戦争の責任は政治にある

90歳を過ぎての挑戦、、、ここにきて戦争を知らぬ政治家が幅を利かせ、憲法に取り組むべきを、避けて通る姿は残念に思う。

都会議議員の選挙も迫り政界の慌ただしさ

2016-12-19 20:17:51 | 日記
新党を目論むと、一期目は新党のニュース性で当選する場合が多いが、2年目には能力如何を問われ落選するケースが多いと言われる。宜なるかな、政治を研究せず、政治に携わる事自体、可笑しい。うまくゆけば、高給に有りつけると自説を恰も一人前のように思い違いする。政党は、人気者を狩り出して、数だけ広げる。この数で政治をやられたら国民はたまったもんでない。税金で素人の政治家を養成するほど、馬鹿なもんは無い。小池都知事はこの辺の実情をいやと言うほど経験されたが故、新党の恐ろしさを熟知している。大東亜戦争勃発時、海軍の山本五十六将軍は、国の開戦要求に、Ⅰ年~1年半は、対アメリカ軍を傷みつけるが、それ以上は戦力の差は如何ともしがたく、その間和平交渉のに動くべく、一身をささげた。多くの場面で、これ以上戦争は不可能と叫んだ軍人もいたが、組織の老朽化は、個人の力は、抹消される。嘗て陸軍省の燃料課長だった中村儀十郎は、東條首相に、これ以上の燃料は調達不可能と進言しても入れられなった。今も基本的には、聞きたくない意見も耳を傾けるべきだ。自民党の中にも、頭の固い方も少なくない。二世三世議員も少なくない。トップが人間育成に心血を注がないと、人気取りの政治は、やがて滅びる。人は歳をとると、自然に頭の働きは老化する。いい例が老人に属すると思われる人が、自ら指揮をしてはダメだ。自分に変われる人材を育成しておき、最大限に頭脳を駆使できて尚人格ある人を育てておくべきだ。集計だけの足し算の銭勘定も出来ぬ様では、世も終わりだ、禍根が広がるばかりとなる。