十勝の活性化を考える会

     
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再連載:ピアソン夫妻 その5 ピアソン夫妻と北光社

2022-03-11 05:00:00 | 投稿

 

 

【ピアソン夫妻と北光社】
 この写真は、1910年(明治四十三)六月二十一日、北光社講義所に集まった人たちの記念写真である。中央に白髪の西森拙三牧師、その前に市村直吉と子供達、右隣が前田朝光、右側にピアソン夫妻の顔も見える。
夫妻はこの六月に北見地方を巡回し、雄武、湧別、学田(遠軽)、佐呂間を経て、この日北光社講義所にやってきた。ピアソン夫人の紀行文(「六月の北見路」)には、この時の掃影のようすが生き生きと記録されている。
北光社講義所は、坂本直寛が代表であった高知県からの開拓移民団「北光社」の人々の精神的支柱であり、やがて日本基督教会野付牛教会(現北見教会)へと発展していった。
ピアソン夫妻は、その後野付牛に住み(一九一四~一九二八年)、人々に福音を伝えるとともに、貧しい人々の救済など愛の実践を通じ、多くの人々に良き感化を与えていった。夫妻の住んだ当時の住宅は、現在「ピアソン記念館」として北見市の「有形文化財」、また北海道の「北海道遺産」に指定され、年間多くの参観者を迎えている。
北光社は《北に光を!》と、坂本直寛の叔父坂本龍馬の夢を継いでの開拓団であったのである。

 

 

【移民団の精神と三人の指導者】
「北光社」は、キリスト教精神に基づく理想的社会の建設をめざした高知県出身の開拓移民組織で、明治三十(一八九七)年五月七日、ここクンネップ原野に人植した。同年六月十日、ノツケウシ原野に人植した屯田兵と共に、粒々辛苦開拓の鍬を振るい、北見市開拓発展の先駆けとなった。 

・北光社社長 坂本直寛
安芸郡安田村の郷士の家に生まれる。土佐民権派幹部。立志社憲法起草委員。論客として知られた。一八八五年高知教会創立と同時にキリスト教に入信。三大事件建白運動で上京、保安条例違反で人獄。獄中聖書に親しみ拓殖事業の啓示を受けた。自由民権や救霊運動に尽くし、晩年はピアソン夫妻と監獄伝道など行動を共にする。 

・北光社副社長 沢本楠弥
長岡郡介良村生まれ。自由民権運動に参加。県会議員。三大事件建自書で上京。保安条例違反の退去命令を坦否して投獄された。キリスト教徒。北光社創立に加わり、副社長となる。一八九七年移民団を率いて野付牛に。北光社農場では実質的に社長の地位と責任を負い、鉄道敷設請願委員総代などに就く。 

・北光社支配人前田駒次
長岡郡本山村生まれ。キリスト教徒。
武市安哉の聖園農場に本山ほか11力村連合町村会助役の職を辞して参加。第一次人植者の引率者として渡道、武市を補佐して農場の管理にあたった。
北光社農場創設のとき農事指導者に請われて移住。沢本楠弥没後(明治37年)支配人となり全責任を負った。この間水稲栽培に成功。
初代野付牛町長となり、ピアソン夫妻の活動にも積極的に協力する。さらに道議会議員に七期当選、議長にも就いた。引退後野付牛で晩年をおくり、町民から敬愛された。

 リーフレット引用元:NPO法人ピアソン会

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