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再連載:ピアソン夫妻 その1 

2022-03-06 05:00:00 | 投稿

連載:ピアソン夫妻

 

約100年前、アメリカから宣教師として日本に派遣された二人は、野付牛村(現在の北見市)を拠点に、十勝へ幾度となく伝道の旅をおこないました。そしてさまざまな足跡を残しています。最近の研究ではさらに新しい発見も見い出されており、ここに連載企画として紹介したいと思います。

  

 

ジョージ・ペック・ピアソン(George・Peck・Pierson)は、1861年1月にアメリカ合衆国ニュージャージー州エリザベス市で牧師の子として生まれました。1888年プリンストン神学校を卒業後、同年9月に日本の明治学院神学部の教師として派遣されました。
アイダ・ゲップ・ピアソン(Ida・Goepp・Pierson)は、1862年4月にフィラデルフィアで弁護士の子として生まれました。1890年米国聖公会宣教教師として来日、セント・マーガレット・女学校(現立教女学院)で教えました。

 

 

二人の出逢い:来日当時の東京では、一般の外国人は築地の居留地での生活が義務づけられており、その築地にあった『一致教会で出逢った』とピアソンは記録している。


二人の結婚:1895(明治28)年6月、東京で結婚式を挙げたと記録されている。その頃は、ピアソンは北海道の小樽を拠点とした宣教師として伝道局より派遣されており、アイダは福島の教会へ派遣されていたとの記録がある。


北海道での活動:結婚後の二人は、小樽での活動を中心に、クララ・ロースの静修女学校やロース幼稚園の支援、道南の函館・伊達・室蘭・札幌などの地域の教会を支援する。1897(明治30)年頃より札幌へ活動拠点を移し、北星女学校(現北星学園)や札幌農学校(現北海道大学)で教えたり、全道の教会支援などの活動をする。

1901(明治34)年、活動拠点を旭川へ移し、遊郭設置反対運動、監獄伝道、アイヌ民族への人権活動、婦人の人権活動等を精力的に実践する。


野付牛(現北見)を活動拠点に:旭川で共に活動していた坂本直寛牧師が1911(明治44)年に胃ガンで召天する。その坂本直寛が開拓団を率いて来た野付牛をピアソン夫妻は日本での最後の伝道地として選択する。それは、1914(大正3)年の事である。夫妻はこの北見の地で、1928(昭和3)年5月まで過ごし、40年間の日本での伝道活動を終える。

注)出典:北海道遺産「ピアソン記念館」とNPO法人ピアソン会

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