誰かのせいにして
物事が変わるわけではない。
昨日
ボランティアで
孤児に近いお子さまを
預かりました。
親の愛情が受け取れていないので
少し歪んだ
ものの考え方
誰かを批判することや
何かを悪くすることで
自分の身を守っている
そんな感じでした。
ですが、
ダメはダメ
よいはよい
信頼や絆が生まれれば
注意ははっきりすべきです。
こちらも指摘されれば
ごめんね
と、謝り
怪我をしない程度のわんぱく
や他人に迷惑がかからないなら
はしゃいでもいいよ
遊びのプレーは
個人プレーでも応援するべき
自分がしかられたとしても
腹いせに
仕返しをしないこと
遊びの中から色々伝えていきました。
たとえ、家庭に不遇があれど
その過程を
伝えなければ
他人には理解できません。
また
わからなくて当然の事です。
その子の行いは
将来のその子の人生に影響します。
辛い体験から起こる癖のような
他人には理解できない不可解な行動は
他人からすれば
機嫌が悪い人、
愛想のないひと
など
マイナス的な印象を与えるだけです。
預かることは
単に
その時間を共に過ごすだけに
するのは勿体無いとおもいました。
その時間に
どれだけの関わりをもてるか
こちらの真摯の行動は伝わるものです。
帰りには車内でぐっすりと眠り
たのしかったと満足気ながら
少し寂しそうに
惜しみながら
帰って行きました。
預かったかいもあったものです。
その遊びの途中で
2才くらいの迷子をみつけました。
ぐわぁんぐわぁんないているので
大丈夫?
お母さんは?ママは?
一緒にいた私の息子が
地べたに座り込んで
泣きじゃくってるいる子を
みるにみかねて
怖くないよ、大丈夫だよ
ママはどこかな?
とすると
てを差しのべて
抱っこされました。
その場の近くで
お母さんを探していると
遠くから
ベビーカーを押したお母さん登場
何も言わず
こちらをじっとみつめています。
私
あの、この子のお母さんですか?
あ、はい。
私ら
あー良かった。
じゃあお母さんのところへかえろうか
と、お母さんの元へ
その、お母さんは
何があったんですか?
と
訪ねてくることもなく
お子さまを受け取りました。
無言です。
とりあえず良かった。良かった。
帰り際に私の息子曰く
あのお母さんさぁ
2歳のこどもに
ちゃんとありがとうした?
とか聞いてたよ
言えるわけないじゃんな
あんなに泣いてたのに
なんで
親が代弁しようと思わんわけ?
第一、自分が目を離したんだろ?
誘拐されたらどうなるわけ?
と、呟いたあとに
でもさぁ
可愛かったからいいか
親の元にかえれたしね
と、イケメンな息子でした。。。
さて、
こどもは
親を選ぶ事はできない
親もこどもを選ぶことはできない
それは
魂の話ではなく
今の環境でそだった
それぞれは
それぞれの人であり
こどもは
与えられた環境で育つのみ方法は
ありません。
こどもの話をすれば
どの家庭にも
それぞれあり
誰が悪い?悪くない?
を
突き詰めていけば
先祖にも前世にも
見えない世界の部分は必ず出てきます。
見えない事情ばかりです。
ですが、
それは逆に言い訳の部分にもなります
何か見えない事情で仕方ない
だから諦めるしかない
そうなると本末転倒です。
どんな、事情があっても
どんな、環境があっても
変わることを望まなくては何も
変化は訪れません。
環境や誰かのせいにして
言い訳ばかりでは
自分自身が描く未来は遠退いてしまいます
行動して
結果、納得する。しない。
はあれど
未来の自分が後悔しない
その
過去の1つを生きている
それが 今 というタイミングです。
時に
厳しい言葉や
優しくない人に
出会うこともあります
それを
卑屈に受け止め、
自虐的な自分を育てていくのか。
そんな人を批判する自分を作り上げるのか
選択する権限も自分にあります。
理想すべき未来が
なかなか訪れないこともあります
それは
いつのタイミングなのか
時に焦ることもあります。
しかし、
焦ってばかりでは
何も得られません
一歩、一歩、
怖いこともあります。
ですが、
少しの感情の勇気で
物事は大きくかわります。
小さな一歩をお勧めします。
地球への感謝をお忘れなく。