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広島カープ 往年の大砲ギャレット亡くなる 家族葬 葬儀 安芸葬祭・エキキタホール

2021年04月24日 11時32分36秒 | カープ
皆さんこんにちは。
安芸葬祭・エキキタホール
代表の河内です。

ヘンリー・ギャレットさんが亡くなりました。
昭和52年にジム・ライトルさんとカープに入団。

ギャレットは大砲の触れ込みで
本当に凄い飛距離にビックリしたものです。

私が初めて見たとき、試合前の打撃練習で
当時の広島市民球場のライトスタンドの最上段にある
某パンメーカーの看板に3級連続で当てた時に
「うわ~…すげぇ~」と驚いたものです。

しかし、試合になるとサッパリで
打撃練習はあてにならない…と思ったものです。

昭和52年の一年目
ギャレットが捕手を務めたことが数試合ありました。
これは当時の古葉監督が低迷するチーム状況に
「喝」を入れるための奇策でしたが
大きな身体であり、投手陣からは「投げやすい」と
好評のようでした。
また、外野守備では強肩に見えなかったのですが
捕手でのセカンド送球は驚くほどコントロールも良く
そして素早い動きで何度も盗塁を阻止し
当時解説で辛口の長谷川良平さんも
「投手には非常に有り難い捕手」と評価されました。

昭和53年、ギャレットは日本の配球に慣れ本領を発揮します。
開幕から月間日本記録に並ぶ15ホームランをマークし
その年はオールスターにも出場し豪快なホームランを放ち
その年「200発打線」と呼ばれる赤ヘルカープをけん引したものです。

昭和54年、開幕より不振を極めましたが
要所で威圧感を発揮し、優勝を決めた試合では
勝利を手繰り寄せるホームランを放ち、広島を熱狂させたものです。
日本シリーズでは近鉄の抑えのエース山口からタイムリーを放ち
来年も契約されるか、と思いましたが
チームの構想から外れ、カープのギャレットは幕引きとなったものです。

帰国後、ロイヤルズの打撃コーチなど指導者に転身。

赤ヘル黄金期には欠かせない選手の一人でした。

何度か旧市民球場前でサインをもらいましたが
スタンドプレーをするような人でなく
寡黙、真面目を絵に描いたような選手と言う印象があります。

ライトルはにこやかに対応してくれるタイプ。
しかし、ギャレットは厳しい表情を崩さないタイプ。

そして打撃不振になると低迷する期間が長く
考え込むタイプ…と言われました。

エルドレッドが入団したとき
「ギャレット2世」と報道されたのですが
ホームランの魅力だけで見ると
圧倒的にギャレットの方が凄かった…というのが
私の印象です。

最後に弊社のYouTube安芸葬祭チャンネルで
昨年、なぜかギャレットを取り上げ
それも何の因果か、昨日アップしました。
その動画を再度アップします。
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