急に
自分の行動や考えに
悲しげなることがあります
誰かに
指摘された訳でもないのに
なんとなく、
自分の行動が浅はかで情けなく
誰かにわかってほしい
とも思わない、思えない
感情が沸き上がります。
それは大丈夫だよ
と、
言ってもらえると楽なのに
言ってくれると分かっていても
そんな
言葉や思いでは
片付かない感情です。
無力
に等しい感情です。
それは、
時間が解決すると
わかってはいても
情けない感情や
非力な自分が
嫌いになります。。。
それは、ワガママでしょうか?
いいえ、ワガママではありません。
理解されることや
理解を望むことより
なんとなくの自分を慰めてあげるべきです
なんとなくの自分は
非力で情けなく、どうしようもない。
だけど、
がんばって日々を過ごしているのです。
ここでの
がんばってる=生きること
です。
生きるは死ぬまでの時間のこと
と、
このブログではお伝えしています。
どんな、時間を過ごそうが
なんやかんやで
自分には精一杯です。
勿論、小さな一歩は必要です。
ですが、
なんとなくの自分を責めるのは
可哀想です。
自分の一番の味方は
自分でなくてななりません。
例え、
誰かが責めようと批判しようと
自分の一番の味方は
自分です。
だから、自分が寂しい時には
自分が自ら慰めてあげるべきです。
慰める言葉は
自分がよく、知っています。
自分が一番欲しい言葉を
かけてあげてください。
批判や責める言葉はかけないでください。
それは、
言い訳をしなさい。
と、
伝えているのではなく
反省が必要なら反省を促し
共感が必要なら共感し
慰めが必要なや慰め
泣きたいなら泣き
悔しいなら悔しいと認め
辛いなら共に乗り越えようと誓う
自分自身が
一番、必要な言葉を
そこで
非力と嘆く、無力と感じている
自分自身の力になってください
それは、とても必要なことです。
自分自身を責め立てると
自分自身は殻に閉じこもり
その、
次元から呪縛のように動けなくなります。
それは、
呪縛なので
自分自身がゆるしを与えない限り
そこに留まります。
そのように
何十年も苦しむ自分自身の分身を
生み出さない、縛り付けない
トラウマ、過去生を作らないためにも
自分自身の苦しみを
解放してください。
自分自身に許しをだしてください
地球への感謝をお忘れなく