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ヒマラヤ・トレッキングの費用 付録

2014-06-22 16:05:17 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 実際に、ヒマラヤへトレッキングに行く場合は、ブログでもご紹介した「風の旅行社」などの企画ツアーに参加する方法が最も安全で確実です。

 

 4~5日のトレッキングを含むツアーが20~30万円程度の費用で企画されているようです。

 

 しかし、年金生活で費用に制約がある方や、既成のツアーでは物足りなさを感じる方もいらっしゃると思います。

 そのような方が、自分で企画してヒマラヤを訪ねたいと思うとき、一番気になるのがコストだと思います。

 

 そこで、今回のアンナプルナ・トレッキングに要した費用をご紹介して、皆様のご参考に供することに致しました。

 

 今回の「花の旅」は、2月28日に成田をJALで飛び立ち、インドのデリー経由でカトマンドゥに入り、3月4日にポカラへ移動、3月6日から14日までアンナプルナ山域をトレッキングして、19日朝にデリー経由で成田へ帰国しています。

 

 往復にJALを利用したのは、マイレージが貯まったのと、通常より少ないマイルでデリーまで行けるキャンペーンを利用したためです。

 

 しかし、マイレージで成田~デリー間の往復航空券を取得する時に、燃料調整費として39,500円を請求されました。

 

 またデリー~カトメンドゥ間を往復するエアインディアの航空券が26,700円ですから、日本とネパールを往復する飛行機代に66,200円掛かったことになります。

 

 旅先でご一緒した方の話では、中国南方航空を利用して、もっと安い費用で日本とネパールを往復することができるようです。

 

 

 今回の旅の費用の実際 (ネパール100Rs=94円換算)

 

 交通費計71,150円
  JAL サーチャージ 39,500円 (成田、デリー往復)
  エアインディア(デリー、カトマンドゥ往復) 26,700円
  タクシー代 3,600円 バス代(カトマンドゥ、ポカラ往復) 1,350円

 

 宿泊費計:26,128 円

 

  チェックアウト時に清算した金額です。

  青字はトレッキング中のゲストハウスの清算で、夕食、朝食、酒代を含みます。

 

 内訳  

 デリー泊     2月28日 1800Rs
 カトマンドゥ   3月1日   1900Rs(朝食込み)
 カトマンドゥ   3月2日   1900Rs(朝食込み)
 カトマンドゥ   3月3日   1500Rs
 ポカラ      3月4日   950Rs
 ポカラ      3月5日   800Rs
 ウレリ      3月6日  1270Rs
 ゴレパニ    3月7日   1270Rs
 タダパニ    3月8日   1050Rs
 シヌワ      3月9日  1060Rs
 デオラリ     3月10日 1260Rs
 ABC       3月11日 1740Rs (3食)
 チョムロン   3月12日 1150Rs
 トルカ      3月13日 1270Rs
 サランコット  3月14日 1740Rs 
 ポカラ      3月15日 900Rs
 カトマンドゥ   3月16日 1500Rs
 カトマンドゥ   3月17日 1500Rs
 機中泊     3月18日 
 

 

 昼食費計3,234円 (主にトレッキング中のレストランでの費用)

 

 その他計:17,000円
  ビザ取得費用 6000円 (ネパール4,000円 インド2,000円)
  エベレスト入山料 4,000円 (TIMS2,000円、ACA2,000円)
  嗜好品 約2,000円 (ティータイムコーヒー代、ジュース代等)
  雑費 5,000円 (チップ、入園料、カトマンドゥ夜食等)

 

 総合計 117,500円 (お土産代を除く)

 

 カトマンドゥで羽毛シュラフと羽毛服を合計12,500円で購入しました。

 

 日本で同等の物を購入すれば6~7万はするでしょう、今後も使う予定のある方は、ネパールでの購入を検討すると良いと思います。

 

 夕食等で多少の記録漏れがあるかもしれませんが、一回の食事代もビールさえ飲まなければ3~400円程度のものです。

 

 上に示した合計金額を大幅に上回ることは無いと思いますので、12万円弱程度の旅費でカトマンドゥ、ポカラ市内観光とヒマラヤ・トレッキング20日間の旅に行ってくることができたようです。

 

 

 尚、以前にも記載しましたが、単独行動のトレッキングは大変危険です。

 

 ガイドを雇う場合は一日2~3000円程度、ポーターは一日1500円程度の費用が必要だそうですが、命には代えられません。

 

 

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トレッキングで単独行動は避けるべきです

2014-06-13 15:18:28 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月17日

 

 明日18日は、いよいよネパールを離れます。

 

 搭乗するエアインディアはリコンファームをした方が良いとガイドブックに記されていたので、宿のオーナーに相談すると、「インターネットで予約したのなら大丈夫でしょう、但し、飛行場には早目に行った方が良いですよ」とのアドバイスでした。

 

 明日早目に飛行場に行けば、トラブルなく搭乗できるのであれば、今日は予定がありません。

 

 そこで、今日は何をして楽しもうか考えました。

 

 バスで古都のバクタブルへ行く案や、エベレストが見えるカカニなども検討しましたが、出発の前日にリスクが想定される行為は止めるべきでしょう。

 

 そこで、カトマンドゥ市内で土産物を探したり、見残した場所などを訪ね歩くことにしました。

 

 その内容は以前のページ魚は貴重品なのかもしれません」「カトマンドゥB級グルメでご紹介しておりますので、興味のある方は、どうぞ、そちらをご覧下さい。

  

 

 さて、ネパールの旅を終えるに当たって、どうしても書いておくべきことがあります。

 

 それは、私が実践したアンナプルナ トレッキング 単独行動の危険性についてです。

 

 結論から言えば、ヒマラヤ トレッキング での単独行動は絶対に避けるべきです。

 

 このブログを書くに当たって、ネパールの樹木などをネットで

検索した時に、偶然以下のブログに出会いました。

 

 カトマンドゥ日記、HP:NGOカトマンドゥ


 

 カトマンドゥ日記には、次のようなことが記されていました。

 

 著者の安倍 様に許可を頂きましたので、以下に要旨を引用します。

  

 「有名なトレッキング街道の、アンナプルナベースキャンプへ行く途中に、ガンドルン村はある。道はポカラから始まり、階段状の急斜面を登って行く。茶店や小さなホテルもある。ヨーロッパ人も、アメリカ人も、日本人も、一緒に歩く。この有名すぎる街道で、なぜか行方不明になった人がいる。

 

 アンナプルナBC(ベースキャンプ)へ行く街道で行方不明になったのは、日本人女性、アメリカ人男性、ドイツ人男性、などである。なぜ分かるかといえば、ちゃんと看板が立っていて、「情報は、日本大使館へ」「何か知っている人は、ドイツ大使館へ」「情報提供者は、アメリカ大使館へ」と書いてある。

 

 つまり、あるホテルなり茶店で、その人が目撃されたのに、次の村なり、ホテルでは情報がない。では、どこに消えたのか?

 

 行方不明になった3人には、共通点がある。全員が、一人旅、なのだ。それにしても怖い話だ。

 

 A地点では、確かに生存していた。B地点では、生存が確認できていない。つまり、その間で何か、はっきり言ってしまえば、「殺人」があったに違いないのだ。」

  

 

 私もこの意見に賛成です。

 

 実際にトレッキングルートを歩きましたが、アンナプルナBCへの一本道を間違えるはずはありません。子供でも歩けます。

 

 

 帰国後に分かったのは、ネパールの一人当たりのGDPは約6.5万円(日本は380万円)、ネパールの農村の平均年収は3万円以下だそうです。

 

 世界中のトレッカーの財布には、5万Rs以上の現金があるのではないでしょうか。

 

 トレッカーが農村年収以上の現金を持つことを、ネパールの人達は子供まで知っています。

 

 更に、「ネパールでは1996年からの内戦が2006年に終わり、王政廃止後に政治的な混乱が続き、2013年11月には制憲議会選挙でネパール会議派が第一党となり、統一毛沢東主義派が大敗した」そうです。

 

 ウィキペディアには「ネパールは2013年現在、暫定憲法のもとで暫定政府が設けられ、本格的な憲法の制定を目指している」と記されています。

 

 ネパールには、日本の優秀な警察のように、轢逃げ犯をほぼ100%検挙できるだけの治安組織は確立していないと考えるべきです。

 

 ネパールに限らず海外で油断すると、荷物や財産、そして命までもが奪われかねないという事実は認識しておくべきです。

  

 勿論旅行会社が主催するツアーはほぼ安全でしょう。

 ツアー料金には安全への対価も含まれているはずです。

 

 もっとも、私はそのようなツアーが面白いとは思いませんが。

 

 

 ということで、私が次にヒマラヤ へ行くことがあれば、必ず誰かを誘うか、ポーターやガイドを雇うことにします。

 

 そして、このブログを読まれた方が、ヒマラヤに単独で入り、不幸な目に合うことだけは避けて頂きたいと思います

 

  日本の外務省HPの海外安全情報には「西部観光都市ポカラでは,トレッキング・ルートのひと気のない場所で外国人トレッカーを待ち伏せ,現金等を恐喝する事件が発生しています。できるだけ地元のガイドを雇うようにしてください。また,マッサージ店で男性店員からわいせつ行為を受けたという事件も発生しています。」と記載されていました。

 

 -+-+-+-+-+-+-+-+-

 

 カトマンドゥで、いよいよヒマラヤ・トレッキング花の旅の最後の夜を迎えました。

 

 手持ちの現金も、明日のタクシー代程度を残し殆ど使い切ってしまいました。

 

 夕食はカードが使える、宿の近くのタメル・ハウス(市街図②)へ行くことにしました。

 

 

 ローソクが灯るテーブルで、今日までの無事に感謝しつつ、一人で祝杯を挙げました。

 

 何だか、毎日祝杯を続けている気も、しないではありませんが。

 

 

 そして、鱒料理をオーダーしました。

 

 ネパールで魚は貴重です。

 

 

 

 

 諸々を追加注文した最後に、ネパール焼酎のロキシーをオーダーしました。

 

 金属の器に入った酒を、ボーイが目の高さから盃に注ぎ落します。

 

 

 

 この店のネパール焼酎が非常に優れものでした。

 

 これを飲む為だけでも、タメル・ハウスで食事をする価値があるだろうと思います。

 

 

 そして翌18日朝、私は無事にカトマンドゥ・トリブヴァン国際空港を飛び立ち、インドのデリーでJALへ乗り継ぎ、五体満足で日本に帰国することができました。

 

 

 楽しかった旅を終え、今は次の旅のために、スポーツセンターで汗を流しています。

 

 そういえば、北海道大学で教鞭をとった誰かが

 

 オールドマン ビー アンビシャス と言ってなかったでしょうか。

 

 -+-+-+-+-+-+-+-+-

 

 

 さて、これにて「ヒマラヤ・トレッキング 花の旅」を終了とさせて頂きます。

 

 今日まで長い間、駄文にお付き合いを頂きまして本当に有難うございました。

 

 

 

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喧騒を離れ

2014-06-13 13:08:47 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 久しぶりにカトマンドゥに戻ってきました。

 

 

 二週間前に初めてネパールに入国したとき、不安な気持ちで歩いたタメル地区も今日は自分の庭のような安心感があります。

 

 肉屋の店頭に、猪の頭がごろんと置かれていても、驚きもしません。

 

 

 ポカラから帰ってきたら、またお世話になりますと約束した、ゲストハウスの「ドルフィン」へ向かいました。

 

 この季節は、予約なしでも大丈夫とオーナーが言っていた通り、前回と同じ部屋を確保することができました。

  

 4時半頃、コーヒーが飲みたくなって、散策に出かけました。

 

 お目当ては、「ドルフィン」から徒歩数分の場所にある「ガーデン・オブ・ドリーム」(市街図④)です。

 

 この庭園は1920年に陸軍元帥が造った宮殿の一部を修復し、2006年に一般公開したそうです。

 

 

 200Rsの入園料を払ってゲートをくぐりました。

 

 

 ヨーロッパ風の様式の建物や回廊に囲まれた、静かな庭の白いベンチがオレンジ色のカエンカズラに飾られていました。

 

 

 片隅のカフェレストランに座り、ゆったりとした時間を愉しみました。

 

 

 カトマンドゥ市街の喧騒から隔離された時間が静かに流れます。

 

 ネパール市街の庶民的な雑踏も楽しいのですが、人混みに疲れた時は、この庭がお勧めです。

 

 やがて辺りがが夕闇に包まれてきました。

 

 

 周囲のテーブルに食事を摂る人々が集い始めたので、席を立って街に戻ることにしました。

 

 

 今夜は、前回見かけた、チベット料理店に入ってみようと思います。

 

 タメル地区中央の、通りからちょっと奥まった場所にあるギリンチェ(市街図⑧)です。

  

 

 店外の看板でメニューを確認し、ドアを潜りました。

 

 日本の大衆食堂のようなスチール製のテーブルが30脚程置かれた、飾り気のない店構えです。

 

 

 ビールを注文して、メニューを眺めました。

 

 

 まずはビールのお供に、バッファローのモモ(ネパール餃子)を注文しました。

 

 脂肪分の少ない肉がメインの、さっぱり味のモモは私の好みに合います。

 

 

 次に、店外の看板に写真があった、猪の炒め物を注文しました。

 

 メニューのどれが該当するか分からないので、店員を外に連れ出して写真を指さしました。

 

 

 そして、大瓶のビールをもう一本。

 

 今夜も上機嫌な夜が更けてゆきます。

 

 

 

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激辛キュウリの想い出

2014-06-11 14:33:46 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 11時半頃、二度目のパーキングエリアで、露天に果物が並べられていました。

 

 

 誰かが、見慣れぬキュウリのようなものを口にしています。

 

 初めて見るものに、好奇心が刺激されました。

 

 小母さんに「ハウマッチ」と聞くと40Rsだとのこと、早速一本買ってみました。

 

 手渡す時に小母さんが訳ありげな笑顔で、真っ赤な香辛料を二つに割ったキュウリの間にたっぷりと塗りつけました。

 

 

 キュウリ自体には特に味はないのですが、香辛料の辛さと、塩気が強烈でした。

 

 喉がひりひりするので、慌ててペットボトルの水を買い求めました。

 

 異国の旅では、こんな些細なことが懐かしい想い出になったりします。

 

 

 駐車場の隅にミカンのような白い花が咲いていました。

 

 ネパールは果物も豊富なのです。

 

 

 途中からトリブヴァン・ハイウエーに入ったバスは、少しずつ高度を上げ始めました。

 

 

 赤や白の染料で顔を染めた子供達を屋根に乗せたバスを追い越します。
 

 

 

 やがてトリブヴァン・ハイウエーは山岳地帯に差し掛かりました。

 

 

 峠は道路工事が行われている為、巻き上がる砂埃で窓は開けられません。

 

 

 それにしても、道路工事の機器が見えないのですが、予算が滞っているのでしょうか。

 

 

 峠を越えると、車窓にカトナンドゥ盆地が広がりました。

 

 

 周囲にビルなどが並ぶ市街へ入って行きます。

 

 

 そして14時過ぎ、約200kmを6時間半かけて走り続けたバスは、カトマンドゥ タメル地区北側のソラコテ(Sorakhutte)交差点に到着しました。

 

 

 

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トリスリ川のラフティング

2014-06-11 14:20:06 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 バスはトリスリ川に沿って、プリティヴィ・ハイウエーを順調に走り続けました。

 

 

 やがて、山の斜面を昇るロープウエーが見えてきました。

 

 尾根の上にヒンドゥー教寺院があるマナカマナです。

 

 ここの女神様にお祈りをすると、願い事がよく叶うそうです。

 

 

 

 バスは、穏やかなエメラルド色の流れに沿って走り続けました。

 

 

 やがてバスは風光明媚な渓谷の中へと入ってゆきます。

 

 

 川岸にリゾート施設のようなものが見えてきました。

 

 プールなども見えますから、観光施設のようです。

 

 

 それから程なく、川辺に多くの人々が集う姿を見かけました。

 

 何かの催しがあるのでしょうか?

 

 

 私はバスの後部左座席に座ったので、左手に流れる川の景色を十二分に堪能することができました。

  

 トリスリ川は刻々と表情を変え、見飽きることがありません。

 

 もしポカラからカトマンドゥへバスで移動するのであれば、左側に席を取ることをお勧めします。

 

 

 突然、川の中に大きなゴムボートが現れました。

 

 ラフティングでしょうか?

 

 

 その後も、幾艘ものゴムボートを目にしました。

 

 この川は流れが急すぎず緩すぎずで、ラフティングには最適のようです。

 

 さっき見たリゾート施設もラフティングに来た観光客用だったのかもしれません。

 

 ランタン渓谷から流れ出すトリスリ川沿いに大きな町や工場はないので、水も綺麗ずですし、カヌーなども存分に楽しめそうです。

 

 ネパールでは登山、トレッキングは勿論、パラグライダー、ラフティング、カヌー、釣りといったアウトドアの遊びに事欠かないようです。

 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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プリティヴィ・ハイウエー

2014-06-10 23:52:41 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月16日

 

 ポカラを離れる日がやってきました。

 

 明後日の18日の朝、カトマンドゥからニューデリーへ、そしてその日の夜にJALで日本へ戻る予定です。

 

 インドの航空会社と空港はトラブルが多いそうなので、スケジュールに余裕を持たせ、一日早くカトマンドゥへ戻ることにしました。

 

 

 

 ポカラへ来るときと同様、ホテルのオーナーにツーリストバスの手配を依頼しました。

 

 バスの料金はカトマンドゥまで700Rsでした。

 

 ホテル ロータスインからシティ・バスパークまでのタクシー料金が200Rsですから、バス運賃は破格です。

 

 バスパークには2~30台のバスが並んでいましたが、ホテルのオーナーがバスターミナルまで送ってくれたので、不安なく乗車することがきました。

 

 

 カトマンドゥまでのルートは来るときと同じですが、車窓からの景色を十分に堪能できましたので、少し詳しくご紹介します。

 

 バスは朝7時半にポカラを出発しました。

 

 バスはポカラ市街を離れ、ポカラ市内を貫くセティ・ガンダキ川の河岸段丘に沿って、プリティヴィ・ハイウエーを走り続けます。

 

 ハイウエーとは言っても自動車専用道ではなくて、人も車も自転車も、みな共用します。

 

 

 出発して1時間半程で最初のパーキングエリアに入り、殆どの乗客がここで朝食を摂りました。

 

 私はここを出発するとき、最後部の席に移動し、窓を開け放って景色を眺め続けました。

 

 

 3月16日はネパールのホーリーという祭日でした。

 

 街道筋の町や村では、顔に赤い顔料を塗った人達がお互いに水を掛け合ってワァーワァーキャーキャー声をあげていました。

 

 

 ドウムレの町を通りを過ぎるとき、子供達がバスに向って水を掛けてきました。

 迂闊に窓を開けていると、とんでもないことになります。

 

 

 最後部の席から顔を出し、後ろに続くバスの様子などをカメラに収めました。

 

 日本でこんなことをしたらすぐ「窓から顔や手を出さないで下さい」と運転手に注意される筈です。

 

 

 アンナプルナ山群やマナスルを源にするマルシャンディ川に沿って、バスは渓谷の中を走り続けました。

 

 

 エメラルド色の水が、白い飛沫をあげながら流れていました。

 

 

 やがて、マルシャンディ川とカトマンドゥ方面から流れきたトリスリ川が合流する場所で橋を渡りました。

 

 

 バスは橋を渡ると、街道沿いのムグリンの街を抜け、トリスリ川に沿ってカトマンドゥを目指しました。
 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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本日は安息日

2014-06-10 00:12:13 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 3月15日

 

 サランコットの丘のGHで目を覚ましました。

 

 朝なのに外は明るくなりません。

 

 じたばたしても仕方ないので、ベッドの中で暫く大人しくしていました。

 

 7時を過ぎる頃、東の空を眺めると、お日様が雲の間から光を投げかけていました。

 

 

 再びベッドに戻り、ぼんやりと時を過ごしました。

 

 今朝は鼻の調子が悪く、水のような、たらたらの鼻汁が止まりません。

 

 何時もの寒暖差アレルギーと思いますが、鬱陶しいことこの上なしです。

 

 8時半頃に朝食をとり、再びベッドに戻りました。

 

 GH(ゲストハウス)をチェックアウトした時は10時半を過ぎていました。

 

 見上げると無数のパラグライダーが空に舞っていました。

 

 

 GHからポカラへ向かう石段を下って行くと、昨日バスに乗って来た道に出ました。

 

 その道の横で、ノボタンが埃だらけの花を咲かせていました。

 

 日本の温室では、特等席に花を咲かせますが、故郷では雑草扱いのようです。

 

 

 

 バス通りを横切り、斜面に伸びる道を下って行きます。

 

 下る途中で出会った、チョータラ(休憩所)に育つペアの木の整った枝振りに琴線が震えます。

 

 

 その場所を過ぎた辺りで、幼い女の子に英語で話し掛けられました。

 

 日本人? 観光に来たの? ポカラに泊まっているの? 私達の写真を撮って下さい。

 

 そして間を置いて、ギブミースイーツ、ギブミーマネーの言葉を耳にしました。

 

 え! まー ・・・ こんな日もあります。

 

 鼻をぐしゅぐしゅさせて不景気な顔をしていると、天使も避けて通るようです。

 

 しかし、今気が付きましたが、英語で話しかけてきた女の子、カメラに笑顔を見せていません。

 

 蛇足ですが、このような場合、はっきりと拒否すべきは言うまでもありません。

 

 蛇足ですが、ここで彼女達にお菓子やお金を渡せば、彼女たちは、一生物乞いの発想のままで生きてゆくことになるのです。

 

 

 眼下のフェワ湖に向かって、標高差700メートル程を下りました。

 

 

 フェワ湖畔に着くと汗だらけとなっていました。

 

 鼻アレルギーの症状も治まる気配はありません。

 

 すぐに通りかかったタクシーを拾い、レイクサイドのホテルへ向かいました。

 

 ホテルはトレッキング時に親切にしてくれたガイドのサンデシュさんが、ポカラに行ったら私のホテルに泊まって下さいと言っていた「ホテル ロータスイン」です。

 

 サンデシュさんのお姉さんのご主人がオーナーです。

  

 私は体調が悪いと写真まで撮れなくなるようです。

 

 サランコットの丘を下る途中からご覧頂ける写真が全くありません。

 

 

 本日は安息日と決めて、ホテルにチェクインするとシャワーを浴び、そのままベッドに倒れ込みました。

 

 長旅の疲れが出たのでしょうか。

 

 

 16時頃に目覚め、ホテルの周囲を散策しました。

 

 ブーゲンビレアの巨木が満開の花を咲かせていました。

 

 朝はスミレの咲く道を歩いていたのに、夕方にブーゲンビレアを眺めています。

 

 

 
 18時を過ぎた頃、ホテル近くのネパールキッチンという食堂に入りました。

 

 

 川魚のダルバートを注文しましたが、これがスパイスが利いた、なかなか結構な一品でした。

 

 

 ポカラのレイクサイドにある「ホテル ロータスイン」の宿泊料は一泊800Rsです。

 

 上の写真のように明るく広い部屋に、大きなベッドが二つ。

 

 近くに、高級レストランや家庭的な食事処まで揃った、便利な場所にあります。

 

 ポカラに行ったら、次回もお世話になろうと思います。

 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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神々の白き峰

2014-06-09 14:09:20 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 サランコットのGH(ゲストハウス)のテラスから、空を舞うハングライダーを眺め、

 

 

 

 ネパール餃子のモモを肴に、ビールを追加しました。

 

 

 眼下に、白い背の鷲が弧を描きました。

 

 

 空に月が昇り、陽が傾き始めます。

 

 

 私はテラスを出て、ほろ酔い気分でサランコットの頂へと登ってゆきました。

 

 山陰に陽が沈んでゆきます。

 

 

 北の空にマチャプチャレが浮かんでいました。

 

 

 遠い西の空に浮かぶのはダウラギリでしょうか。

 

 

 南西の宙に白い峰が輝きを放っています。

 

 

 サランコットの丘は夕闇の中へと沈み始めました。

 

  

 神々のおわす宮が天空に照らし出され、

 

 

 神々の峰が晩餐のワインに頬を染めていました。

 

  

 恙なく一日が終わろうとしています。


 そして私は、シルバーワインのベールに包まれたマチャプチャレにそっと、「素敵な一日をありがとう」と呟きました。

 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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車掌が踊るバス

2014-06-09 12:45:45 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 尾根の上で、サランコットへと続く道は、陽射しを遮る木陰がありません。

 

 レストランの看板を掲げた、パラソルを庭に広げた店で暫しの休憩を取りました。

 

 汗を拭って歩き始めると突然、目の前にバスが現れました。

 

 地図を確認すると、コトマウトという村のようです。

 

 

 一緒に歩いていた男性が、バスは此処で折り返し、サランコット経由でポカラへ行くと教えてくれました。

 

 時刻は15時20分頃でした。

 

 トレッキングに出発する日にバスに乗りそこないましたし、田園風景も十分に堪能しましたので、これ幸いと、バスでサランコットへ向かうことにしました。

 

 サランコットまでの運賃はたったの100Rsです。

 

 

 そして、このバスが楽しかった。

 

 車内に大きな音で、モーニング娘のようなのりの、ネパール語の歌が流れ、「ツンチャカ、ツンチャカ、ヘイヘイヘイヘイ ♪♪ 」みたいなリズムに合わせ、サングラスを掛けた天然パーマのお兄ちゃん車掌が腰を振ります。

 

 

 始発のバス停で5~6人の客を乗せ、15時40分頃、陽気なバスが走り出しました。

 

 

 私は乗車口のすぐ横に座り、窓を開け放ち、車外の風景を楽しみました。

 

 

 途中のバス停で次々と乗客を拾い、バスは満席状態となってきました。

 

 乗客が持参した1m四方もありそうな藁の束を車掌がバスの屋根に載せています。

 

 

 

 バスが走り続ける間は、車内にモーニング娘風の曲が流れ続けました。

 

 やがて、眼下にフェワ湖が見えてきました。

 

 中学生の頃に、遠足で箱根の芦ノ湖へ行ったときにも似た気分です。

 

 

 バスが田舎道を走っていると、畑の中から「待って!(多分そんな意味でしょう)」と誰かが叫んでいます。

 

 息を切らせた小太りの小母さんが、畑の中から現れました。

 

 そんな微笑ましい、何故か懐かしい雰囲気に包まれた乗り合いバスです。

 

 

 バスが走り出して20分ほどで、正面にサランコットの丘が見えてきました。

 

 

 そしてその20分後、私は楽しい気分に満たされたまま、サランコットの丘に建つGH(ゲストハウス)のテラスから、ポカラ市街とフェワ湖を見下ろしていました。

 

 

 勿論、このようなシチュエーションに冷たいビールは欠かせません。

 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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ポカラでは2月に桜が咲くようです。

2014-06-09 10:58:43 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ハグルン自動車道を歩き、14時10分頃、ナウダンダに到着しました。

 

 

 道路脇の商店で道を確認して、サランコットへ通じる道へ歩を進めました。

 

 泥の道を予想していましたが、簡易舗装が施されていました。

 

 

 稜線上の道を進んで行くと、眼下にのどかな田園風景が広がります。

 

 

 牛が畑を耕していました。

 

 

 耕作地の全てが斜面の中にあります。

 

 それでも、モディ・コーラ沿いの山村と比べれば、はるかに恵まれた環境。なのが分ります。 

 

 民家の庭先にバナナやパパイアが稔っていました。

 

 

 

 建築中の現場で、支持棒に竹が使われていました。

 

 数年前に旅した、上海のビル工事現場を想い出します。

 

 

 畑の中にシュロの木が見えていました。

 

 温暖な気候に恵まれ、作物には不自由しない様に見えます。

 

 

 道路端に緑色の実をつけたサクラの枝が落ちていました。

 

 いつの頃からか一緒に歩いていた、40歳前後のネパール人男性に、この木は何時ごろ花を咲かせたのかと尋ねると、一ヶ月程前との返事でした。

 

 ポカラ周辺では2月中旬頃にサクラの花が咲くようです。

 

 もしかすると、年二回、米を収穫しているかもしれません。

 

 

 道路脇の所々に溜池を見かけました。

 

 農作物の生産に一番大きく影響するのは水なのかもしれません。

 

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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ハグルン自動車道を歩く

2014-06-08 21:56:10 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 オーストラリアンキャンプからハグルン自動車道のカンデ「地球の歩き方 ネパールヒマラヤ トレッキングはカーレと記されていますまでは高度差300メートル程の下りを残すだけです。

 

 東方にポカラのフェワ湖らしい湖面が、霞んでいました。

 

 

 丘を下る道は村人の生活道路です。

 

 道を下るにつれて、周囲は住宅地の雰囲気になってきました。

 

 

 そして13時を僅かに過ぎた頃、ハグルン自動車道の合流点となるカンデに到着しました。

 

 商店が並び、タクシーが客待ちをしています。

 

 一週間以上も山中で過ごしてきた私の目には、このカンデが結構な規模の街に見えます。

 

 

 下りてきた丘を振り返ると、拍子抜けするほど凡庸な表情の森が佇んでいました。

 

 ヒマラヤトレッキングとしての行程はこの地点で無事終了となりました。

 

 終わってみれば、その時はいつも「あっそうだったの」的な感慨しかありません。

 無事に山を下りて来たそのときは、「平凡な人生だったな~」みたいな気分になるのはどうしてなのでしょう。


 無事に過ぎれば、次の旅路しか見えなくなる為かもしれません。 

 

 

 カンデからポカラまではバスが走っています。


 そして客待ちのタクシーから繰り返し勧誘されましたが、私はそれらには目もくれず、ハグルン自動車道をポカラへ向かって歩き始めました。

 

 

 陽射しが強く、額に汗が滲みます。

 

 ジョムソン方面に向かう極彩色のトラックが通り過ぎて行きました。


 山登りから、何時もの旅人に戻ったような、


 詩を書く作業から、散文を書く作業に戻ったような、そんな気分です。

 

 

 「つ」の字形に曲線を描く自動車道をショートカットする村の道を見付け、ホケダンダ村の中へ下って行きました。

 

 民家の間を抜けて行きます。

 

 

 暫く下ると、迂回してきたハグルン自動車道が足元に見え、サランコットへと続く尾根が正面に望めました。


 新しい状景に巡り合える期待に気分が昂ってきました。

 

 

 民家の庭先で、熱帯地方に育つヒメフヨウが赤い花を咲かせていました。

 

 ここは標高1600m程ですが、今朝出てきたトルカよりも、この標高としては気温が高い気がします。

 

 

 アカマンマ(イヌタデ)のような花が路端を飾っていました。

 

 人里に咲く花は、山野と異なるのは何故なのでしょう。

 

 

 フェワ湖へ流れ込む川の水源の谷に、段々畑と同じ景色で棚田が積み重なっていました。

 

 

 再びハグルン自動車道に出て、屋根の上に人を乗せた、いかにもネパールらしいジープを眺めながら、サランコットへと道が分岐するナウダンダを目指しました。

 

 

 

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オーストラリアンキャンプへ

2014-06-07 23:35:39 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 新しいアイデアを思いつき、店じまい気分から一転して、もう一度がんばろうモードにスイッチを切り替えました。

 

 ハグルン自動車道から分岐してサランコットへ通じる道は、車が走る未舗装道路のはずですが、周囲に素朴なネパールの農村風景が広がっている気がしました。

 

 何か新しいものに巡り会えるかもしれません。

 

 ガイドブックにはない、ネット検索にも絡まなかった旅のアイデアに挑戦します。

 

 

 振り返ると、以外な大きさでマチャプチャレが神々しい姿を空に浮かべていました。

 

 

 尾根の上に、石畳みの道が、正面の丘へと伸びていました。

 

 取りあえず、あの丘を越えなければなりません。

 

 十分にやりがいがありそうです。

 

 

 目論見通りにサランコットに辿り着ければ、明朝は、朝陽に輝くマチャプチャレとご対面できます。

 

 

 11時頃にポタナに到着しました。

 

 今までの山村と違い、まるでリゾート地のような雰囲気を漂わせています。

 

 

 少々時間が早いのですが、次に食事が摂れる場所はオーストラリアンキャンプまでありません。

 

 ここで早目の昼食を摂ることにしました。

 

 今日の昼食はチキンカレーとチャパティです。

 

 

 今日は先が長いので、ゆっくりと時間を掛けて食事を済ませ、気持ちと体にエネルギーを補いました。

  

 ポタナを12時少し前に出発し、数分でダンプスとオーストラリアンキャンプの分岐を通過しました。

 

 

 その辺で、セティ・ガンダキ川の支流が、ダンプスの尾根を廻り込む様子を確認しました。

 

 この辺りは地図にない道が、尾根や沢から合流してきますので、地形を何度も確認します。

   

 

 やがて、森の中の緩やかな坂を登り、

 

 

 12時20分頃、オーストラリアンキャンプに到着しました。

 

 地名は、オーストラリア人がキャンプをしたことに由るそうで、ポカラから日帰りでトレッキングを楽しみたい時、手頃なルートを提供してくれるとガイドブックに記されています。

 

 

  

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新しいアイデア

2014-06-07 21:58:14 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 あちらこちらに旧道跡が顔を出す道を進んで行きます。

 

 

 そんな道を1時間程も歩くと、尾根の上へと登るトレッキングルートの分岐点に出ました。

 

 

 その場所から、一軒のGH(ゲストハウス)の庭先を抜けるように石段の道を登り始めました。

  

 スミレの花が咲いていますので、標高が高くなってきたようです。


 ヒマラヤでは、標高が高くなれば気温が下がり、季節が後戻りします。

 

 

 尾根の上に再びアンナプルナ・サウスが見えてきました。

 

 

 

 森の中を登り続てけ、30分程でベリカルカのGHを通過しました。

 

 眼下に、先ほど歩いてきた、トルカへ通じる道が見えていました。

 

 

 この辺りは、以前のページで紹介した地図「Annapurna Base Camp」には、トルカから直接尾根へ上がるように記されていますから、注意が必要です。

 

 しかし、そもそも「地球の歩き方 ネパールヒマラヤ トレッキング 概略図」のトルカと上記地図のトルカの位置が違いますから、地形を読んで臨機応変に判断するしかなさそうです。

 

 

 ベリカルカを通過すると、20分程でビチュクデオラリのGHが見えてきました。

 

 

 そんなとき、高い木に咲く白い花を見かけました。

 

 残念なことに花の位置が高すぎるので、ズームを利かせても花にピントが合いませんが、モクレン科の花に見えます。

 

 標高は2100mを越えていましたから、モクレン科の植物に花が咲いても不思議はないはずです。

 

 

 

 この辺りが、今日のコース上で一番標高が高い場所になります。

 

 周囲に汗ばむ程の陽射しが降り注いでいました。

 

 

 まだ10時半にもなっていません。

 

 地図を確認し、この場所からポタナ→ダンプス→フェディ→ポカラと進む通常ルートとは異なる、オーストラリアンキャンプを経てハグルン自動車道を進み、サランコットまで歩くコースを検討しました。

 

 今日中にポカラへ戻らず、サランコットの丘に泊まって、明朝、朝陽に輝くマチャプチャレを眺めようという新しいアイデアです。

 

 ハグルン自動車道に出た後、12km前後、約3時間の行程と見積もりました。

 

 まだ昼前ですから、日暮れ前にサランコットに到着する計算が成り立ちます。

 

 

 そうと決めれば、先を急ぐほうがよさそうです。

 

 下の写真をご覧下さい。


 写真中央付近の一番奥で、サランコットの丘が、霞に浮かぶ島のような姿に見えています。


 あそこが、今日の新しい目的地です。

 

 

 

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日本とヒマラヤを繋ぐもの

2014-06-07 18:27:58 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 

 3月14日

 

 いつものように夜明けを待ってベッドを抜け出し、ヒマラヤの黎明を楽しみました。

 

 清々しい大気の中に小鳥達の囀りが響き、今日も新しい一日が始まろうとしています。

 

 

 東屋に腰を下ろした私の周りで、中学生ぐらいの女の子が、丁寧に庭の掃除を始めました。

 

 GH(ゲストハウス)の周囲には雑草も見えず、几帳面な暮らしぶりを感じます。


 あれだけの段々畑を積み上げる人々が勤勉でないはずはありません。

 


 

 私は東屋で、今朝もティーの香と、明け行くアンナプルナ・サウスを堪能しました。


 今度こそ本当にアンナプルナ・サウスとはお別れかもしれません。

 

 周囲の木立に響く、小鳥達の声に心が和みます。

 

 リズミカルに石畳みをシュッ、シュッと掃く音が、私の足に歩く活力を蘇らせてくれる気がしました。

 

 今日はヒマラヤトレッキングの最後日となるはずです。 

 

 

 

 ドイツのフランクフルトから来た大学院生達が、一足先に出発して行きました。

 

 アウフ ヴィーダーゼーン、昨晩は楽しい時間を本当に有難うございました。

 

 

 朝食を食べ終わる頃、モディ・コーラの谷に陽が届き始めていました。

 

 

 会計を済ませに事務室へ赴くと、見覚えのある植物がテーブルの上に広げられていました。

 

 一瞬目を疑いましたが、確かにワラビです。

 

 まさかヒマラヤで、このような状況でワラビを目にするとは思ってもいませんでした。

 

 このワラビを見て、数千キロも離れた日本とヒマラヤを繋ぐ何かがあることを確信しました。

 

 

 

 Kさんはゆっくりと起きてきました。

 

 彼が帰国する予定日は、私より10日も後なので、旅を急ぐ必要はないのです。

 

 彼はこの旅を終えて故郷へ戻り、デザインの勉強を始めると言っていました。

 

 本当に気持ちの良い青年です。

 

 

 私は8時を少し過ぎた頃、Kさんに別れを告げ、GHを後にしました。

 

 尾根の斜面に伸びるトレッキングルートを歩きながら、アンナプルナ・サウスを何度も振り返りました。

 

 

 モディ・コーラに沿った長い尾根に、幾筋もの支流が沢となって食い込み、沢と沢を隔てる小さな尾根がカーテンの襞のように連なっています。

 トレッキングルートは、そのカーテンの襞をなぞるように山腹を横切ります。

 

 

 やがて、トレッキングルートは車道と合流し、幾つかの集落を抜けて、南へと向かいました

 

  

 

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今夜も上機嫌

2014-06-05 19:08:52 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 車道を外れた旧道が沢の中に吊り橋を掛けていました。

 

 

 

 そんな旧道にセロジネ・コリンボサが白い花を咲かせていました。

 

 今朝花の姿を見出した場所とほぼ同じ標高です。

 

 ヒマラヤでは、標高が花咲く季節を決めているようです。

 

 

 歩く旅だからこそ気付いたのでしょう。

 

 これこそヒマラヤ トレッキングならではの醍醐味です。

  

 旧道を歩いていると、車道を四輪駆動車が通り過ぎてゆきます。

 

 数年後には、ランドルンまで車で行くのが当たり前になっているかもしれません。

 

 ポカラからランドルンへ、車で3時間程で入れれば、ABC(アンナプルナベースキャンプ)を4~5日で往復することも可能になるかもしれません。

 

 そうなった時、神々の庭が穢されぬようにと案じるのは、心配し過ぎでしょうか。

 

 

 午後3時頃、標高1700メートルのトルカに宿を定めました。

 

 今夜もKさんと同宿です。

 

 茅葺屋根の東屋を見た時、シャワーの後、ここでビールを飲もうと決めました。

 

 

 沢水溢れるGH(ゲストハウス)の洗い場で洗濯を済ませ、寝床を整え、17時頃東屋のテーブルに座りました。

 

 夕暮れの中、アンナプルナ・サウスが雲の間に頂きを覗かせました。

 

 今夜の客は私とKさん、ドイツ人の大学院生の二人連れだけです。

 

 

 夕食後に四人は東屋に集い、尾根の上に昇る月を眺めながら酒宴を始めました。

 

 

 陽が落ちと、対岸の村に灯が灯りはじめました。

 二日前が私の誕生日と知ったドイツの学生さんが御馳走してくれた、お祝いのヒマラヤ焼酎をあおりながら、今夜もヒマラヤに上機嫌な夜が更けてゆきました。

 

  

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