船主の一人娘智子は、千倉でも評判の美人であった。
美人であっただけではない、気が利いて愛嬌があった。
高等女学校を出たばかりの智子は、千倉の若い男達の憧れの的だった。
その智子が、好奇心一杯の目を輝かせながら耕一を見つめている。
耕一はその眼差しに気づいていたが、わざと気づかないふりをして、ポケットからタバコを取り出して火を付けた。
「智子、耕一君にお酌をして差しあげなさい」
二人の様子を横目で見ていた父親が、娘にそう云った。
智子はにっこり微笑んで、熱燗の徳利を手に取ると、
「機関長、お疲れ様でした。一杯いかがですか」
と、耕一に勧めた。
「どうも・・・」
耕一は無愛想に杯を受けた。
智子は怪訝な顔をして、耕一を見た。
「どこかお体の具合が悪いのですか?」
「いや、そういうわけではないけど・・・」
その様子を、座敷の末席に座って、お酒を飲みながらチラチラと見ている若い男がいた。
借金をして、泣きそうな顔をしていた末松だ。
末松と智子は、小学校の同級生だった。
貧乏な漁師の倅で、腕白小僧だった末松は、ある時、智子に意地悪をして泣かせてしまった。
本当は、優しくして仲良くしたかったのだが、腕白小僧は照れくさくてそんなことはできないのだ。
その日の夜、末松は父親にこっぴどく叱られた。
「バカ野郎! 船主様の大事なお嬢さんを、いじめて泣かすとはなんということだ! あのオヤジさんの機嫌を損なって、房丸に乗れなくなったら、俺達は食って行けなくなるんだぞ。二度とあのお嬢さんにはチョッカイ出すな!」
末松はそれがトラウマになって、その日以降、智子には近づけなくなったのだ。
あれから10年近くが経った。
中学を卒業して漁師になった末松は、もう逞しい一人前の漁師になっていた。
そして、船主屋敷での宴席に、末席とは云え参加させてもらえるようになった。
その宴席に、末松が少年の頃から憧れていた智子が座っている。
すっかり女っぽくなった智子の姿を見ているだけで、末松の心は天にも昇る思いであった。
智子と話すチャンスはないだろうかと、その姿を追いながら、末松は酒を飲んでいた。
《だが、それにしても、機関長の智子に対するあの態度はどうしたことだ。もっと嬉しそうな顔をしても良いはずだが・・・」
末松も怪訝な思いで、耕一の顔を見た。
続く・・・・・・。