こんばんは‥(^_-)-☆
今日の奈良は晴れより曇りがちで9℃と寒いです・・(^_-)-☆
マリア猫が外から帰り、ニャーと言ったきりまた広縁の敷布の上に?・・(^_-)-☆
だけど、居間の戸を開いたままで、隣りの広縁に行って、居間の部屋が寒い?・・
10校で戦われた神宮大会も優勝戦を残すのみに?・・(^_-)-☆
だけど、いつも強い大阪が、一回で負けたのも一寸ショックでしたが?・・(^_-)-☆
明日に決勝が闘われるんですね?・(^_-)-☆
作新学院が関東第一に競り勝ち、決勝進出を決めた。
二回の守備から途中出場した菅谷峻汰外野手(1年)が勝ち越しソロ本塁打を含む4打数2安打2打点と活躍。
練習試合も含めて高校入学後初本塁打を全国大会で放ち、「率直にうれしい。打ったことなかったけど、これがホームランなんだ、みたいな。今までにない感触で、これは入ったなと思った」と喜んだ。
6-6の八回、先頭の場面だ。
「ベンチからの指示が初球打ち徹底で初球振りに行こうと。厳しいところを見逃したけど次の球をいってやろうと思って体が反応した」と1ストライクから甘く入った変化球を強振。
打球は右翼スタンドに到達し、「自分でもびっくりだし、頭が真っ白になってうれしいしか出てこない。回るスピードとかも分からないのでとにかく速く走ってベンチのみんながいるところに帰ろうと思って回っていた」と、二塁ベースの手前でガッツポーズはしたものの、スピードは緩めずさっそうとダイヤモンドを駆け抜けた。
勝負強さと思い切りの良さを買われ、普段から代打や途中から出場する。
今秋からベンチ入りし先発出場はまだないが、出場が当確している来春センバツでは「もちろん途中からじゃなくて最初から甲子園に立ちたい」とレギュラー奪取を狙う。
これで決勝進出を決め、初優勝に王手をかけた。
ヒーローは「栃木県の代表として、関東地区の代表として作新学院がここまで来た。
負けてしまった高校の分の思いも背負って、恥のないプレーをして、最後勝って、必ず栃木県に優勝旗を持ち帰りたい」と意気込んだ。
それに対し、手応え十分の打球の行方はバットに「当たる前から分かった」という。
星稜の4番・萩原獅士(れお)の2試合連続の一発が、計16安打15得点の大勝へと導いた。
3点リードの二回2死二塁、萩原は狙いを定めていた。
1ボールからの2球目、真ん中高めの133キロ直球を「待っていました」とばかりに強振した。
あっという間に左翼席に突き刺さるアーチに「投げてきた瞬間に『きたー』という感じでした」と笑った。
準々決勝の青森山田(東北・青森)戦の2ランに続く自身大会第2号。高校通算14本目を放ち、今夏の甲子園大会でも背番号「5」を担った右スラッガーは4番の仕事を果たしている。
偉大な先輩に肩を並べる一撃でもあった。
第22回大会(1991年)で星稜の「4番・三塁」を務めた松井秀喜さん(元ヤンキースなど)だ。
同大会で松井さんは準決勝までに2本塁打。
決勝は4四球と勝負を避けられたが、チームの優勝に大きく貢献した。
あの時以来32年ぶりの頂点を目指し、作新学院(関東・栃木)との決勝に挑む。
萩原は当時の星稜が松井さんを擁していたことは知らなかったという。
「チーム打撃が一番だが、結果的に本塁打になればうれしい」。
「ゴジラ超え」の3発で花を添えられるか。
ただ最後は、星稜も今日のような結果にはならないように思いますが?・・(^_-)-☆
どちらを応援かというと星稜かなあ?・・(^_-)-☆
とにかくホームランを更新して欲しいですね・・(^_-)-☆
今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆