アシュラムを始めてこの村で生活し始めると、ネガティブティが襲ってきました。私はまだ学生でもあり、良い事や悪い事、いろいろな事が起きました。1年半~2年が過ぎるころには、学校のキャンパスに毎日たくさんの車が乗り入れ、大勢の人々が私に会いに来るようになりました。
ほぼ毎日、4台、5台、10台と車が待っていたのです。皆、私の助けを必要としていました。最初、私は無一文でした。ここで少し私の床屋の話をしましょう。当時の彼はとても優しい人でした。今も優しい人です。
その頃、彼は私に敬意を持ってくれていました。それだけで良いのです。充分です。彼が何をしてくれるつもりなのか、私には分かっていました。そしえt私がこれから何をしてくれるつもりなのか、私には分かっていました。そして私がこれから何を彼に与え、また、すでにどれだけのもを与えたかも分かっています。
私は学校に行くために髪をきちんと散髪しなければなりませんでした。その床屋に行った時、懐にはわずか2ルピーしか入っていませんでした。散髪にはもっとお金がかかります。私が座ると彼は切ってくれました。
彼はとてもきれいに髪の毛を切ってくれたのに、私はどなっていました。「ちょっとここを見て。こっち側があんまり良く見えないよ。もう一度ちゃんと切って」
満月行の次の日の日曜日、私が無料で差し上げた犬の飼い主の家探しに出かけました。高速道路で1時間の所の漁師町という事は聞いており、どのような環境で飼われるのか、見たかったのです。最初はあまり気にしなく里子に出したのですが、別れ際の事もあり、心配で心配で仕方なかったのです。行きたくない素振りが脳裏に焼き付き、どうにもならない寂しさがこみ上げ、体が勝手に行かせるのです。
73歳の高齢の一人住まいの女性の情報が後から入って来て、心配になったのです。当然里子に出す条件は、私が飼育するより、個人の家で可愛がられた方が幸せだろうと思っていたからです。当初の目的も癒し犬を創る事だったので、その目的に合っているのですが、少し混乱するようになっていました。これは人間のエゴではないかと思うようになったのです。
人間なら自分で運命を変える事は出来るでしょう。娘を嫁に出した時も、全く心配しなかったし、悲しい事もなかったのです。自分で決めた事であり、もし決断が間違っていても、自分の考えで、過ちを修正できるが、犬の場合は出来ないのです。飼い主が勝手に相手を選び、犬は従う以外ないのです。一日中ゲージの中に閉じ込められるかも知れません。当然こちらも注文をつけて里子に出すのですが、本当に守るかどうかは分かりません。そして今後どのようになるかも分かりません。
終生大事に飼ってくださいよ。間違っても何かの都合により飼育が難しくなった場合は、私に一番最初に電話して下さいよ。あなたが入院したりした場合預かってくれる人はいますか?等などの注文は付けていますが、心配になる事がありました。犬を飼うには、結構お金もかかるのです。この部分を見逃していたのです。
家を探し当て、周りを見たらが~んでした。日本にこんな所が未だに残っているのだろうか?人間がやっと通れる瀬戸道を通らなければなりません。隣の家とは余裕もなく、庭もない。私が飼っている環境とは大違いです。失敗した。後悔の連続です。それから毎日心配が募り、いても経ってもいられない気持ちを打ち消すために、工事に熱中しだしたのです。
そして、あの子が好きだったおやつや夏用の犬用のベッド一式をアマゾンに注文し、手紙と共に送りました。その手紙を読んで電話を頂きました。何も心配しないで下さい。娘夫婦も家の近くに引っ越すようになっています。孫も毎日来て一緒に面倒をみてくれるようになっています。との事で少し安心したのですが、でまかしかも分かりません。と言って、取り返すことは出来ない状況です。
日曜日に行った時に、近所のおばちゃんに見張りをお願いしました。毎日散歩に連れって行っているか、それとなく見張って頂くようにお願いしました。その時の会話の中に、以前飼っていた犬が死んだ時に、孫と一緒に犬の火葬場に連れて行き泣いたとの事です。そして、もう歳だから犬は飼わないと言っていたそうですが、娘が認知症予防のために押し付けたようです.交番にも行きました。巡回中に虐待などの情報があったら連絡して欲しいとお願いしました。
長々と何を言いたいかと、言いますと。別れは二度と嫌だと言う事です。ですが、自分に若しもののことがあったら、泣くのは犬であるので、早く里子に出した方が犬の為だと悩んだ結果の事を言いたかったのです。結論は私が90歳まで生きれば良いのです。そして、犬を看取った後、死んで行けば良いのです。そのようにババが仕組んだのではないかと思うようなったのです。90歳まで健康で長生きさせ、何かをさせようとしているのだろうか?その為に犬との間を引き裂いたのでは、犬の為にも90歳まで健康で生きる方法を実践しなければならない。自分は何時死んでも良いと思っていたが、犬の為に長生きしなければと思うようになりました。命とは自分だけのものでは無いと言う事を、悲しの中で教えられたような日々を送っています。