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青春18きっぷが有効なのはJR久慈駅まで

2024-03-31 00:27:20 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は有家港を過ぎた辺りで標高を上げて、海へ落ち込む急峻な斜面の縁を走り始めました。

 

 斜面にマツが育ち、斜面の下の岩礁に砕け散る白い波が見えました。


 有家港を境として地形が大きく変化したようです。

 


 程なく列車は陸中中野駅に停車しました。


 植え込みにアジサイが青い花を咲かせていました。


 アジサイは通常5~7月に花を咲かせますが、今は8月下旬です。


 実はこの辺りでは、6~8月にヤマセと称する、オホーツク高気圧から流れ込む、北東からの冷たく湿った風が吹き込み、ヤマセが続くと、イネの生育に被害が出て、大飢饉や不作を招く歴史を重ねてきました。


 季節に遅れて青く咲いたアジサイはそんなことを思い出させます。

 


 陸中中野を発車した列車は右方向に進路を変えて、海岸から離れ始めました。


 濃い緑の森に包まれた、猫の額ほどの畑を横目に列車は進みます。

 


 車両先頭の窓から景色を見ると、この先に線路が続くことを疑いたくなります。

 


 そんな景色の中を走り続け、列車は侍浜(さむらいはま)駅に停車しました。


 侍浜とは興味深い地名ですが、1614年に南部藩主・南部利直が津波の被災地を巡視した際、休憩した花崗岩の岩が「侍石」と呼ばれ、それが地名の由来になったとする説、あるいは、侍が開拓した地との説もあるそうです。

 


 列車が侍浜駅を離れると直ぐに、線路の下に落ち着いた雰囲気の家並が見えました。


 人里離れた濃い緑の森を走り続けてきたので、この光景はちょっと意外でした。


 この辺りをグーグルマップで見ると、緑の丘陵地を縫う谷に沿って、畑や民家が並びます。


 室町時代に侍浜八幡宮が建立された頃から、更にはもっと昔から、この地に受け継がれてきた人々の暮らしを垣間見るような気がしました。

 


 侍浜駅を出た列車は緑の中を進み、丘陵地を下り、少し開けた場所に設けられた陸中夏井駅に停車しました。


 貨物車掌車を改造した駅舎が朝日を浴びていました。


 以前訪ねた宗谷本線の駅の風景を想い出します。



 陸中夏井駅を発車した列車は大きく進路を西に変え、数分後に久慈川を渡り、

 


 八戸駅を7時17分に発車した八戸線の普通列車は1時間47分の運行を終えて、9時04分、久慈駅に到着しました。

 


 さて、今回の旅は青春18きっぷで、東京と日本最東端の街根室を往復する旅ですが、青春18きっぷが有効なのはJR久慈駅までです。


 久慈から先の三陸鉄道はJRとは別の第三セクター鉄道ですから、改めてきっぷを買い求める必要があります。


 筆者は2019年に、青春18きっぷで東京・稚内間を往復しました。

 

 その時、日本の北半分を普通列車のみで往復縦断できることを確認しましたので、今回は青春18きっぷに拘らず、日本で一番長い第三セクター三陸鉄道の旅を試みることにしました。


 三陸鉄道の宮古行き列車は10時39分に久慈駅を発車します。


 久慈で1時間35分の待ち時間を得ましたので、いつもの通り、気ままに街を散策することにしました。

 

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三陸海岸北部の穏やかな景色

2024-03-30 00:08:53 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

宿戸(しゅくのへ)駅を過ぎると、車窓に海が広がりました。

 


 列車が海岸線に沿って走り始めてから、来し方を振り返ると、緑に包まれた台地状の地形が見えました。


 青森県の大久喜駅付近を過ぎて、列車は少し標高の高い場所を走っていたようです。

 


 そして直ぐに、線路脇に屋根の高さを超える防潮堤が現れました

 


 しかし、列車が陸中八木(りくちゅうやぎ)駅に停車すると、駅から海が見えました。


 この場所に防潮堤が無いのは、駅前の八木港に堤防があるからだと思います。

 


 振り返ると、港外の海岸に、先ほど見てきた防潮堤が白い壁を連ねていました。

 


 陸中八木駅を出ると列車は海岸線に沿って走り始めました。


 リアス式三陸海岸のイメージとは異なる、平穏で緩やかな砂浜が曲線を描いていました。

 


 そして、あの東日本大震災の時、この穏やかな海が猛り狂った日の被害を記録したHPを見つけました。


 そのページを見ると、陸中八木駅の構内で、工事用車両が横転し、ひっくり返って車体の腹を見せています。


 しかしその一年後に八戸線は復旧し、今現在、鉄道ファンに素敵なシャッターチャンスを提供してくれています。

 

 陸中八木駅を出た列車は4分後に有家(うげ)駅に停車しました。


 有家は珍しい地名ですが、この地は古くからアイヌ語由来の「うげ」と呼ばれていたようです。


 一方この地方には、古今和歌集の選者として知られる藤原有家が、無実の罪で流罪となり、この地に流れ着き、彼の死後に有家神社を建立し、それが地名になった、との伝説が語り継がれるそうです。

 


 有家駅は海風をまともに浴びる場所にあります。


 しかし、潮風から線路を護る遮蔽物は見当たりません。


 津波さえ来なければ、東向の海岸は、冬の厳しい西風が吹きすさぶ日本海側より海が穏やかなのかもしれません。


 ちょっと不思議な気がして、グーグルマップの写真を眺めていると、おかしななことに気づきました。


 種市から有家辺りにかけて、海岸線に沿って海底が白っぽいのです。


 何故だろうと思って検索すると、洋野町ジオサイトというHPがヒットしました。

 そこには「洋野町種市の海岸部には、浅瀬に10数キロも続く岩盤地帯があります。」と記されていました。


 そして、その岩盤に深さ3mの溝を掘って、ウニやアワビの稚貝を放流し、育てているそうです。

 

 クリーンな自然環境の中で良質なウニが育つそうです。


 なる程。浅瀬の海は、波を作る為の海水量が少ないので、高波が立ちにくい筈です。


 更には、この海岸は冬もサーフィンを楽しむ人の姿が見られるスポットだそうです。

 

 海底に均一な深さの岩盤があれば、均一な程好い高さの波に恵まれるのでしょうか。


 何だか洋野町、よさげな町です!

 


 走り行く列車の窓から、穏やかな海の景色を眺め続けました。


 嫋やかな曲線を描く海岸に白い波が寄せ、マツ林が波打ち際のすぐ横で、濃い緑の葉を揺らしていました。

 


 線路の下に有家漁港が見えてきました。


 その漁港に接したプールのような施設が見えます。


 さけ・ます孵化場だそうです。


 漁港の横を流れる有家川(画面右手斜面の下)を遡上してきたサケは、ふ化場内の水路に誘導されるそうです。

 

 三陸海岸は豊かな海の恵みに溢れているようです。

 

 

 

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普通列車の旅は、珍しい地名に出会える

2024-03-29 00:08:58 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車が陸奥白浜駅を出ると、再び車窓に松林が続きました。

 


 鮫角灯台から続く海岸線に、樹齢70年以上の松並木が続き、「淀の松原」の通称で呼ばれます。


 この辺りの海岸は、1956年の「大須賀海岸砂防造林事業」により、海岸林としてクロマツが植えられました。そして今は「日本の白砂青松100選」の一つに選定されるまでになりました。


 次いで列車は種差海岸駅に停車しました。

 


 この種差の地名は、アイヌ語の「タンネ・エサシ(長い・岬)」が語源と説明されます。


 駅から5分ほどの海岸にある「種差天然芝生地」は、種差海岸でしか見れない特徴的な風景が広がります。

 

 2010年8月11日撮影


 列車が大久喜駅に停車すると、海に突き出た岬と島が見えてきました。その島の厳島神社の鳥居が、東日本大震災時の津波でアメリカ西海岸まで流され、返還後に再建されたことから、「奇跡の鳥居」と称されます。

 


 列車は三陸海岸に沿って南下し、金浜(かねはま)駅に停車しました。


 青森県教育庁の資料によれば、「金浜」には砂鉄等が産出した可能性があるそうです。


 金浜駅の次は大蛇(おおじゃ)駅ですが、「大蛇」の地名は、この地に「ホロド沼の大蛇が道行く人を襲うので、村人がマタギに大蛇退治を依頼し、神楽をやって待っていると、見知らぬ娘が現れました。

 

 古老があの娘が主だと言うと、娘は沼へ逃げ込み、大蛇に姿を変えました。これをマタギが鉄砲で撃つと大蛇の姿は消え、沼から水が流れ出し、沼は干潟になった」、との話が伝わることが地名の由来なのだそうです。

 


 列車は大蛇の次に階上(はしかみ)駅に停車しました。


 階上の地名の由来は様々ですが、町の名は階上岳の山名にちなんで命名され、はしかみ=はし(端)+かみ(上)の意と説明されます。


 私は主に車に寝袋を積んで全国を旅してきましたが、訪ねた土地の名をこれほど意識したことはありません。


 しかし、普通列車の旅では、このような珍しい地名に出会える楽しみがあることを再認識させられました。

 


 階上駅を発車した列車は2㎞程で「二十一川」という小川を渡り、県境を越えて岩手県に入りました。


 岩手県に入ると列車は直ぐに速度を落とし、角の浜(かどのはま)駅に停車しました。


 そして角の浜駅は岩手県最北端の駅です。

 


 私はノンビリと、窓の緑を眺め続けました。


 畑が広がる線路脇に海は見えません。


 この辺りの標高は少し高いのか、津波の被害は殆どなかったようです。


 平内駅を過ぎた辺りの車窓に平穏な風情の畑作地が広がっていました。


 そういえば平内駅の近くに、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となった岩手県立種市高校があり、当校の海洋開発科では伝統的な潜水法である「南部もぐり」を継承する授業が行われています。

 


 平内駅の次は、洋野町の中心駅である種市駅ですが、駅票と駅の光景を撮りそこねました。

 


 列車は種市駅、玉川駅で定期的な停発車を繰り返しながら久慈を目指します。


 線路の両側は鬱蒼とした緑に包まれ、景色に大きな変化はありません。

 


 そして玉川駅を過ぎた辺りで、列車が標高を落とすと、窓に田んぼが見えてきました。

 

 

 

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JR八戸線久慈行きに乗り換えました

2024-03-28 00:33:17 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 八戸でJR八戸線の久慈行きに乗り換えました。

 

 八戸発7時17分の列車は高校生で満員でした。

 

 席に座った高校生がノートや参考書を膝に広げています。

 

 今日は8月23日ですが、高校生は早々に夏休みを終え、厳しい受験競争に戻ったようです。

 

 

 八戸駅を出た列車は青い森鉄道としばらく並走した後、進行方向を東に変えました。

 

 私は列車のつり革に掴り、片手で車外にレンズを向けてシャッターを切りました。

 

 その画像に並走する線路が写りますが、三菱製紙工場へ向かう八戸臨海鉄道のようです。

 

 

 そして列車は長苗代(ながなわしろ)駅を過ぎ、さっきまで私がマブチガワと読んでいた、馬淵川(まべちがわ)を渡りました。

 

 

 列車は本八戸駅、小中野駅を過ぎて新井田川(にいだがわ)を渡り、

 

 

 陸奥湊(むつみなと)駅、白銀(しろがね)駅で停発車を繰り返しながら進んで行きます。

 

 殆どの高校生が白銀駅で降りると、次の鮫(さめ)駅辺りからやっと、駅名票が撮影できるようになりました。

 

 「鮫」とは珍しい駅名なので調べてみると、「名の由来は魚の鮫ではなく、『沢(さわ)』がなまって『さめ』になったらしい」だそうです。

 

 

 列車が鮫駅を出ると左手に、蕪嶋神社が鎮座する蕪島(かぶしま)が見えてきました。

 

 蕪島は、旧日本海軍が埋め立て工事を行い、今は陸続きですが、全国有数のウミネコの繁殖地で、大正11年に国の天然記念物に指定されています。

 

 

 列車が蕪島を過ぎ、鮫角(さめかど)灯台の下で南へ進路を変えると、車窓に太平洋の海原が広がり、この辺りから宮城県の金華山まで約600㎞も続く三陸海岸が始まりました。

 

 

 私が三陸海岸を旅するのは今回が三度目です。

 

 最初は2010年、次が2015年で、二回とも自家用車の旅でしたから、一度は列車の窓から三陸海岸を眺めてみたいと思っていました。

 

 そして今回、走り続ける列車の窓に、見覚えのある景色が朝日に輝きます。

 

 

 海岸線を走る列車の窓に、松林が幾度も姿を現します。

 

 昨日まで旅してきた北海道の海岸線で見ることがなかった光景です。

 

 そして100年程前まで、この光景は、人々の脳裏の中で稲作と結びついていました。

 

 走り続ける列車の窓に映る木々の姿に、様々な思いが沸き出ます。

 

 定年後に始めた、木を見る作業が、旅の楽しみを倍増させます。

 

 

 松林を抜けると、大須賀海岸の穏やかな景色が現れました。

 

 大須賀海岸は、踏むとキュッキュッと音が鳴る鳴砂が2㎞以上も続き、6月中旬から7月中旬頃にかけて、650種を超える野草が花を咲かせるそうです。

 

 そんな季節に訪ね来て、花を愛でながらこの白浜を歩きたい思いが募りました。

 

 それにしても、70歳を過ぎましたが、やりたい事が多過ぎて、命が幾つあっても間に合いそうもありません。

 

 

 そして列車は陸奥白浜駅(海の見える駅 村松 拓氏)に停車しました。 

 

 列車が少し高台にある駅に停まると、眼下に水平線が広がりました。

 

 

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青い森鉄道 普通電車の旅

2024-03-27 00:05:05 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は千曳(ちびき)駅を通過し、乙供(おっとも)駅に停車しました。


 乙供の地名はアイヌ語の「オタ(砂地)トモ(はずれ)」が由来と言われます。


 昔は乙供駅から、国内最大の銅産出量を誇る上北鉱山を結ぶ軌道があり、駅の周辺は賑わい発展したそうです。

 


 列車が乙供駅を過ぎると、右手にこんもりとした山塊が見えてきました。
八幡岳辺りだと思います。


 だとすれば、山稜の左手に奥入瀬渓谷の流れがあるのでしょうか。


 そして車窓に田園風景が広がりました。

 


 列車は青森駅発車後1時間で上北町駅に到着しました。


 上北の地名は、明治11(1878)年施行の郡区町村編制法で、それまでの「北郡」を二つに分け、東京に近い南側を「上北」、遠い北側を「下北」としたことに因ります。


 下北半島の地名はこのことに由来するのでしょうか?

 


 上北駅を過ぎると列車は長い直線区間に入りました。


 この辺りが平坦な地勢であることが分かります。


 明治維新前の日本経済は、稲作が基盤ですから、このような景色を見ると、平穏で安定した人々の生活が想像できます。

 


 程なく列車は小川原駅に到着しました。


 小川原は「こがわら」と読みます。


 小川原駅に隣接する小河原湖(おがわらこ)は、昔は小川原沼(こがわらぬま)と呼ばれましたが、昭和33年に小川原湖(おがわらこ)と名を変えました。


 青い森鉄道の小河原駅は昭和28(1953)年にJRの駅として開業したので、駅名は「こがわら」と読みます。

 


 列車はその後も順調に走り続け、三沢駅に停車しました。


 三沢市で真っ先に思い出すのは、太田幸司投手を擁した三沢高校の甲子園での活躍です。

 

 ウィキペディアで確認すると、今から55年前の1969(昭和44)年のことですが、私は夏休みのテレビにかじりつき、三沢高校と松山商業の決勝戦を見続けた記憶があります。

 


 三沢の次が向山(むかえやま)駅ですが、どんな駅かとググってみると、「向山駅愛好会」というブログを見つけました。

 

 東北の人々のつつましさ、優しさみたいなものを感じ、勝手にリンクさせて頂きます。

 


 そして列車は奥入瀬川を渡りました。

 


 列車が奥入瀬川を渡ると直ぐに、下田(しもだ)駅に停車しました。


 下田という地名は「奥入瀬川の下流に開かれた田畑」が由来だそうです。


 下田駅は旧下田町の代表駅でしたが、下田町は2006年に百石町と合併し、おいらせ町となりましたので、現在の駅の住所は上北郡おいらせ町境田です。

 


 駅の周囲に緑の田が広がり、のどかで鄙びた雰囲気の景色が広がっていました。

 


 そして青い森鉄道の普通電車は、青森を発車して90分後の7時10分に八戸駅に到着しました。

 

 

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三陸鉄道で三陸海岸を南下する予定です

2024-03-26 00:29:53 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 青函フェリーは3時20分に青森埠頭に到着しました。

 


 フェリーターミナルで夜明けを待ちます。

 


 4時半ごろ、東の方角に八甲田山塊が見え始めたので、青森駅へ向かって歩き始めました。

 


 メマツヨイグサが歩道の脇でカナリア色の花を咲かせていました。

 


 車道の反対側にアカマツが並んでいます。

 


 足元に、アカマツの実生が育ち始めていました。


 津軽海峡を渡り、アカマツの自生可能な環境に入ったことが分かります。

 


 その横で、ヒルガオが薄桃色にラベンダー色を重ねた花を咲かせ、ガガイモが象牙色の花弁にアズキ色の星を見せていました。

 

 

 

 そして5時1分、東の空に突然太陽が姿を現しました。


 オレンジ色の輝きが、今日一日の安泰を予告しています。


 そんな風に思わせる朝が始まりました。
 
 青森ベイブリッジの手前で道路を渡り、パチンコ屋の駐車場に沿って青森駅へ向かいました。

 


 駅の西口に人影はなく、5日前に、この場所に降り立った日が遠い昔のことのように感じられました。

 


  駅の東西をつなぐ連絡橋を進み、改札口の前に立つと、りんごジュースばっかりのりんご自販機が私を待っていました。

 

 


 改札口で、青春18きっぷに5回目の検印を受け、青い森鉄道の列車が待つ1番線ホームに下りました。


 青春18きっぷは、JRのみ利用可能で、青い森鉄道は第三セクターでJRではありません。しかし特例として、八戸駅で八戸線に乗り継ぐ場合等に限り、青森-八戸間の青い森鉄道が利用できます。


 今日はその特例を利用し、八戸から久慈へ、そこから三陸鉄道で三陸海岸を南下する予定です。


 一度は乗りたいと思っていた三陸鉄道です。


 何だかわくわくしてきました。

 


 青い森鉄道の吊りポスターに、


 「青い森鉄道の青森駅~目時駅間は121.9kmで、車両はその先の盛岡駅まで乗り入れている」、

 

 
「年間約450万人、一日当たり12.000人の利用者がある」と記されていました。

 


 ウィキペディアに、「青い森鉄道は当初、年間約16億円の赤字が見込まれていたが、需要に即した増便や駅の新設などの対策を行い2017年には黒字を達成した」と記されます。

 

 青い森鉄道の八戸行き始発列車は5時40分に青森駅を発車しました。

 


 青森駅を発車すると高架線を走り始めました。


 市街地の家並が朝陽を受けて輝きます。

 


 列車は6分後に筒井駅に停車しました。


 筒井駅は東北本線が青い森鉄道に移管後初めて開業した駅で、通勤通学の利用促進を目的に新設されたそうです。

 


 列車は東青森、小柳、矢田前、野内の各駅で停発車を繰り返します。


 青い森鉄道でも駅名票の撮影を試みましたが、限られた駅でしか撮影できませんでした。


 しかし今思えば、駅の様子だけでも撮影しておくべきでした。

 


 そして列車は浅虫温泉駅に停車しました。


 車窓に、青森湾に浮かぶ湯ノ島が見えています。
 


 列車は西平内駅を通過し、次の小湊駅に停車しました。


 この辺りから野辺地にかけて見られる杉林は、日本初の鉄道防雪林です。

 


 
 列車が清水川、狩場沢駅を過ぎて野辺地に停車すると、車窓に「日本最初の鉄道防雪林」の碑を認めました。


 この鉄道防雪林は、東京帝国大学造林学教授である本多清六の進言によって植栽され、本多はドイツ留学の帰路に立ち寄ったカナダの、パシフィック鉄道の防雪林からこのアイデアを学んだそうです。

 

 

 

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芦別岳本谷 雪の急斜面

2024-03-25 00:13:53 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 8月22日の朝、十数年ぶりに帯広駅を眺めました。


 2~3年に一度は帯広を訪ねていますが、ほぼ全てが自家用車での訪問なので、帯広駅を見ていないのです。

 

 駅は以前よりこざっぱりした印象に変わっていました。

 

 
 駅前の温度計が23.5℃を示しますが、その最大値は35℃で最小値がマイナス35℃です。

 

 帯広は夏が暑く冬は寒い大陸性気候なのです。

 


 帯広駅で、青春18きっぷに4度目の検印が押され、私は6時51分発の新得行きに乗り込みました。

 


 十勝平野の懐かしい景色を楽しみながら新得に向かい、新得駅で8時0分発の代行バスに乗り換えて東鹿越へ向かいました。


 根室本線の新得-富良野間は2024年3月末に廃止されますので、このバスに乗れるのはこれが最後です。

 


 バスは順調に走り続け、9時8分に東鹿越に到着し、東鹿越で9時16分発の滝川行きに乗車しました。

 


 発車した列車が山部に近づくと、今日こそ芦別岳を拝みたいと願ったのですが、状況は昨日と同じでした。

 


 1978年の3月下旬頃と思いますが、芦別岳新道からピークを経て、旧道経由でユーフレ小屋へ下ったことがあります。


 その時、旧道の1579m地点から、芦別岳を写した写真があります。

 

 

 昨年記した「芦別岳・夕張岳の想い出」のコメント欄に、後輩の森さんが、「2022年の5月に芦別本谷を詰めた」と記してくれましたが、その本谷とは、上の写真のピーク右手の鞍部へ、沢を一直線に上り詰める雪の急斜面です。

 

 森さんも多分古希を迎えた筈ですが、たいしたものです。
 
 

 そして列車は富良野を過ぎ、
 

 

 水清き空知川を渡り、滝川を目指しました。

 


 列車が次の野花南駅に停車すると、駅裏の民家にアカマツらしき木を認めました。


 今回の目的の一つが、北海道のアカマツ、クロマツの分布確認なので、私はちょっと嬉しくなりました。

 


 更に列車が赤平駅に着くと、駅に接する公園にアカマツを認めました。


 記事を書くに当たり、この地域の年間最低気温を調べると、富良野-14.4℃ 滝川-11.7℃ 芦別-11.3℃ (1991~2020年平均値)で、富良野より下流域の芦別、滝川は富良野より3℃程最低気温が高いことが分かりました。

 

 以前の「別寒辺牛(ベカンベウシ)湿原でシカに急ブレーキ」で記したように、厚岸駅でクロマツらしき木を見ましたが、厚岸町の榊町アメダスが記録した年間最低気温は-11.7℃です。

 

 このことから推測するアカマツ、クロマツの生育限界最低気温は-11℃辺りかもしれません。


 これからも観察を続けたいと思います。

 


 赤平を過ぎた辺りで、車窓に田園風景が広がりました。


 日本の文化芸術の成立熟成に大きな影響を与えたイネとマツですが、イネの栽培可能域とマツの自生分布域はほぼ重なります。

 

 イネの生育には、年間最低気温よりも5-9月の平均気温が影響するので、気温のみの観点から、イネとマツの生育エリアが重なる理由は見えないでしょうが、マツが育つ条件・状況を、そんな視点からも観察し続けたいと思います。

 


 列車が滝川駅に到着する直前、鉄道線路の柵にクズらしき植物が葉を広げていました。


 前回の青春18きっぷの旅以降、クズの北限に興味を持つ私にとって、これは大きな事件ですが、一枚の写真だけでは確信が持てません。


 本当にクズなのか否か、確認すべきですし、したいと思います。

 


 その後私は、滝川から函館本線で岩見沢へ、

 


 岩見沢で苫小牧行きに乗り換え、

 


 前回の青春18きっぷの旅と同じルートで、私は函館港からフェリーで青森へ渡りました。

 

 

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タンチョウの親子が線路を歩く

2024-03-24 00:57:19 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 釧路から走り来た2両編成の列車は、根室に13分停車した後、16時10分に釧路駅を目指して元来た道を戻ります。


 帰路は、車体に「北海道の恵み」と記された車両が先頭なので、私は先頭車両の進行方向左側に席を移しました。

 


 
 程なく、海に浮かぶユルリ・モユルリ島が見えてきました。


 未熟だったあの頃、ひたむきに一生懸命だった青春が島影と重なります。

 


 単調なジーゼル音を響かせる列車の窓に牧草地が広がり、枯れ草色の台地と青い空の間に森の緑、その隙間に一瞬の島影を認めましたが、これがユルリ・モユルリ島の見納めとなりました。

 

  
 そんな牧草地で、草を食むエゾシカを見かけました。


 この牧草地は彼らの為にあるようなものです。

 

  
 帰路は駅名を気にせず、何も考えずに、移りゆく景色を楽しみました。


 ノリウツギが白い花を咲かせ、風車が羽を休めていました。

 

 

  
 トドマツやエゾマツが傾きかけた陽の光の中で幹を伸ばし、

 

 

 
 落石岬が見える海岸線で、メタリックシルバーのセダンが西陽を浴びて走り去ります。

 

 
 列車は落石岬の裾を瞬く間に通り過ぎ、振り返れば、段丘涯の浜に波が寄せていました。

 


 茎に葉を付けたイネ科の草が静かに佇み、オオヨモギが白い花を見せていました。

 

 

   
 そして、正面に西日を受ける車内に灯りが灯りました。

 

 
 景色の中で、幾頭ものエゾシカが夕餉の時を迎えています。

 

 
 厚床駅に停車すると、トリコロールカラーの椅子が、誰かの到着を待つかのように並んでいました。

 

 朝上り列車で登校した女学生が、今度の下り列車で帰ってくるのでしょうか。

 


 ルパン三世が待合室から銃を向けていた姉別駅を過ぎ、浜中方面へ20分ほど進んだ頃、

 


 列車は警笛を鳴らしながら、スピードを緩めました。


 線路にまたエゾシカが侵入したのかと思い、運転席横の窓から覗くと、線路上を3羽のタンチョウが歩いています。

 

 

  
 運転手さんが「シカの姿はよく見かけますが、これは珍しい。3羽は親子で、一羽は今年生まれたヒナです」と問わず語りに解説してくれました。

 

 

 

 親鳥が茶色っぽい色付きのヒナを守りながら、3羽は列車の進行方向へ歩き続けます。ヒナはまだ十分に飛べないのかもしれません。


 線路の両側に灌木が茂り、タンチョ親子に逃げ場はありません。


 運転手は時々警笛を鳴らしながら、根気よく列車を進めました。


 そしてやっと、右手に森が開けた場所まで来ると、3羽は羽を広げて、その中へ飛び去ってゆきました。

 

 

 

 永い時間だったように思いますが、後で撮影時間を確認すると2分ほどのドラマでした。


 そして駅舎にも灯が灯り始め、これ以降は、旅の景色を撮影できなくなりました。

 

 

 18時51分、列車は定刻通りに釧路に終着し、釧路で19時27分発の帯広経由新得行き普通列車に乗り換えました。

 

 

 一両編成の普通列車は、闇の中を走り続け、約2時間半後の22時01分に帯広駅に到着しました。


 私は帯広駅で降りて、駅近のコンビニで缶ビールを買い求め、数分程も歩いた公園にテントを張り、その中に転がり込みました。

 

 

 

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 追伸:大学時代サークル後輩の 森さんから

  「長沼町の舞鶴遊水池でタンチョウの繁殖が確認されており、石狩市の 

   コーン畑を餌場に飛来している」との情報を頂きました。

  石狩川河口辺りで、当たり前にタンチョウの姿が見られる日がくるかも

  しれません。

 

 

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