昭和54年から55年の二年間、私が通っている学校で皆が口したのは・・・
「終盤に球場へ行こう・・・」であった。
当時は7回くらいになると、外野席は無料で開放してくれた。
いま考えると、あれは球団の方針でなく、アルバイトの学生の兄ちゃんたちが、勝手に行っていた行為だと思う。(笑)それはそれは、金のない私には本当に有難いことであった。
しかし、終盤に球場に行く大きな理由は、大逆転劇を見るためであった。
当時のカープは、本当に終盤から逆転する試合が多かった。
他球団は、明らかにカープと戦うことに恐怖も感じていた。
球場に詰め掛けるファンのすべてが、カープファン。
今のように、他球団の応援団が詰め掛けることは皆無に近かった。
球場の興奮がいっそう高まる終盤。
たとえ6点差で負けていようが、カープファンは「ほれ。そろそろいくぞ・・・」と気合が入り、応援のボルテージが一斉にあがる。
昭和53年から始まったトランペットによる応援も、選手に活を入れるものであり、球場が一体感を持っていた。
カープナインもその雰囲気に応えるように勢いもます。
ヨシヒコが出塁し三村がつづく・・・そしてライトル、コウジ、水谷、衣笠、ギャレット・水沼と流れる打線は、今年の巨人よりも破壊力があった。
少々の点差は関係ない。
代打には、内田と萩原の2枚看板が。また、いぶし銀の正垣も控える。
守備固めや代走には、中尾や木下に岡や深沢もおり、すべてのスペシャリストがベンチにいるのだから強いハズ。
勝ち越すと9回には江夏がマウンドに仁王立ち。
これで完全に、相手は(蛇ににらまれた蛙)である。
本当に強かったカープなのである。
確か、萩原と原田のどちらかがトレード候補でした。
萩原を獲得したわけですが、ジャイアンツ戦でその原田の打球をダイビングキャッチして、鎖骨を折る怪我をしました。
地味ですが、すこしドラマを感じましたね~(笑)
特に僕も子供の時鎖骨を折った経験があるので、親近感がわきましたよ。(笑)
「また勝った!どうしょうかいのぉ~」
…なんか、勝ったらイカンのか!?的に思ったものですが、それくらい毎日勝ってたし、
偶に負けると
「ま、こういう日もあるよね」
でしたもんねぇ…懐かしい響きだわ(^^;)