広島 家族葬 広島 葬儀 安芸葬祭・エキキタホールのブログ

広島の家族葬 広島の葬儀
どこよりもわかりやすく
取り組むブログです。
宜しくお願い申し上げます。

カープは明日から勝てるのか?

2014年04月07日 16時50分28秒 | カープ
ここまでのカードは緩やかな戦い。

投手を含めた守り勝つ野球に徹するのか

それとも大穴を抱え、当てにならない攻撃優先で臨むのか…

いまだハッキリしない野村監督にうんざり。


明日からの巨人戦…

力の差を痛感する予感。

松田オーナーへ

2013年02月04日 08時41分14秒 | カープ

この方の様な情熱を、もっと発信してほしいものである。

これこそ…本物のオーナー。

私は、そう思います。




初代・大社義規氏 日本ハムキャンプ見守る名物オーナー胸像
2013.02.03


大社義規氏の胸像除幕式【拡大】
 二刀流のゴールデンルーキー・大谷翔平を擁し、12球団一の注目度を誇る日本ハムキャンプに新名所。1日、1軍の沖縄・名護市営球場正面に初代オーナーだった大社義規氏(享年90)の胸像が完成、除幕式が行われた。

 「本拠地を北海道に移転して10年。名護でキャンプを始めて35年。球団創設40年。節目の年にありがとうございます」。初代・大社義規オーナーの甥で養子の大社啓二オーナー代行が、名護の稲嶺市長に対し、こう感謝の念を口にした。

 プロ野球の沖縄キャンプのパイオニアになった故・大社氏の業績を考えれば、名護市側が胸像を作ったのはむしろ当然だろう。温暖だが、雨が多いために不向きだとされていた沖縄は今やプロ野球キャンプのメッカになっている。野球とお酒を誰よりも愛した大社氏は、球史に名を刻んだ名物オーナーだった。

 「選手たちはかわいいい息子のようなもんや」が口癖だった大社氏は、2軍の選手まで全員知っていた。多忙な合間を縫って2軍の練習場にまで足を運んだからだ。晩年、体調不良にもかかわらず、車イスで試合観戦する情熱的なオーナーだった。

 「ワシの手がけた事業はすべて成功しているのに、野球だけは思うようにいかん。生きているうちに一度で良いから日本一になりたいんや」。こんな悲願は叶わず、亡くなった翌年の2006年に日本ハム史上初の日本一が達成されている。

 「天国で見ていてくれるだろうが、オーナーが元気な内にこの喜びを味わわせたかった」。ユニホーム組も背広組もこう涙した。「本当に情熱的なオーナーで頭が下がる思いだ」。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督、ソフトバンク・王貞治球団会長も異口同音に絶賛していた。09年の野球殿堂入りに続くキャンプ地の胸像という快挙。存在感の薄い現在のオーナーたちは、一度名護まで行って拝んできたらどうか。 (夕刊フジ編集委員・江尻良文)

カープの必勝祈願に思う

2013年01月23日 13時31分24秒 | カープ
今年も優勝願い、総勢75名で必勝祈願が行われた。

しかし・・・なぜ護国神社なのか、わからない。

護国神社は戦没者を慰霊するための神社であり、旧市民球場や旧カープ球団事務所のあった、基町地区の氏神様ではない。(氏神様は空鞘稲荷神社である)


また現在のカープ球団の氏神さまは、東区二葉の里にある鶴羽根神社。



予断であるが、ある神官が申された言葉。

「カープが護国神社に必勝祈願し始めたのは初優勝の昭和50年以降から。恐らく何も考えずに始めたんだろう。護国神社も(ここは必勝祈願するところじゃないですよ)とは言わないから続けているんだろうが、本当の信仰心があれば、あのようなミスはしないハズ。しかし、球団としては、護国神社というブランドで祈願詣をしているんだろうが、護国神社の位置は旧市民球場から見れば、いくら打ってもファールの場所。本当の氏神様は左中間のホームランコース。だから、あそこに必勝祈願しても優勝は出来ないと噂されている」

別にどこに参ろうがいいじゃない…そう思われる人も多かろうが、20年以上も優勝を見れない私からすれば、必勝祈願から間違ったカープに神様は微笑んでくれないと思う、今日この瞬間であった。

本当は堂林を凌ぐ実力を持つ…申選手

2013年01月03日 09時59分50秒 | カープ
申に昨年の堂林同様にチャンスを与えたら、凄いことになるでしょうね。


首脳陣は、一軍レベルでなく課題が多すぎると言いますけど、そんなこと言っていたら…第二のソリアーノになりますよ。



申…少しばかりモチベーション無くしているようだが、カープだけじゃないぞ。


今年一年…本当のガムシャラでやってみろ。


間違いなく、チャンスは来るから…



庄司…キミもだぞ。

四国のカープファンさま…金本さんの件

2013年01月03日 08時47分54秒 | カープ
記者クラブ云々は金本の発言です。

「将来指導者になるには、阪神ですか?それとも広島ですか?」

そう問われた金本は

「カープ」と断言したんです。


大阪など関西方面のスポーツ紙は、その文言を一切報道しませんでしたが、広島では報道されました。


金本が何故ゆえに、公式の場で、そのような発言を行ったのか?

これは別に不思議でも何でもないんだと思います。


私のこれまで聞いた話を並べてみます。
(かなり意味もなく長いです)


広陵高校を卒業した金本は、法政大学のセレクションを受けました。

しかし合格に至らず、彼は浪人の道を選択。

再度法政大学を目指したそうです。

しかし、浪人後選択したのは東北福祉大学でした。

(この選択には諸説いろいろ入り乱れていますので、割愛します)


頭角を現したのは、この東北時代と言われます。

全日本大学選抜にも候補として最有力だったのですが、ある問題が金本を悩ませました。

(これは皆さんが想像してください)

「オマエは将来プロ野球に入るんじゃろうが…」父のその言葉から、金本は選抜から外れた悔しさを練習にぶつけた…そうです。


やがてドラフト候補としてプロスカウトから注目された金本ですが、地元の広島よりヤクルトを志望していたようです。(神宮球場への憧れか、ヤクルトファンだったのか定かではありません。理由を聞いたのですが記憶が蘇りません)


しかしドラフトでは…地元のカープが4位で指名しました。(この時の1位は町田、2位は高校生スラッガーの徳本)

この年のカープは、右の長距離砲の即戦力と将来性がテーマでした。

従って…金本の評価は、そんな大きなものではなかったのです。


ここから先の金本の活躍は、皆さんご承知だと思いますが、実はレギュラーになるまでの金本の扱いは、正直厳しいものでした。

町田には大きなチャンスを与えられてきましたが、金本には正直…チャンスと言うものは皆無でした。

背番号こそ10というレギュラー番号を与えられた印象が深いですが、往年のスラッガー興津さん以降、それなりに印象にのこる選手は道原さんくらいで、金本選手までパッとしない番号だったものです。



さて広島カープは三村監督時代…ビッグレッドマシーンという素晴らしい称号がつく強力打線でした。

野村、前田、江藤、緒方…そして金本。

これはある意味、カープの序列でもあったのです。

「野手の年俸は野村をベースに決まる。」

そして将来の幹部候補の序列とも言われたものです。



野村や前田の言い分は球団に通るが、その他は弱い。

金本に至っては…ほとんど通らない。

やがて江藤がFAで出たのも、自信の将来性を危惧した…とも言われたものです。


実は野村も前田も緒方も…カープ一筋との思いではなかったハズです。

野村は大リーグのロイヤルズへ舵をきり、「日本人初の野手メジャー選手誕生」へ秒読みでした。

前田も故障がなければFAは確実で、緒方に至っては…巨人で決まりでした。


しかし球団や色々なシガラミからカープへ残留。(当然将来の手形もあったでしょう)



金本は…結果阪神へ。



あの時点で、金本のカープへの将来性は絶たれたも同然でした。



しかし…阪神へ移籍しても金本は、地元広島への投資は惜しみませんでした。


最近は金銭トラブルが報道され、「金本は黒い人脈が多い」とか「金に欲のくらんだ男」などと揶揄されていますが、実は報道されていないなかには多くの善意の拠出があるのです。


孤児院、障害児施設…あげればキリがないのですが、昨年末タイガーマスクと称したランドセルのプレゼントが多数各地で発生しましたが、一説には金本の名前が噂されたくらいです。



昨年オフ…私はこのブログ内で、金本カープへ復帰なる書き込みをしました。(新井もですが)

すると掲載しませんでしたが、恐ろしいほどの誹謗中傷コメントが多数寄せられ、そこからコメントを選択することになりました。

また目に見えない圧力?もありました。


しかし…禁じ手を出したわけでもなく、事実と確認したから出しました。


前置きが非常に長くなりましたが、金本さんが…あの引退記者会見で「カープで優勝できなかったのが、心残り…」、「指導者では三村さん、山本一義さん、高代さんには、厳しかったけど、本当にお世話になった」など、カープへの思いを語りました。


また昨年9月30日の石井選手引退試合でも、開始前にカープ球団が、ささやかながら金本選手の功績を称えました。


そして、先日の記者クラブでの発言と地元局の特番出演。


これまで噂されたカープ球団との確執…完全とは言えませんが氷解しているハズです。


ある大物OBさんが…阪神の主砲時代に確認したそうです。


「オマエの心は、縦縞か?それとも赤か?」


金本は間髪置かず言ったそうです。

「それは当然…赤です」


数日後、松田オーナーに大物OBさんは伝えたそうです。


それで上記の発言や流れが生まれたと、私は思います。(新井さんは、したくても現状の立場では出来ないでしょうね)



以上長くなりましたが、最後までのお付き合い…ありがとうございました。

77が名監督になるには

2013年01月02日 09時47分10秒 | カープ
多くの問題抱えている野村さんですが、最後の年には間違いはないでしょう。

恐ろしいくらいに周りは攻撃的です。(野村さんに対して)


遅すぎましたが…



さて野村監督は、以下の点をシーズン終了まで持続できたら留任できるでしょう。



作戦を高と石井に任せる。



専門分野以外は口出ししない。



負け試合のあと、マスコミに選手批判を行わない。

前田の極意

2012年12月19日 11時13分17秒 | カープ
これまで前田批判をしてきたが、ある話を聞かされた。


「昔は色々あったようですが、今では若手に対し積極的に声をかけてくれる、いい先輩です」

ある選手が前田に打撃の相談をしたときのこと…

「オマエは練習のとき、何を考えてる?強く振ること?それとも来た球を漠然と打ち返すこと?」

その選手は、名人と呼ばれる前田をマエにし緊張から答えに窮した。


すると前田は…「ワシは練習から一球たりとも疎かにせんのよ。相手投手の勝負球を常に想定して練習するんよ。考えてみい。どがいな凄い打者でも7割失敗する。3割の成功率をコンスタントに残そうとするんなら、相手投手の勝負球を狙わんといけん。何でかわかるか?相手にとっちゃ勝負球は生命線なんよ。それを打ちかえされたら、次の打席で同じように勝負してくる投手が何人おるん?当然相手捕手の性格もある。だからデーターと、ベンチから見る生の状況を常に観察しとけと言うじゃろう。打席に入る前から準備が必要いうのは、そう言うことなんじゃ」


来期から打撃兼任補佐も務める前田…

談話にもあったが、一球で仕留める極意。

まだまだ求道しながらも、一人でも多くの選手が見習うことを望むものである。

がんばれ福井…

2012年12月14日 11時52分56秒 | カープ
相当に気合が入っている様子。

中継ぎ構想であるが、恐らく先発の数が不足するだろうから出番はあるだろう。

今年7月の巨人戦…10奪三振ゲーム。

あの投球内容が一番印象深いと語っていただけに、来期は期待したい。

横山の投球論

2012年12月13日 08時33分32秒 | カープ
コントロール、持ち球、器用さ…

そして野球に対する考え…

これらが兼ね備わっているのが横山。


それらの中でも横山の代名詞は…何と言っても牽制の素晴らしさ。


知ったかぶりと揶揄される私であるが、この絶妙な横山の投球技術論は、いま現在現役であるだけに、ここで明かすことはできない。

ただひとつだけ…横山の投球論を耳にした選手で、野球の引き出しを増やした人がいるのは事実。


将来間違いなく、いい指導者になるであろう。

永川…今のままでは来期も無理

2012年12月10日 08時05分52秒 | カープ
理不尽な選手起用を行うカープにあって、いくら選手が個人的に努力しても一軍への道程は遠い。

ましてや今年…一度も一軍ベンチに入れなかった永川などは、練習以外の大事な要素を持ち合わせる、したたかさが必要となる。


堂林…フロントと監督の贔屓はあったが、それ以外にも起用される要素を十分に持ち合わせたのは事実。

堂林の凄さは…球界OBや実績のある有力選手に、誰の力も借りずに聞く勇気を持ち合わせたこと。

名球界の大物であれ、臆せず堂々と聞きにいく姿勢から、有力者の間ではいつも話題に上ると聞く。


さて永川…抑えを長く任され度胸満点と思いきや、意外やそうでないと聞く。

今年は低迷を印象付けられたが、中盤は一軍にあげても通用する球の力は戻っていた。

しかし野村監督は、過去の永川の印象が強く一軍起用はしなかった。


現状のままでは飼い殺し状態になる可能性が高い。


ここは自身の考えを変え、堂林のように球界人脈を拡げるべきである。

そうすれば必ず、野球人生を後悔なく過ごせると思うのだが…


カープだけが野球ではない、そのことを肝に銘じてほしいものである。

来期は最後の勝負…大島投手

2012年12月10日 07時55分20秒 | カープ
間もなく大竹と共に結婚する同期の大島。

いよいよ来期は正念場である。


今年は一軍マウンドに、全くと言っていいほど皆無で戦力外状態であった。

しかし来期も契約をしてもらえた。


聞くところによれば、大島の能力は相当に高いものがある。

他の左腕投手と比較し、大島の一番抜きん出ているのは、右打者にクロスして入るストレートの伸びだと言う。

これは篠田や斎藤にない持ち味らしい。

唯一の難は…その最大の威力をマウンドでフル稼働できないこと。

ブルペンでは素晴らしいボールを持つだけに、その素晴らしさを毎回とは言わないが、来期は最後の勝負と思い、出来るだけ発揮してほしいと願う。


結婚を機に…死に物狂いで、数少ないチャンスを是非とも掴んでほしいものである。

豪腕左腕の国木剛太を憶えてますか…

2012年12月09日 09時44分08秒 | カープ
これまで多くの選手が退団した。

何もカープだけの話じゃないが、一軍で起用してみれば…思わぬ成績を残した可能性があった有力選手も多数存在したのも事実である。


国木剛太…ご記憶だろうか?

大阪の上宮高校から、11年前に入団した左腕投手である。


同期には大竹、大島などの一軍実績組がいるのだが、彼は一度も一軍のマウンドを踏むことなく球界を去った。

彼は高校3年のとき、左手首を練習中に故障した。

そのケガは野球生命を断念させるほどの重症だった。

しかし国木は、そのケガを隠し騙しだまし練習を続けた。

すると異変が起こった。痛みはないのに捕手までボールが届かない。何球も繰り返すも、その連続で絶望を味わう。


もし、たら、れば、は、禁句であるが…もし、あのとき早めにケガに対処していれば、彼は間違いなく大竹と並びドラフト1位の称号を与えられた投手だったに…


そんな状況の国木であったがカープに指名された。

ドラフト前のメディカルチェックで、「すぐには完治とはいかないが、間違いなく数年後には戦力となるまで回復する」とのお墨付きがあったから、カープは国木を指名した。(他球団は指名を見送る)


球団も将来の左腕エースとして期待も高く、国木自身も、その期待に応えるため懸命にリハビリに励んだものである。

しかし左手首は、あの豪腕を彷彿させた時代に一向に戻る気配を見せなかった。



プロのリハビリ力から、やっと130キロ後半のボールが投げられるようになったのだが、コントロールがままならず、ファームの試合に登板するも、国木本来の持ち味は消え去り、ただの左腕投手になっていた。

ネット裏で観戦する他球団の編成部門も、「あれが、あの豪腕と呼ばれた国木なのか?」と、首を傾げる始末。

国木のプロ生活の終わりを告げる日は、確実に近寄っていた。



現在の国木は、地元大阪にて少年野球を指導する立場にある。

自身の苦い経験から、ケガをすると早めの対処の必要性を説きながらも、野球は楽しく行うスポーツだと教え込んでいる模様。


プロでは実績を残すことはなかったが、またいつの日か…あの輝いた上宮高校時代の自身と同じような選手を育成してほしいものである。

12月28日…

2012年12月08日 09時08分18秒 | カープ
あの人に会います。


「君の声が聞こえる…」

「ありがとう…友よ~」

「ありがとう…愛を~」



28日以降に証拠写真をアップしたいと思います。(忙しい身らしいですから、ドタキャンはないでしょうが…)