(立川談志が愛した新潟の田んぼ: なんと我が故郷の田んぼです )
満員の臨時バスは、ノロノロと多宝山(地元の人は石瀬山とも言う)の山道を登り峠を越える。
峠を越えた辺りで短いトンネルに入る。
岩肌に山水の雫がしたたり落ちる狭いトンネルを抜けると、眼下に青い海原が見えてくる。
「ワー海だ!」
車内で子供達の歓声が上がる。
浜は越後七浦のひとつとだけあって、所々に魚が隠れる岩場などがあるきれいな砂浜である。
浜には数軒の浜茶屋が軒を並べていた。
「おばさん、また来たこて。お世話になるこて」
「まあ、良く来てくれなさったこて。暑かったでしょうがね。さあさあ、上がってくんなせや」
春樹の母は、馴染みの浜茶屋のおばさんとそんな挨拶を交わして、一緒に行った近所の家族と共に浜茶屋に上がり、潮風に吹かれながら一息つく。
しかし疲れを知らない少年達は、海水パンツに着替えると、我先にと熱く焼けた砂浜を飛び跳ねるように走り抜け海に飛び込む。
そして陽が傾くまで海で遊び呆ける。
遊びつかれた少年達を待っているのは、帰路のバス停の行列である。
当然の如く、その始発のバス停の周りは長蛇の列だ。
陽が傾いたとは言え、夏の太陽の日差しはまだまだ強い。
遊びつかれた子供達は立っているのもシンドく、しゃがみ込んでバスの出発を待つ。
そんなバス停の哀れな子供達の目の前を、一台の白い乗用車が砂埃をあげて通り過ぎた。
「アッ、あれはお医者さんの車じゃねーか! クーラーまで付いてるでよー」
と、誰かが叫んだ。
《そうか、あれはあのやぶ医者の家族の車か・・・・・》
春樹はため息をつきながら、走り去る車を眺めていた。
春樹は、あの医者はどうも信用できないと思っていた。
それまで何回か風邪や腹痛などでその医者に診てもらっていたのだが、その診察態度というかその醸し出す雰囲気がお医者様という風情ではないのである。
《こいつは仁術より算術だな》
子供心に、春樹はそんな風に感じていた。
そして、春樹が通う小学校の一学年下に、そのやぶ医者の息子がいた。
上品な顔立ちをしていたが、頭の方はイマイチという噂であった。
しかし、いずれは親の後を継いで医者になるのだという。
《あの程度で医者になれるのか・・・・・》
春樹は世の中の不公平を、その時初めて実感として感じたような気がした。
疲労感が倍増した少年は、白い乗用車が走り去ったデコボコ道を、ぼんやりといつまでも眺めていた。
初めまして、夏雪草です。
このたびは、
数あるブログの中からご縁をいただきまして、
読者登録をありがとうございました。
こちらのブログを拝見していると、
ゆったりとした懐かしい時間を過ごすことができます。
写真が1枚だけでも、
文章からいろんな情景が浮かんできます。
昔色のままの風景。
素敵ですね。
私も読者登録させていただきたいと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。