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あの頃カープは強かった…NO.7

2012年03月24日 12時40分17秒 | カープ

昭和54年から55年の二年間、私が通っている学校で皆が口したのは・・・

「終盤に球場へ行こう・・・」であった。

当時は7回くらいになると、外野席は無料で開放してくれた。

いま考えると、あれは球団の方針でなく、アルバイトの学生の兄ちゃんたちが、勝手に行っていた行為だと思う。(笑)それはそれは、金のない私には本当に有難いことであった。

しかし、終盤に球場に行く大きな理由は、大逆転劇を見るためであった。

 

当時のカープは、本当に終盤から逆転する試合が多かった。

他球団は、明らかにカープと戦うことに恐怖も感じていた。

球場に詰め掛けるファンのすべてが、カープファン。

今のように、他球団の応援団が詰め掛けることは皆無に近かった。

 

球場の興奮がいっそう高まる終盤。

たとえ6点差で負けていようが、カープファンは「ほれ。そろそろいくぞ・・・」と気合が入り、応援のボルテージが一斉にあがる。

昭和53年から始まったトランペットによる応援も、選手に活を入れるものであり、球場が一体感を持っていた。

カープナインもその雰囲気に応えるように勢いもます。

ヨシヒコが出塁し三村がつづく・・・そしてライトル、コウジ、水谷、衣笠、ギャレット・水沼と流れる打線は、今年の巨人よりも破壊力があった。

少々の点差は関係ない。

代打には、内田と萩原の2枚看板が。また、いぶし銀の正垣も控える。

守備固めや代走には、中尾や木下に岡や深沢もおり、すべてのスペシャリストがベンチにいるのだから強いハズ。

勝ち越すと9回には江夏がマウンドに仁王立ち。

これで完全に、相手は(蛇ににらまれた蛙)である。

本当に強かったカープなのである。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たく)
2012-03-24 14:08:52
萩原~ 懐かしいですね~
確か、萩原と原田のどちらかがトレード候補でした。
萩原を獲得したわけですが、ジャイアンツ戦でその原田の打球をダイビングキャッチして、鎖骨を折る怪我をしました。
地味ですが、すこしドラマを感じましたね~(笑)
特に僕も子供の時鎖骨を折った経験があるので、親近感がわきましたよ。(笑)
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Unknown (Unknown)
2012-03-24 14:27:40
オールスター明けの戦いは負ける気配なかったよな-。
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この頃でしたよね… (灰皿猫)
2012-03-25 11:03:35
新聞にも載った記憶がありますが

「また勝った!どうしょうかいのぉ~」
…なんか、勝ったらイカンのか!?的に思ったものですが、それくらい毎日勝ってたし、
偶に負けると
「ま、こういう日もあるよね」
でしたもんねぇ…懐かしい響きだわ(^^;)
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