田湖によって流水が自然に調整されていることと、70 mで1mという穏やかな勾配のため、川のなかの岩や倒木にもコケや潅木がはえ、美しく繊細な景観がつくりだされたのだそうです。

 

 渓谷に入ると、道の脇に車を停めて、観光客が岸辺に下りて、しっとりと流れる川の情緒を楽しんでいました。

 

 

 

 岩の上で素朴な白い花を咲かせているのは、ホツツジです。

 

 流れの中の岩の上という、養分の少ない場所で、必要最小限の資源で花を咲かせたインテリジェンスな趣を感じさせます。

 

 

 スギの木の下に流れる瀬に、まるで中流域のような玉石が見えています。

 

 穏やかな流れに、長い年月をかけてゆっくりと運ばれてきたのかもしれません。

 

 

 

 もう少し遡ると、いかにも山中の沢らしい光景を見せる「阿修羅の流れ」にでました。

 

 鬱蒼とした緑の中のごつごつした岩の間を、蒼い清流が、白い泡を見せて流れ下ります。

 

 

 

 奥入瀬渓谷の上流域では、渓流の本流に掛かる唯一の滝である銚子大滝が、白い絹のカーテンをかけていました。

 

 水音は聞こえるのですが、絶え間なく、抑揚なく続く水音は、いつの間にか森の緑に溶け込み、周囲は不思議な静けさに包まれていました。

 

 

 

 僅か1時間程の、車での渓谷探訪でした。

 

 本来ならば、なだらかな道を、小鳥達の声を聞きながら、時間をかけて足で巡れば、渓谷本来の魅力を満喫できたかもしれません。

 

 奥入瀬川が静かに、穏やかに流れる薪能のような渓谷は、四季折々に豊かな表情を見せてくれるようです。

 

 しかし、過去に何度か台風による被害で渓谷美が失われた時期もあり、私も何度か訪ねることを諦めた記憶があります。

 

 山や川や海は、いつも同じような姿を見せますが、けして不変ではなく、常に僅かずつ変化を続けています。
 

 

 宇宙に漂う太陽系の、ちいさな地球号の中で、爆発的に増加するホモサピエンスが、地球に大きな影響を与え続けています。

 

 気温が上昇し、気象が大きく変動すれば、27年などという年月を待たずに、八甲田にシュロが侵入するようなことが起こるかもしれません。

 

 放射能も怖いですが、化石燃料を貪り続けた結果、海水面が30㎝上昇すれば、やがてくる大震災時に、東京全体が津波の下に呑み込まれるようなことも予想されます。

 

 27年後の地球がどのようであるかを考え、問題意識を持って地球のさまを見詰め続け、伝え続けることが、年金で暮らす者としての、せめてもの勤めになればと思います。

 

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朝から混浴千人風呂

2015-09-02 01:04:08 | 東北漫遊 花の旅

 

  今回の花の旅は、ゆったりペースとなりました。

 

 この時期は、咲いている花の種類が少ないことと、主な花のスポットは既に訪ねているので、今まで見落とした場所を拾うようなルート選定になったからです。

 

 青森のねぶたを見た後で、何処へ行こうかと考えました。

 

 青森県、岩手県にハスやスイレンの未訪問先は殆ど残っていません。それ以外この時期、花に会える場所は山の上だけですが、猛暑に腰が引けて、山に登っていく勇気が湧きません。

 

 そこで、未訪問の観光地に足を運んでみることにしました。

 

 最初の目的地は奥入瀬渓谷です。

 

 青森市街から国道103号線を八甲田方面へと向かいました。

 

 市街地を抜けた少し先でモヤヒルズの看板が目にとまりました。

 

 モヤヒルズという名には記憶があります。確かコスモスの名所にリストしていたはずです。

 

 国道から外れ、モヤヒルズの中に入って行きました。

 

 記憶通り、スキー場をメインとするレクレーション施設、モヤヒルズのゲレンデにコスモスが咲き始めていました。

 

 まさか、8月上旬のこの季節にコスモスを見るとは思ってもいなかったのですが、さすがに北国だけのことはあります。

 

 

 モヤヒルズを過ぎると、国道103号線は徐々に高度を上げてゆきます。

 

 途中の展望台から、雲の中に岩木山が見えていました。

 

 この山をみると必ず私は、「津軽♪~平野に♪~ 雪降る頃はよ♪~」のメロディと共に、あの吉幾三の人なつっこい笑顔が目に浮かびます。

 

 それにしても「よし、いくぞ~」なんて、考えてみれば、なんともふざけた名前ではあります。

 

 ちなみに、私のカラオケの十八番は「雪国」ですが・・・・・、はい、そんなこと誰も興味ないですよね。

 

 

 更に高度を上げて行きますと、目の前に八甲田山の姿がはっきりと見えてきました。

 

 

 そして、酸ヶ湯温泉に到着しました。

 

 八甲田山に登ったときも含め、この温泉の前までは何度も来ているのですが、実はあの有名な千人風呂に入ったことがないのです。

 

 今度こそはと、朝風呂をしゃれ込むことにしました。

 

 しかし、朝8時から9時までの間は女性専用タイムだとかで、男性は入浴禁止です。

 

 待つこと十数分、今回やっと念願の、男ばかりの混浴千人風呂に浸ることができました。

 

 ん? 語順が紛らわしいです。

 

 「念願の」は、「混浴千人風呂」にかかり、「男ばかりの」とは関係ありませんので、念の為。

 

 

 朝から温泉に入り、身も心もさっぱりと、国道103号を南下します。

 

 ほどなくすると、睡蓮沼にでました。

 

 しかし、時期が遅すぎたのか、花の咲く時間に早すぎたのか、睡蓮沼にスイレンの花の姿を見ることはできませんでした。

 

 

 

 

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ねぶたの花火

2015-09-01 00:12:59 | 東北漫遊 花の旅

 

 平川市を後にしたのは15時前でした。

 

 国道7号をはしって、新青森駅が近づく頃に、仮の目的地に入力しておいた青森駅をoffにしました。

 

 そこから後は、ナビの地図を見ながら、海岸に沿ってはしる松前街道、国道280号線に向かい、国道へ入ってから進路を北に向けました。

 

 やがて、油川の町に差し掛かった頃、交差点で海水浴場の看板を目にしたので、右に折れて海水浴場の駐車場に入りました。

 

 油川海水浴場に人影はなく、駐車場で一晩過ごしても問題は無さそうに思えます。

 

 ここに車を停めて、油川駅から列車で青森駅へ行き、花火が終わる頃に、最終電車で戻る作戦です。

 

 しかし浜辺を歩いてみると、火気、キャンプ禁止の標示が掲げられていました。

 

 更に周囲を見回すと、海水浴場のすぐ近くに民家が建ち並んでいます。

 

 このような、民家近くでの車中泊は避けた方が無難です。

 

 逆の身になって、所在不明の車が家のすぐ近くの空き地に一晩中停まっていれば、気味が悪いと思うのは容易に想像できます。若い娘さんなどが居られる家庭であれば尚更でしょう。

 

 不審者を疑われて、夜中に警察官から職務質問を受けたりすると厄介ですから、別の場所を探すことにしました。

 

 という訳で、気軽で気ままに思える車中泊ですが、それなりのノウハウが必要で、明日からでもすぐに、誰にでもできるというものではありません。

 

 ところで、油川から北へ向かうと、電車で青森まで往復するのに時間が掛かり過ぎて、面倒です。

 

 再び松前街道へ戻り、青森市街に向けて車をはしらせました。

 

 あてはありませんが、車が一晩中停まっていてもおかしくない、フェリーターミナル周辺を目指すことにしました。

 

 これが正解でした。

 

 フェリーターミナルのすぐ近くで、岸壁に車を停めて、多くの人達が釣り糸を垂らしている場所を見付けたのです。

 

 釣り人は夜には居なくなるでしょし、朝は暗いうちにやってくるでしょうから、この場所なら一晩中車を停めておいても咎められることはなさそうです。

 

 早速、近くのスーパーへ食料調達に行き、釣り人達の間に車をすべり込ませました。

 

 キャンプ用の椅子を岸壁にセットして、膝の上に弁当を広げ、津軽ワインのコルクを抜きました。

 

 そして、ふと気付くと、豪華客船アスカが、青森港の特等席に白い優雅な姿を見せていました。

 

 

 やがて、青森港から、お囃子に合わせて「ラッセラー ラッセラー」の掛け声が聞えてきました。

 

 ねぶたの海上運行が始まったようです。

 

 でも、この場所からは距離があり過ぎて、姿がちょっと小さい。

 

 なんでしょう、例えてみれば、外野席の一番奥の最上段から投手戦を見ているような、そんな雰囲気です。

 

 

 しかし、辺りが薄暗くなって、花火が上がる頃になると、絶好のポジションであることが分かってきました。

 

 この頃には、花火見物の車が岸壁を埋め、すぐ隣にワンボックスカーで乗り付けた家族が、椅子を並べ、花火見物を始めました。

 

 周囲は地元ナンバーの車で溢れています。

 

 この場所は地元では知る人ぞ知る、花火見物の穴場なのかもしれません。

 

 

 7時前から始まった花火大会は、ワインが五臓六腑にまわり始めた頃、3尺玉などが夜空を染め、華やかで涼やかな、北国の夏祭りらしい一夜となりました。

 

 

 

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猿賀公園の蓮

2015-08-31 01:07:05 | 東北漫遊 花の旅

 

 車は大館能代空港の滑走路の下を潜り、鷹ノ巣の先で国道7号線に入りました。

 

 この先は、何度も経験のある道が続きます。

 

 今日は時間に余裕があるので、秋田青森の県境で、秘湯として名が知られる日影温泉に入ろうと考えていました。

 

 しかし、温泉入口のやたて峠に近づくと「日影温泉休館中」の看板を目にすることになります。

 

 更に、この記事を書くに当って、日影温泉を検索すると「2014年8月 日影温泉廃業」の記事を認めました。残念です、一度入りたかったのに。

 

  青森県に入り、碇ヶ関を過ぎ、国道7号から県道13号に入り、猿賀公園に正午過ぎに到着しました。

 

 

 予想以上に大きな鏡ヶ池が、夏雲の下に水を湛えていました。

 

 猿賀公園は猿賀神社に隣接する鏡ヶ池と、見晴ヶ池を囲むように作られた公園で、二つの池の周囲には桜が植えられ、夏になると、鏡ヶ池には「北限の和蓮」とされるハスの花が咲き揃います。

 

 

 猿賀神社は、平安時代の802年(延暦21年)に坂上田村麻呂が蝦夷征討で大勝した後、桓武天皇の命により807年に造営されたと伝わる社で、農漁業、交通、眼の守護神として知られています。

 

 それにしても暑い日でした。

 

 天空から降り注ぐ陽射しが肌に突き刺さるようです。

 

 そんな鏡ヶ池に、午後の微かな風に散ったハスの花びらが、小さな箱舟のように浮き、流れてゆきます。

 

 

 

 私は公園内の、さるか温泉の食堂で昼食を摂ることにしました。

 

 暑い日にはカロリーと塩分を多目に補給するに限ります。

 

 いつもの昼食よりカロリー多目の、熱々の辛味噌ラーメンをオーダーしました。

 

 そして食べ終えるとすぐに、さるか温泉の掛け流し天然温泉に浸って汗を流しました。

 

 入浴料は350円、内湯の他に少しぬる目の露天風呂もあり、少し黄色みを帯びた透明なお湯が溢れ、ツルツルスベスベした気持ち良い浴感に、全身から全ての力が抜けて行くような、開放感を味わうことができました

 

 ん~ 最高です。

 

 

 猿賀公園の横の盛美園を覗いてみました。

 

 

 

 明治35年から9年間かけて作られた枯山水で、国指定名勝です。

 

 盛美園には、庭を見るために建てられた和洋折衷の盛美館がありました。

 

 一階は、純和風の数奇屋造り、二階は、8角形の展望室を持ったルネッサンス調の珍しい建物で、我が国では他に例がないといわれています。

 

 

 私は今日まで、日本全国に足跡を残してきたつもりですが、まだまだ未見のものがあることを改めて認識させられたことでした。

 

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翠雲公園あじさい園

2015-08-30 00:14:21 | 東北漫遊 花の旅

 

 竿燈祭りに感動したので、もう一つの東北三大祭り、青森ねぶたへと足を伸ばすことにしました。

 

 青森ねぶたも初めてではありませんが、二度目の竿燈祭りが印象深かったので、青森ねぶたもきっと期待に応えてくれるはずです。

 

 この日は、青森ねぶたの最終日でした。

 

 最終日にはねぶたの海上運行と花火大会が見れれるはずです。

 

 秋田から北上し、途中でハスの花を楽しみながら、夕方に青森に着くスケジュールを考えました。

 

 懸念されるのは、数百万人もが集まる祭りの日に、車を停める場所が確保できるのでしょうか?


 青森湾の地形を頭に浮かべ、青森市内を離れて、近隣の海岸に陣取れば、海上に上がる花火を見物できる筈と考えました。

 

 最初から青森市内へは入らず、北寄りの、津軽半島の海岸線を探せば何とかなるだろうと考えました。

 

 ナビに一応の目安として青森駅を入力すると、一般道を通って約185㎞、6時間30分と表示されました。多分ナビの計算程には掛からないでしょう。

 

 途中で、青森県平川市の猿賀神社に寄ってハスを見るつもりです。

 

 何処かで温泉を探して、汗を流すことができれば最高です。

 

 秋田の北部に森吉山、田代岳という花の百名山があり、登山用の地図も用意したのですが、猛暑が収まる気配もないので、山登りはパスしました。

 

 秋田市内を出て、国道7号線を北へはしり、五城目町から国道285号線に入りました。

 

 交差点も信号もない、のどかな一本道をはしり続けます。

 

 オーディオから今井美樹の小鳥の囀りのような声が聞こえていました。

 

 「本当は誰もが願いを叶えたいの

 だけどうまくゆいかない時もあるわ

 

 希望のかけらを手のひらにあつめて

 大きな喜びへと変えてゆこう」

 

 うん、そうだねよね・・・

 

 緑溢れる田舎道は気持を素直にしてくれます。

 

 「信じていて欲しい あなたのことを」

 

 そうそう、そうゆうこと。

 

 シンプルな詞が心に滲みます。

 

 鼻歌交じりにはしっていると、「合川町 翠雲公園あじさい園」の看板が目に入りました。

 

 そうでした、ここもアジサイの名所としてリストしていたのですが、すっかり忘れていました。

 

 全くもって偶然に、アジサイの名所を通りかかったのです。

 

 花を巡る旅では、途中で虫食い穴のようにポツンと訪問先を残すと、再度訪れることは難しくなります。

 

 アジサイが私を呼んでくれたのでしょうか。

 

 

 

 こんなに北の地でも、流石にアジサイの最盛期は終わっていました。

 

 それでも、かなりの広さの公園にアジサイが溢れんばかりに植えられています。

 

 ベンチに寛ぐ町の方に、

 

 「すごい数のアジサイですね! この公園はいつからですか?」と聞いてみました。

 

 「もう30年近いね、今年はもう終わりかけているけど、花の盛りは見事なだよ」と教えてくれました。

 

 

 

 町民の方達がボランティアでアジサイを育て、手入れをしているそうです。

 アジサイの脇に寄付した人の名を記した小さな名札を目にしました。

 

 20年、30年先の姿を脳裏に描き、町外れの公園に花を育てた人々の郷土愛と、その志を一つにまとめた、名も知らぬ人の思いがアジサイ林の奥に見えるような気がしました。

 

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青い空の日の夜祭

2015-08-29 00:03:21 | 東北漫遊 花の旅

 

 男鹿半島の南海岸に沿って気ままなドライブ続け、入道岬にやってきました。

 

 何処の岬も、その先は空と海が広がるばかりなのですが、それぞれの岬ごとに、こんなにも印象が異なるのは何故なのでしょうか。

 

 いつも見るのに、いつも見果てぬ空と海の広さ、いつも見るのに、いつも移ろう空と海の青さが岬の印象を違えるからなのでしょうか。

 

 

 入道岬は北緯40度の天色のピアノ線上にありました。

 

 赤道がドならば、入道岬はファ♯を奏でるはずです。

 

 目の前の海と空に響く音色は豊かな音域へと広がる旋律を予測させます。

 

 振り返れば、北緯40度の緯線に沿って、世界を巡る旅へ誘うかのようなモニュメントが木立の中へと続いていました。

 

 誰かが「片雲の風にさそはれて 漂白の思いやまず・・・」と呟く声が聞こえてきそうな、そんな気がする岬の風景でした。

 

 

 

 男鹿に来ると寄らずにはいられない場所が寒風山です。

 

 寒い風の山とは、何とシュールな名前でしょか。

 

 寒風山は木が殆ど生えない、表面の大半を草に包まれた標高355mの低山です。

 

 しかし、低山でありながら頂からは360度のパノラマを楽しむことができ、目の前に浮かぶ白い雲を眺めながら、爽やかな風に吹かれていると、心の底まで、草原の空色の緑に染められてゆくような安堵感に満たされます。

 

 

 

 頂上には回転展望台や売店などがありますが、その横にユーモラスな表情のなまはげ君を見付けました。

 

 しかし、なまはげ君が「わるいごはいねが~」と叫びながら家々を巡ったとしても、こんな美しい環境に、悪い子が育つ筈はありません。

 

 

 

 寒風山でどれほど、風に吹かれていたでしょうか。

 

 青年よりも年嵩が増したと思える風貌の若者が、麓から自転車で登ってくる姿を眺めながら、何とか頂上まで辿り着ける様子に安堵して、再び秋田市内を目指すことにしました。

 

 もう少しで午後4時になります。

 

 ほど良いタイミングで寒風山を後にすることができました。

 

 

 

 

 

 今日は秋田港に、豪華客船のダイアモンド・プリンセスが入港していました。

 

 秋田市内の道路には観光バスが列をなしています。

 

 県庁前から続く山王大通りに、闇夜を照らす竿燈が連なり揺れます。

 

 この夜の竿燈は279本を数えたそうです。

 

 4種類ある竿燈のうち最も大きなものは高さ12m、重さ約50キロで、46個のちょうちんに飾られています。

 

 

 

 竿燈の横で、はっぴとはんてん姿の御嬢さんがバチを両手に大太鼓を精一杯叩く音が響き、笛の音と共に「ドッコイショー、ドッコイショー」の掛け声が通りにこだまします。

 

 差し手が額や腰で竿燈を支え、片手に持ち上げる妙技を披露すると、沿道から大きな拍手が沸き起こります。

 

 

 

 目の前で、○○幼稚園と記した竿燈を園児達が差し上げました。

 

 そうなのか!

 秋田では幼稚園児が竿燈を差すのです! 

 

 竿燈祭りは国の重要無形文化財ですから、次の世代へと伝承する工夫が為されているようです。

 

 このような土地にはきっと、「わるいごはいね」はずです。

 

 

 祭りは更に盛り上がり、大きな竿燈を撓らせて、見せ場を演出する名人芸が次々と披露されました。

 

 広い道路の中央にはスチールパイプを組んだ特別観覧席が設けられ、目の前へ倒れ掛かりそうな程に揺らぐ竿燈に歓声が上がっていました。

 

 

 20年以上も前に初めて竿燈を見た時は、風のある日だったので、竿燈が次々と倒れましたが、この日は風もなく、昼の暑さも和らぎ、絶好の祭り見物の夜となりました。

 

 

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ゴジラとナデシコ

2015-08-28 12:31:48 | 東北漫遊 花の旅

 

 男鹿半島には1度来ていますが、その時は駆け足だったので、主要な場所にしか寄りませんでした。

 

 しかし、北海道へ旅する時に、新潟苫小牧航路のフェリーから男鹿半島の南側に見事な海岸線が続くのを見て、一度はゆっくり訪ねてみたいと考えていました。

 

 男鹿半島と言えば、高温に熱した石を使った「石焼料理」が有名ですが、流石にこの猛暑の中で熱々の鍋料理を食べる気になりません。

 

 でも、折角男鹿に来たのですから、何かそれらしいものが食べたいと思いました。

 

 大潟村の南の池公園を出ると、途中で道の駅に寄って、観光案内所で幾つかのパンフレットを貰い、その中の「男鹿グルメガイド」を参考に、船川港の食事処へ向かいました。

 

 ナビにパンフレットの住所を入れ、13時前にはテーブルに付くことができました。

 

 ハタハタ丼、ぶぐラーメン、しょっつる焼きそばの何れかと迷ったのですが、ハタハタは冬がシーズン、ラーメンも暑そうだったので、消去法でしょっつる焼きそばを注文しました。

 

 

 夏休みの為か、頭にバンダナを巻いた中学生ぐらいの男の子がテーブルに運んできた、しょっつる焼きそばは素朴なしょっつるの味がしました。

 

 男鹿に名物を作ろうという心意気を感じます。

 店内は若い御嬢さん達が切り盛りしています。

 お店にはひっきりなしに客が出入りしていました。

 

 

 船川港でお昼を済ませ、県道59号を岬の先に向けてはしり始めました。

 

 10分程もはしると、偶然県道脇に「天然記念物 つばき自生北限地帯」という看板を目にしました。

 

 そうなんです、男鹿に椿の名所があることをすっかり忘れていました。

 

 事前に旅行先の花所を確認しますが、季節外れの場所まではチェックしきれていませんでした。

 

 

 

 看板には

 

 「指定年月日 大正11年10月12日、 所在地 船川港椿字家の後12-19、 面積432㎡、 ここは能登山と称する小丘で、全山ヤブツバキに覆われています。特に南から南東側の斜面に多く認められます。平成6年の調査によると総個体数573本、昭和57年の調査より多くなっています。青森県夏泊半島と共に、北限地帯のヤブツバキ群落としての群生価値は大変高いものです。」と記されていました。

 

 

 

 再び県道59号を西に向かいますと、数キロ先に「ゴジラ岩」の看板が見えました。

 

 県道から渚へ降りる道が続き、渚には数台の車が停まっていました。

 

 子供達が潮だまりで、磯遊びをしていました。

 奥に見えるのは帆掛島でしょうか。

 

 

 磯の先に潮瀬岬の灯台が見えています。

 

 

 しかし、ゴジラ岩は何処にあるのでしょう?

 

 岩の海岸を岬の先端へと進んでゆきました。

 

 大きな岩を廻り込むと、右手に何やらそれらしき岩礁が見えました。

 

 これがゴジラ岩か! 

 

 実物のスケールはそれ程ではありませんが、写真に撮ってみると、実物以上に見栄えがするのは、背景に何もないことが効果を上げているのだと思えます。

 

 

 そして、こんな岩だらけの海岸で、可憐な花を見付けました。

 

 カワラナデシコです。

 

 

 ゴジラの後でナデシコに巡り会うとは、何かドラマのシナリオじみた気もしますが、栄養の少ない、潮風に晒されたこんな辺境な地に花を咲かせるナデシコの生命力に驚かされました。

  

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白い雲が浮かぶ空の下で

2015-08-27 23:19:59 | 東北漫遊 花の旅

 

 千秋公園の濠に、見事なハスの花が朝の光を浴びていました。

 

  

 ハスの花は水のある場所に咲くことから、全国の城跡濠に数多くの花ハスの名所があります。

 

 秋田の千秋公園は、1602年に秋田に移封された佐竹氏が築いた久保田城跡を、明治時代に公園として整備したものです。

 

 昭和40年以降、濠にハス花を咲かせようとの計画が進み、現在は濠の半分をハス花が埋めるまでになっています。

 

 私は今まで、秋田城址が千秋公園だと思い込んでいたのですが、今回の旅で秋田城跡と呼ばれるものは市内の別の場所にあることを初めて知りました。

 

 今まで何度も秋田に来ていますが、花にしか目を向けていなかったのです。

 

 

 

 このブログを書くようになって、花以外の幅広い事象を、今まで以上に丁寧に観察し記録するようになりました。

 ブログを続けてこれたのは、そんな変化を成長と捉える喜びがあったからです。

 

 

 千秋公園公園内にある佐竹史料館で、企画展「秋田藩で花開いた学問」が催されていたので入館することにしました。

 

 9代藩主佐竹義和は藩校としての明徳館と数多くの分校を創設し、明徳館には医学館も作られ、薬園を整備したこと等が資料とともに説明されていました。

 

 新潟県長岡藩の「俵百俵」の逸話や、米沢藩での上杉鷹山を想い出します。

 

 日本では昔から、教育の重要性に気付き、子孫への投資を積み重ねてきました。

 

 そのことが、日本のような資源の殆どない国が、平和と繁栄を享受し得た大きな要因なのだと思います。

 

 これからも更に広い視野を持ち、子供達に算術ばかりでなく、歴史などの人文科学系の教育をも施し、人間の本質を悟る知恵を育むことが大切だろうと思います。

 

 

 久保田城跡には、平成元年に再建された本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)がありましたが、史料館で時間を使い過ぎたので、中へは入らずに千秋公園を後にしました。

 

 

 

 千秋公園で予想外の時間を費やしましたが、何とか夕方までに秋田市内へ戻り、竿燈祭りを見物しようと考えていました。

 

 昨日の下見で、車中泊できそうな場所を、郊外の数か所に目星を付けてあります。

 県庁前の八橋運動公園に設けられる無料駐車場を利用すれば、時間を気にせずに竿燈祭りを見物できる筈です。

 

 夕方まで、どうすれば時間を無駄なく費やせるかを考えました。

 

 八郎潟干拓地の南の池公園でハス花を見た後、男鹿半島を巡ってくれば、ちょうど好い時間に戻れそうだと判断しました。

 

 今回の旅に出る前、どんな状況にも対応できるよう、自分のホームページからハスやヒマワリ等の名所をプリントし、ファイリングしてきました。

 

 携帯用のノートパソコンにも全てのデータを入れてありますので、気に入った場所で気ままに時間を費やしても、別のプランが準備できますので、旅が滞ることはありません。

 

 八郎潟干拓地の大潟村南2丁目の南の池公園に、正午前に着くことができました。

 

 

 公園の中に続く未舗装の道を車で進んで行くと、白い雲が浮かぶ空の下に、ピンク色の花ハスに飾られた、南の池が広がっていました。

 

 

 何も考えず、何も思わず、ただ黙って夏の陽射しを浴びていました。

 

 何もせず、惑いもせずに、ただ時間だけが流れ過ぎてゆきます。

 

 こんな時間を過ごす為だけに、人生の旅を続けてきたのかもしれないと思う自分が、ハスの花を見続けていました。

 

 

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