何回続くか知りませんが・・・やってみましょう。
カープへの夢を込めて・・・ブラックジョークと受け止めて下さいね…
これまでカープ球団に対する苦言は多く寄せられていた。
広島財界の重鎮と呼ばれる、創造開発のCEO田山隆一は、ことあるごとに球団事務所に出向いた。
今年89歳になる田山は、オーナーである松田を幼少期から可愛がり、まるで自分の息子のように接していた。
今年のシーズン終盤、スポーツ紙に…「今年は最下位でもいい」と言う、オーナー発言が一部スポーツ紙に掲載された。
そのとき田山は、すぐに球団事務所に電話し、オーナーに忠告した。
「いくらなんでも、オーナーがシーズン途中に投げやりに思える発言をしてはいかん。現場で指揮を執るスタッフや選手のやる気が低下する。この様な時こそ…オーナーたるもの、今年の反省をし、来季に向けてやるべき方向を決めなければいけないのじゃないのか?」
するとオーナーは、「いや…あれは、新聞記者が勝手に解釈して言葉をつなげただけで、私が言ったのは、今年は結果を求めない。例え最下位になろうとも、最後まで全力で戦った結果がそうであれば、仕方がない…と、言っただけです…」と弁明した。
田山は…また、いつもの事かと・・・諦めに近い返事をし、電話を切った。
CEO室で田山は、正面に置いてある、昭和50年初優勝時に行われた平和大通りをパレードするV1戦士の写真を見つめた。
そこには満面の笑顔を振りまく、当時の古葉竹識監督や現オーナーの父、松田耕平氏の姿があった。
また、沿道には…おらがカープの初優勝を喜ぶ多くのファンの歓喜に沸いている様子が、その写真から、昨日のように思い出された。
田山は思った。
(広島は原爆の廃墟から、立ち直る過程にカープが誕生した。
当時は金もなく、戦力にも窮し、球団の存続は危ぶまれた。
多くの財界人や市民、県民にカンパを求め、広島からカープを無くすな…と、命懸けの毎日であった。また、当時の石本監督は、その様な状況のなか、選手の指導を終えると、毎日寝食を忘れ、多くの人に協力を求めたものだ。
あの石本さんやカープ誕生に尽力された谷川昇先生(当時衆議院議員)たちの努力の結晶が、昭和50年の初優勝につながったんだ…)
それだけに田山は…いまのオーナーの方針に、じくじたる思いで一杯であった。
すると、CEO室の内線が鳴った。
秘書が、「広島東洋銀行の橋本頭取からでございます」と伝えた。
田山と橋本は40年以上の付き合いになる。
最初は仕事上の付き合いであったが、互いに戦前生まれ。
お互い苦労の価値観が似通っているため、今では個人的な付き合いが大半を占める関係になっていた。
午前11時に、橋本が田山の部屋を訪れた。
手には、福岡名産の明太子をさげていた。
田山は福岡の明太子が好物であり、彼のもとを訪れる来客は、みな明太子を持参する程である。
なかでも、鳩や食品の明太子がお気に入りで、橋本だけが、その明太子を持参する。
橋本は席に座るなり、世間話もほどほどに切りだした。
「田山さん、実は今日お邪魔したのは…カープのことです。先日福岡で、ソフトダンクの金オーナーを紹介されました。彼の球団運営を聞き、ビジョンが明確化されているのに驚きました。」
田山は、ソフトダンクのビジョンが気になった。
「ビジョンとは…」
橋本は胸元からメモ帳を取りだし、語り始めた。
「金オーナーは、全権を王さんに一任していますが、その時…自分がプロ野球運営に参画する趣旨を伝えられたそうです。
まず…①毎年戦える集団として戦力の補強は行う。そのため、一部に偏るのでなく、弱体化したところを絞ること。
②一軍は最高のパフォーマンスを演出する場であり、そのために二軍の指導体制は重要。
二軍の指導者には、理論と情熱を持った人間を長期的視点を持って配置する。
③トレーナーやスコアラーなどの裏方に人数制限は設けない。高度な野球技術と野球観を身につけるため、情報をしっかりと集め、その能力を発揮できる人材を揃える。
④ファンあってのプロ野球を忘れることなかれ。プロ球団といえど企業であるからには、利益追求も重要であるが、ファンが感動し夢を追える運営に心がけるべき。
そのためには、資金は投資する。プロ野球は多くの支持するファンの期待に応えれば、自ずとファンが詰めかけてくれる。ファンが投資してくれたお金をファンや現場にに還元すれば、未来永劫にチームは強化される。」
田山も同感であった。
それは、20年近く優勝から遠ざかっている、カープの現状を思えば、まさしくその通りであった。
橋本は続けた。
「ではカープはどうなのか…?
結論から申しますに…この低迷な成績から見ますと、何もされてないのに等しい。
球場は良くなったと言っても、一番大切なチーム力は上がっていない。
観客に対するファンサービスも、グッズ販売や球場内施設に力を入れるだけで、ファンが一番望む改革…すなわち、ユニフォーム組の充実が図られていない。
指導者やスカウト、スコアラーはじめ、選手の底上げがあって、始めてチームも盛り上がり、ファンも一体化されてくるのに、一向に改善されない。
資金が無い…自前で育成する…毎年その様な後ろ向き発言が繰り返され、今では広島の人間は、カープに期待ではなく失望ばかり増している。」
田山は思った。
(やはり…いまのオーナーは器ではなかったと…口ではカープを広島に残すのが自分の仕事と語ったが、本心はそこまではなかろう…)
気が付くと時計の針は午後2時を回っていた。
互いに、広島とカープに対する思いは誰にも負けないと自負している。
田山は橋本にお願いした。
オーナーに本心を聞いてくれと…
カープへの夢を込めて・・・ブラックジョークと受け止めて下さいね…
これまでカープ球団に対する苦言は多く寄せられていた。
広島財界の重鎮と呼ばれる、創造開発のCEO田山隆一は、ことあるごとに球団事務所に出向いた。
今年89歳になる田山は、オーナーである松田を幼少期から可愛がり、まるで自分の息子のように接していた。
今年のシーズン終盤、スポーツ紙に…「今年は最下位でもいい」と言う、オーナー発言が一部スポーツ紙に掲載された。
そのとき田山は、すぐに球団事務所に電話し、オーナーに忠告した。
「いくらなんでも、オーナーがシーズン途中に投げやりに思える発言をしてはいかん。現場で指揮を執るスタッフや選手のやる気が低下する。この様な時こそ…オーナーたるもの、今年の反省をし、来季に向けてやるべき方向を決めなければいけないのじゃないのか?」
するとオーナーは、「いや…あれは、新聞記者が勝手に解釈して言葉をつなげただけで、私が言ったのは、今年は結果を求めない。例え最下位になろうとも、最後まで全力で戦った結果がそうであれば、仕方がない…と、言っただけです…」と弁明した。
田山は…また、いつもの事かと・・・諦めに近い返事をし、電話を切った。
CEO室で田山は、正面に置いてある、昭和50年初優勝時に行われた平和大通りをパレードするV1戦士の写真を見つめた。
そこには満面の笑顔を振りまく、当時の古葉竹識監督や現オーナーの父、松田耕平氏の姿があった。
また、沿道には…おらがカープの初優勝を喜ぶ多くのファンの歓喜に沸いている様子が、その写真から、昨日のように思い出された。
田山は思った。
(広島は原爆の廃墟から、立ち直る過程にカープが誕生した。
当時は金もなく、戦力にも窮し、球団の存続は危ぶまれた。
多くの財界人や市民、県民にカンパを求め、広島からカープを無くすな…と、命懸けの毎日であった。また、当時の石本監督は、その様な状況のなか、選手の指導を終えると、毎日寝食を忘れ、多くの人に協力を求めたものだ。
あの石本さんやカープ誕生に尽力された谷川昇先生(当時衆議院議員)たちの努力の結晶が、昭和50年の初優勝につながったんだ…)
それだけに田山は…いまのオーナーの方針に、じくじたる思いで一杯であった。
すると、CEO室の内線が鳴った。
秘書が、「広島東洋銀行の橋本頭取からでございます」と伝えた。
田山と橋本は40年以上の付き合いになる。
最初は仕事上の付き合いであったが、互いに戦前生まれ。
お互い苦労の価値観が似通っているため、今では個人的な付き合いが大半を占める関係になっていた。
午前11時に、橋本が田山の部屋を訪れた。
手には、福岡名産の明太子をさげていた。
田山は福岡の明太子が好物であり、彼のもとを訪れる来客は、みな明太子を持参する程である。
なかでも、鳩や食品の明太子がお気に入りで、橋本だけが、その明太子を持参する。
橋本は席に座るなり、世間話もほどほどに切りだした。
「田山さん、実は今日お邪魔したのは…カープのことです。先日福岡で、ソフトダンクの金オーナーを紹介されました。彼の球団運営を聞き、ビジョンが明確化されているのに驚きました。」
田山は、ソフトダンクのビジョンが気になった。
「ビジョンとは…」
橋本は胸元からメモ帳を取りだし、語り始めた。
「金オーナーは、全権を王さんに一任していますが、その時…自分がプロ野球運営に参画する趣旨を伝えられたそうです。
まず…①毎年戦える集団として戦力の補強は行う。そのため、一部に偏るのでなく、弱体化したところを絞ること。
②一軍は最高のパフォーマンスを演出する場であり、そのために二軍の指導体制は重要。
二軍の指導者には、理論と情熱を持った人間を長期的視点を持って配置する。
③トレーナーやスコアラーなどの裏方に人数制限は設けない。高度な野球技術と野球観を身につけるため、情報をしっかりと集め、その能力を発揮できる人材を揃える。
④ファンあってのプロ野球を忘れることなかれ。プロ球団といえど企業であるからには、利益追求も重要であるが、ファンが感動し夢を追える運営に心がけるべき。
そのためには、資金は投資する。プロ野球は多くの支持するファンの期待に応えれば、自ずとファンが詰めかけてくれる。ファンが投資してくれたお金をファンや現場にに還元すれば、未来永劫にチームは強化される。」
田山も同感であった。
それは、20年近く優勝から遠ざかっている、カープの現状を思えば、まさしくその通りであった。
橋本は続けた。
「ではカープはどうなのか…?
結論から申しますに…この低迷な成績から見ますと、何もされてないのに等しい。
球場は良くなったと言っても、一番大切なチーム力は上がっていない。
観客に対するファンサービスも、グッズ販売や球場内施設に力を入れるだけで、ファンが一番望む改革…すなわち、ユニフォーム組の充実が図られていない。
指導者やスカウト、スコアラーはじめ、選手の底上げがあって、始めてチームも盛り上がり、ファンも一体化されてくるのに、一向に改善されない。
資金が無い…自前で育成する…毎年その様な後ろ向き発言が繰り返され、今では広島の人間は、カープに期待ではなく失望ばかり増している。」
田山は思った。
(やはり…いまのオーナーは器ではなかったと…口ではカープを広島に残すのが自分の仕事と語ったが、本心はそこまではなかろう…)
気が付くと時計の針は午後2時を回っていた。
互いに、広島とカープに対する思いは誰にも負けないと自負している。
田山は橋本にお願いした。
オーナーに本心を聞いてくれと…