おやじのパイプ

壁に飾ったシベリア抑留中に作ったと自慢していた亡父のパイプを眺めながら写真と木版画の海を漂っている。

妻の実家での法事で思うこと

2019-03-02 22:43:54 | 日記
今日は義母の1周忌でした。一周忌とは仏教用語でしょうね。
妻の実家は宗旨は神道系ですので、一周忌とはいわずに一年祭と言うそうです。
その際、会長さん(仏教ではご住職にあたる人)が述べられたことで心に残ったことがありました。
要約すると、
身体は神様からの借り物であり、早い遅いはあってもいつかお返し、次に生まれ変わる。
これを聞いてびっくりしました。
最近は歳でしょうか、仏教に今ちょっと興味が出てきて、
自分なりに色々と本を読んだりしておりますが、
ここまではっきりと輪廻転生を言われるとは思いませんでした。
我が家の宗旨は仏教ですので、これまでもお寺で法事などの仏事にある程度の数に出会っておりますが、
なかなか輪廻転生については聞いたことがありません。
林縁転生を言っているのはインド系の仏教だと聞いておりました。
日本に伝わった仏教は鎌倉時代に新しい仏教が芽生えて
いわゆるありがたいお経の一節を唱えれば誰でも極楽に行けるとは聞いておりました。
それで、一年祭が終わった後に雑談しながらこのことについて聞きましたら、
生まれ変わるのだとはっきり言われました。
御霊は生まれ変わるのだから良い行いをしないといけないとのことです。
この宗教は江戸時代末頃にできたと思いますが、なかなかのもんです。
それともう一つ驚いたのは、いわゆるお経(すみません言葉がわかりませんので仏教用語を使っております)にあたるもの
を声に出しながら手(所作が伴う)も動かすことです。
これについても、耳の聞こえない方(いわゆる障害者)でもいわゆるお経を唱えることができるように、
今で言うところの手話にあたるとのことでした。
これも目からウロコでした。
新しい宗教については興味もなく、余り詳しく知りませんでしたが、
バカにしたもんじゃありませんね。
明治維新前の動乱の時代に生まれた宗教として、
急激に波及した理由がこんなところにもあるんでしょうね。
勉強になった1日でした。





昨日の読書はちょっと重たいテーマ

2019-03-02 14:39:58 | 読書
今日紹介するのは、2−3日前から読み始めていた本です。
テーマがちょっと重たいけど、最近気になっていることでもあります。
歳のせいかな?(^_^;)

少し前にも関西にあるホスピス運営者の方の本を読みましたが、
その本では臨終についてはさらりと交わしておりましたが、
この本ではそのところを避けるのではなく、生々しく描写されております。
理由は、
私たちはずいぶん前から死というものが遠くになってしまっており、
身近に臨終を経験したことがほとんどありません。
著者がいうのは高齢化社会になっていくに従い病院はどこも一杯になって
放っておけば日本の医療は崩壊する。
並行して、かなりの人は在宅での看護となり、当然それに伴って在宅での臨終が増えてくるであろう。
その時に、身内の人がオロオロとうろたえ最後の時を医者にまかてその場から逃げ出さないように、
今から心を鍛えるというか覚悟をしておく必要がある。
それは一長一短にはできないであろうし、医者もまた命を救う術は知っているが、
臨終に対応する術を心得ている医者も少ない。
また患者自身も自分が間際まで死ぬとことをなかなか理解できている人は少ないとのこと。
確かに、この本でも例題にそのような人がいました。
それに対応するこれといった術、決め手は書いてありませんでしたが、
こういう問題があるということを理解して、
少しずつ努力していく必要があるようです。
人生100年時代になりつつありますので、
時間はまだ少しありますし間に合うようです。
自分自身や配偶者などがそのような場になった際に、
ある程度はうろたえても逃げないでなんとか対応できる人で居られるように
努力しましょう。


から、在宅診療い