結局、選ぶのは自分自身
神様に
助けてください
と、願っていた。。
あるお客様が
仰いました。
神様に
なぜ助けてくれないのか?
助ける方法を教えてほしい
と、願った。
それで
こちらにたどり着いた
と、仰っていました。
さて、
メッセージとして
選択肢がありました
どちらを選んでもいいよ
と
私は
お客様へ
どちらを選ぶのは自分自身の選択です
と、告げました。
これまでと変わらぬ日常で
我慢を選ぶ。
それは、難しいようで簡単です
ただ、
我慢をし続ける。
という精神的に辛い部分があります
もう1つ
逃げる
という選択肢があります。
これは、
とても勇気がいります
ですが、
この一歩踏み出す勇気は
人生の道を大きく変え
やがて、
こどもを助け
子孫を救う
という 大きな岐路でもあり
大役です。
どちらを選んでもよいですよ
これは
あなたが
神様に助けてほしい
と、
願い続けてきた
方法です。
と、伝えました。
逃げる。
を選択したいけど
怖い。
誰かを傷つける
このように
逃げることは
我慢できない人は地獄のように
神様はゆるされないのではないですか?
私は死んだら罰を受けますか?
私は答えました。
神様は
生きている今、
自分で自分をいじめる人を
あまり、好ましいとは思ってはいません
なぜ、自分自身を苦しめる?
なぜ、自分を助けない?
なぜ、
私(神)があなたに罰を与えようと
思っていると思う?
自分で選んだ選択肢に
なぜ、私(神)が裁くと思う?
と、逆に質問をされます
疑って
自分の考えたルールや道徳心に
基づき
その
ルールーを破ると
地獄や裁かれる
と、勘違いしている。
そして、それを神への信仰だという
神と呼ばれる存在はそんなに
心は狭くありません。
信じるものは救われる
という領域の中に
神様は
私を愛してくれている。
そして、
私も神様を愛している。
という
両思いの存在があります。
信仰をする人は
この領域に
無礼
おこがましい
と感じて
避けてしまう傾向があります
実際には
この領域こそ
信じるものは救われる
の
信じる。
の
一部分でもあります。
この方は
一歩踏み出す勇気
神は罰を与えるのではないか?
という恐怖
そして前世の行い
親子関係
が
根っこにあり
1つのずつ解消していきました。
そして、
決断しました
私は
神様が下さったように
この人生をかえる選択をします。
今の状態から逃げたいと
願っていた。
このチャンス。をちゃんと
理解し受け入れ
一歩踏み出してみます。
とも言われてました。
家に帰ると決心が揺らぐ
そんな場合もあるので
時間をかけて
アプローチし
他人からの先入観
洗脳された部分を洗いだし
今後への対策も
指導させてもらいました。
今回の御相談の方は
信仰の厚い方でした。
この方の前世には
今の行動を裏付ける出来事がありました。
と、
この話は
また次回
今日はここまでのお時間がなく
次回に記載します。
地球への感謝をお忘れなく