寺社仏閣はもちろん、城跡にも只ならぬ興味が尽きない私。
今回は、午後のお散歩に八王子城を訪れました。
ところで東京にもいくつか城がありますが、そのうち国の史跡に指定されている城は4つ。
江戸城、お台場、そして八王子市には八王子城と滝山城の2つがあります。
ガイダンス施設の先には広い駐車場が完備されています。
ありがたいことに無料。
利用時間は8時半から17時までで、それ以外は閉鎖されています。
お城スタンプはこの八王子城跡ガイダンス施設と八王子城跡入口にある管理棟の2ヶ所に設置されています。
御主殿に渡る曳橋がデザインされたスタンプ。
管理棟についたのが16時少し前。
駐車場は17時に閉鎖しますので、ガイドの方に効率の良い散策路を伺うと看板に矢印がある「古道・御主殿跡」のコースをすすめられました。
八王子神社や本丸跡はまたの機会という事で、じっくり見学しても1時間弱の軽いウォーキングコースです。
大手門跡を通り過ぎ木橋を渡ります。
この木橋は、敵方の攻撃を阻止するために堀削された堀切に架けられています。
戦国時代に御主殿へ入る道として使われていた古道(大手道)
城山川に架けた橋。
現在の曳橋は立派ですが、当時は簡単な木橋を架け、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだと考えれています。
対岸の虎口の土塁、その先の御主殿跡を望んだところ。
古道を歩いた先に現れるこの光景。
私はこういった光景を見ると俄然テンション上がってしまいます。
もうわくわくが止まりませんヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
曲輪(ここでいう御主殿跡地)の出入口のことを虎口(こぐち)といいます。
直進できないように工夫がされ敵が侵入しづらい工夫がなされています。
400年間崩れず、築城当時のまま残っている石垣を見ることができます。
八王子城は戦国の終わり頃、関東に勢力を誇っていた小田原北条氏の三代目氏康の三男・北条氏照が築いた山城です。
はじめは滝山城を拠点としていたが、この八王子城に本拠地を移すために築城しました。
しかし、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590)、前田利家、上杉景勝らの攻撃で落城します。
この八王子城落城が決め手となり、小田原城は開城、氏照は兄の氏政と共に切腹し北条氏は滅亡しました。
石段を上り冠木門の先には御主殿跡が広がります。
発掘調査の結果、2棟の大型建物跡や池のある庭園跡が見つかりました。
落城後は国有林になったため、幸運にも建物の礎石や水路跡などが当時のままの状態で残っていました。
建物跡は氏照が政務を行っていた主殿と客をもてなす会所と考えられています。
また遺構としてたくさんの遺物が見つかりました。
その中には大変貴重なベネチア産レースガラス器も発掘されました。
落城時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らが、滝の上流で自刃して次々に身を投じ、その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったと伝えられます。
訪れた時は水量がほとんどなく、何処が滝なのかよく分かりませんでしたが、画像真ん中の平らな部分に辛うじて水が溜まっているのは分かりました。
御主殿側には、江戸時代に新たに作られた林道があります。
帰りはこちらの道を通りました。
道の脇にたたずむ石仏。
後から知ったのですが、八王子城って心霊スポットで有名なんですね。
自刃して城山川に身を投じた女性や子供たちが所以なのでしょうが、幸運な事にこの日の私には何も感じず、爽やかなひとときを過ごすことができました。
八王子城を納めた北条氏照、小田原城を納めた北条氏政、鉢形城を納めた北条氏邦。
「北条3兄弟」のゆかりから「北條三兄弟三領共同宣言」を締結、姉妹都市盟約を結んだ八王子市、小田原市、寄居市の3つの下水道マンホールのふたが駐車場から八王子城跡管理棟前の間に設置されています。
この時は、そんなことは露知らず…キレイなフタだなぁと2枚だけ写真に収めたのが八王子市と寄居市のフタ。
小田原市の撮り損なって残念(>_<)
八王子城跡
東京都八王子市元八王子町3-2664―2
https://hshiro.fuma-kotaro.com/
時間 : 24時間
備考 : 駐車場有(無料)
日本100名城スタンプ : 八王子城跡ガイダンス施設、八王子城跡管理棟前
アクセス : 八王子ICより車で約25分
別名 : なし
縄張 : 階郭式山城
天守 : なし
城主 : 北条氏
築城年 : 天正15年(1590)
遺構 : 石垣、土塁、堀切、御主殿跡、曲輪、井戸
文化財 : 国指定史跡