戸根明彦ブログ

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第5章 基盤(1)

2012-12-21 20:01:47 | 日記
さて続いて人生を左右する高校時代に入る訳だが、
高校での頑張りがその後十数年を支えてくれていたことを
今更に思うと同時に、

もう少し先を見る目が私にあったり、
その頃の環境や人からのアドバイスがあったりすれば、
また違った人生になっていたんだろうとも思えるほど、
大事な時期だったんだと考えさせられる想いだ。

先にも述べたように高校はかなり思い切った選択をしたのだが、
本人としてはそんなに悩んだ訳ではなく、
自然な選択肢だったとも言える位のものだった。

学業も好きでも得意でも無かったし、
高校卒業後の就職も考えていたので、
余程の事がなければこの選択以外は無かったのかと思われる。

ただ考えていた以上に厳しい高校生活だったお陰で
私はこの時期で大きく成長できたと認識している。

まずはそのタイムスケジュールが凄い。
朝5時半起床、片道1時間半の通学、
帰りは部活動もしていたので家に着くのは
22時を過ぎている事もしばしばで、2時間を超えるありさま。

春~初秋の季節以外は朝も真っ暗で、
最寄り駅まで自転車のライトを点灯し、
懐中電灯も鞄には入っていた。

冬には積雪もある山間の家まで四苦八苦しながら通っていた。
こんな環境の中で自分で選んだ事でもあり弱音は吐かなかったが、
どうしてもたまには遅刻もあった。
ただ頑健な体と精神のお陰で病欠はまず無かった。

この高校は風光明媚なみかん山とリアス式海岸の広がる
愛媛県吉田町(現在は宇和島市と合併)にあり、
吉田高校という校名だ。

なに一つ名を馳せたものも無いので、
地元民以外は聞いたこともない学校だろう。

私が入学する数年前には校則により
男子生徒は全員坊主頭というルールを作ろうとした学校に対し、
それに反発した当時の生徒達は校庭にバリケードをつくって、
学校に抗議し、ニュースにまでなった事があったらしい。

私が入学した頃もまだ上級生も同級生も
血気盛んなのが多かったので、
たまに他校とのいざこざやどこかの広場で
争ったような話は珍しくもなかった。

そんな事もしばしばあって、
退学や謹慎はしょっちゅう目にしていたので、
無事卒業する人の数が減るのも頷ける。

・・・つづく

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