いよいよ最後の日がやってきた。
カープが最後に優勝した平成3年のオフ…
知人に誘われ、野村謙二郎選手の後援会に参加した。
この年…野村は優勝に大きく貢献し、人気も抜群。
まさに赤ヘル野球の申し子だった。
彼は司会者に促され壇上に上がり開口一番こう言い放った。
「カープは惜しくも日本一になれませんでした。私は…日本シリーズ最後の打者で、初球を打ちアウトになりました。後に多くの人から批判を受けました。あのチャンスに何で初球から打ったんだと。人は結果論でしかものを見ません。しかし私には、全く後悔はありません。ナゼなら…あれが私のスタイルで、あの球を逃し後悔するのが嫌ですから」
あの年…西武との日本シリーズ。
詳細をご存知ない方に再現すると、9回表カープは1点差ビハインドのなか、最後のチャンスを迎えた。2死満塁…流れは広島に傾き西武は絶対絶命のピンチ…
そこで迎えた打者が野村…
カープファンは、野村に全てを賭けた。
しかし投じられた初球…確かに甘い球であった。
真ん中外よりのストレート系。
当時の野村は、一部でダボハゼというあだ名のある打者で、良く言えば好球必打の積極的な打者。悪く言えば何でもかんでも手を出す打者で有名だった。
結果…何でもないピッチャーゴロでゲームセット。西武日本一という結果になった。
まあ考えてみれば…それが現在でも野村野球の礎であるのだろう。
好球必打…積極的な攻撃…
当たればいいが、外れると淡白な攻撃に見える。
さて話し変わって昨日…
某金融機関からいただいた中期計画ディスクロージャー(金融機関の決算書)に、頭取と野村の対談コーナーがある。
これはシーズン開始前に行われた対談(3月16日)となっている。
その中で思わず…噴き出した野村語録がある。
「リーダーと言うのは、自分から手を挙げてなるものじゃない。周りの仲間が認めてくれる人がリーダー。またリーダーは一人では成り立たず、水戸黄門に助さんや格さんがいたように、サポートしてくれる人がいて成り立つものと感じる。そして何より必要なのは決断力。その決断を迫られたとき、「本当にその決断で良いのですか?」と問いかけてくれる人の存在が必要」
まあこれは許せる範囲だが、問題は以下のコメントである。(他にもあるが)
「決断に際しある程度の案は決まっているので、「聞く耳を持つ」ことはたやすいことではないが、私も努めて耳を傾けている。意見する側も覚悟が必要だと思うので、意見しやすい雰囲気を作ることも必要だと監督就任3年目にしてつくづく感じます」
まあ感じただけでしょうね。
せっかく最後の日なのに…つまらんこと書きました。(すいません)
まだもう少し…今日と言う時間は残ってますので、総括的なものは後ほどにさせてもらいましょう。
カープが最後に優勝した平成3年のオフ…
知人に誘われ、野村謙二郎選手の後援会に参加した。
この年…野村は優勝に大きく貢献し、人気も抜群。
まさに赤ヘル野球の申し子だった。
彼は司会者に促され壇上に上がり開口一番こう言い放った。
「カープは惜しくも日本一になれませんでした。私は…日本シリーズ最後の打者で、初球を打ちアウトになりました。後に多くの人から批判を受けました。あのチャンスに何で初球から打ったんだと。人は結果論でしかものを見ません。しかし私には、全く後悔はありません。ナゼなら…あれが私のスタイルで、あの球を逃し後悔するのが嫌ですから」
あの年…西武との日本シリーズ。
詳細をご存知ない方に再現すると、9回表カープは1点差ビハインドのなか、最後のチャンスを迎えた。2死満塁…流れは広島に傾き西武は絶対絶命のピンチ…
そこで迎えた打者が野村…
カープファンは、野村に全てを賭けた。
しかし投じられた初球…確かに甘い球であった。
真ん中外よりのストレート系。
当時の野村は、一部でダボハゼというあだ名のある打者で、良く言えば好球必打の積極的な打者。悪く言えば何でもかんでも手を出す打者で有名だった。
結果…何でもないピッチャーゴロでゲームセット。西武日本一という結果になった。
まあ考えてみれば…それが現在でも野村野球の礎であるのだろう。
好球必打…積極的な攻撃…
当たればいいが、外れると淡白な攻撃に見える。
さて話し変わって昨日…
某金融機関からいただいた中期計画ディスクロージャー(金融機関の決算書)に、頭取と野村の対談コーナーがある。
これはシーズン開始前に行われた対談(3月16日)となっている。
その中で思わず…噴き出した野村語録がある。
「リーダーと言うのは、自分から手を挙げてなるものじゃない。周りの仲間が認めてくれる人がリーダー。またリーダーは一人では成り立たず、水戸黄門に助さんや格さんがいたように、サポートしてくれる人がいて成り立つものと感じる。そして何より必要なのは決断力。その決断を迫られたとき、「本当にその決断で良いのですか?」と問いかけてくれる人の存在が必要」
まあこれは許せる範囲だが、問題は以下のコメントである。(他にもあるが)
「決断に際しある程度の案は決まっているので、「聞く耳を持つ」ことはたやすいことではないが、私も努めて耳を傾けている。意見する側も覚悟が必要だと思うので、意見しやすい雰囲気を作ることも必要だと監督就任3年目にしてつくづく感じます」
まあ感じただけでしょうね。
せっかく最後の日なのに…つまらんこと書きました。(すいません)
まだもう少し…今日と言う時間は残ってますので、総括的なものは後ほどにさせてもらいましょう。
こんないい加減な男にお付き合いいただき、感謝申し上げます。
ありがとうございました。
現役時代から野球脳のない人間でした
明日もこのブログが続いていることを願ってます
将来に希望が持てた80年代に多感な10代を過ごし、バブルが
はじけた影響の少ない頃に就職し、家庭も持てた・・・
戦前、戦後含めて、最も豊かな世代なのかもしれない。
野村は…山崎の押し出しで先制の後の
満塁で初球を打ち上げ…
凡打に終ったんです。