五木寛之の「青春の門」は学生時代に、ある先輩から「お前みたいなのが出てくる」と言われ読みました。何度か書いたが大学に行く動機は一歩でも故郷から遠い土地で知り合いが誰もいないところで一から自分で生きることを始めたいからでした。自分の力で何ができるのか?試すということでした。
わたしに教えてくれた先輩はその「わたしの考え」もですが、既に「そんなこと言って大学に来ることが甘い」と辛辣でした、広島の人で獣医になるべく毎晩勉強しておられました。それはそれとしてさっそく青春の門を買って来て読んだ感想は「確かに似てるな、・・」でした。しかし筑豊の炭坑が舞台でぼた山の話が出て来ても当時は全くイメージができませんでした。
横道にそれますが先日東北、北海道を回った時に夕張を少し歩きました。自治体で財政再建団体になっていることは知ってましたが想像以上に町の空気が冷え込んでいるように感じました。同行してもらったある村の職員さんもかなりシビアな感想を話していました。東峰村の宝珠山にも炭坑があったのですが今住んでいて感じるイメージとはほど遠いものでした。東峰村にも今もぼた山があるのですが全国に先駆けて新しい利用方法をしようとしています。わたしもこれに参画して色々なアイデアを提案してカタチにしていこうと考えます。
さて、青春の門です、「信介しゃん」と幼なじみの彼女、織江が呼ぶ声がのちほど見た映画では印象的ですが破天荒な男女の色恋沙汰もあの時代をよく表していました。そういう意味では憧れの時代でした。実は昨日北九州、博多を仕事で回った時に同行の方から「あれが青春の門の舞台になったぼた山たい」と教えられ自分自身が将来が見えず人生の行く先を模索していた学生時代の色々なことを思い出していました。北九州は博多ほど馴染みがないのですが車で走り、どこそこに寄っているとこの土地はどこか自分に合っているなと感じます。やっと憧れの地に足を踏み入れたような気分が広がりました。
@写真は青春の門の舞台となったぼた山。