目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

これはやり過ぎ、腹が立つ

2020-04-28 | 時事

 

OGPイメージ

黒木の大藤 花を刈り取りへ - Yahoo!ニュース

福岡県八女市にある国指定天然記念物「黒木の大藤」の花が、見頃を迎えたにもかかわらず、28日に刈り取られることになった。新型コロナ対策で今年は...

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花、哀れ。

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年寄りがひどい

2020-04-28 | 瞑想

こんにちは

今日も良いお天気です。

風はちょっと冷たくて木陰はひんやりと小寒いくらいです。

小鳥のさえずりが絶え間なく聞こえて平和な春のお昼前、

いつもとなんら変わらない春の日です。

 

自分とそれより年上の方々をなんと読んだらいいのか

ちょっと困りますが、昔風に年寄連中と読んでみます。

 

シニアとか、

高齢者とか、

老人、とか呼び方は様々あれどつまりは人生六十年以上生きておられる方々です。

 

こう言う人に習慣を変えるように言ってもそれはとても難しい事ですよね。

自分でもそうなので良くわかります。

分かりますが、今この天災が降りかかっている現状を理解すれば

年寄りにも出来ないはずがないのです。

 

なのに多くの人が今までの習慣を捨てること、変えることを頑なに拒否しているよう気がします。

コレは一つの例え話ですが、

アメリカのフロリダでたくさんの人がビーチに来ています。

都市封鎖されているにもかかわらず、大勢に人が居て中の一人がインタヴューに答えて言いました。

素晴らしい天気なのに家の中にいるなんて、できません。

ここは自由の国、自分の自由の権利を使わせてもらいます。

コレがアメリカ人の考え方。

日本人の年寄りはこう言うでしょう。

いつものように普通に暮らしたいってね。

 

休日にはどこかに出かけ、たまには海外旅行、

いいものを買っておいしいものを食べるのが楽しみでずっと働いてきた世代です。

いつもの生活を変えたくない人がどれほど大勢いるか

よく分かります。

私なんて変えようと思ってもなかなか変われませんのに、

習慣を変えたくない人にいくら言っても馬の耳に念仏。

 

病院の窓口で見た光景はそれをよく証明していました。

支払い窓口の前に三人の年寄りが固まっているので、

身内同士かと思ったら皆それぞれ会計の計算書を持っています。

なんだ皆お客なのにあんなにくっついて並んでいるのもいつも通り、

その上若い人が次に間隔を開けて待っているのに、窓口が空いた途端に

彼女より早く腰の曲がった叔父さんが窓口の前に立っていました。

割り込みですが、おじさんの目には彼女の姿などチラとも入っていない様でした。

腰の曲がったおじさんの視界の届く範囲はソーシャルディスタンスをきちんと考えると

周囲に誰もいない世界になってしまうのです。

 

その後スーパーに行きました。

いつもより混んでいるのでビックリ。

スーパーの混雑なんて都会の話だと、私自身もいつものようにそう考えていたのに

現実が自分の想像と違うので愕きました。

緊急事態宣言が出されてからスーパーの床には離れて並ぶよう床に立ち位置が記されるようになりました。

それなのに後ろのおばさんは、私の後ろにピッタリとくっつくように立ちました。

気になったので

振り返って一言、間隔を開けてくださいと言ったのです。

するとおばさんは怪訝そうな顔をして

二歩後退りそこで止まったので、

そこじゃ無い、あそこ、と床の次の立ち位置を指し示しても

何食わぬ顔をして気がつかない様子です。

 

きっと心の中で

なに、この口うるさいおばさん、私はいつも通りにしているだけなのに何の文句があるの?と

私のことをそう思っているのかも知れません。

 

この人だってコロナのことを知らないはずがないでしょう。

なのに自分の行動と、間隔を開けてと言う注意の意味が全くかけ離れているのです。

まして、それが小池さんのせいなのか知らないけれど、

ソーシャルディスタンス、などと言う物だから

 

なんかソーシャルダンスの話かな?

などと思っちゃう年寄りもいるかもしれません。

でもね、コロナはそれを許さないのです。

私はコロナは天災だと思っています。

だから今までのような暮らし方はもう出来ないのだと

認識するしかないのです。

コレは人類に振り落とされた鉄槌なのだと考えたら、

先ず現在の状況が起こった原因や結果を

感情を交えずに冷静に分析したらどうなるでしょう。

私はたった二、三か月間世界が活動を休めただけで

あっという間に大気汚染が改善されています。

 

たった六十日間世界の八割を占める乗り物が走行を停止し、

船舶が止まり、工場が止まっただけで原油の需要が減少しただけですよ。

人間の活動を止めればこんなに早く地球は以前の美しさを取り戻せるのです。

地球の自然治癒能力はとても高度な物なのでしょう。

もしもコロナがなかったら

人間は一生の間再び現れた今のように美しい空を実際の目で見ることはなかったでしょう。

 

北インドの町では長年見ることのできなかったヒマラヤの雪の峰々が

この騒動のおかげで再び見ることができるようになったそうです。

最近の子供たちはその光景を知らないので

年寄りの言う、ここからヒマラヤが見えると言う話を

信じない子供もあったそうですが、

コロナのおかげでそれが真実であったことが証明されました。

 

もし私たちが再び同じ道を行こうとすれば

また空気は汚れ、多くの人が花粉症に苦しみ、癌はますます増え、

ウイルスに侵されやすい不健康な人がまた増加するでしょう。

誰が考えても目に見えるようにわかるはずです。

 

だとしたら、どんな方向にシフトを変えて行ったら良いのか考えるべきでしょう。

だからと言って別に頭を捻って考えろって言ってるわけじゃないけれど、

コロナが終息したら世の中こんな風になっていて欲しいな、とか

自分の願望を見つけて欲しいのです。

単純に考えて

例えばですよ、国民の大半、と言うことはコレを読んでいる人は皆含まれています。

国民の大半は奴隷で、昼も夜も工場で働かされている、

トップは贅沢な暮らしを謳歌して国民にはそれを知らせない、

威張ってばかりの政府を、誰が欲しいと願うでしょう。

皆のささやかな願いはきっと自分にとって善良なものに違いないのです。

 

 

 

 

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