西日本新聞より
2005年11月27日
食卓の向こう側・第7部 生ごみは問う<1>プロローグ 4千万人分の食 無駄に
●「もったいないけど・・・」
手付かずのまま、切り口が黒ずんできたキャベツ半玉。
角煮を作るのが面倒になり、一年前から冷凍庫に入れっぱなしだった四百十八グラムの豚肉ブロック。
正月明けの特価で買って使い切らなかったスルメイカ二杯。
みそ汁の具材にした残りの大根三分の二、エノキ半パック。
有名店のマフィン一個、アスパラ、ギョーザの皮、休日に作ったポテトサラダの残り…。
ごみ出し日の月曜夜。福岡市中央区の自宅に、共働きの妻(28)より早く帰った夫(28)は、ごみ袋に冷蔵庫周辺の食材を放り込んでいった。
平日の昼・夜は、外食がほとんどという二人暮らし。
朝はみそ汁を作るが、「同じ具材を続けたくないから、大根なんかがよく残る」と妻。
夫は休日に料理をするものの、「余った食材を見て献立を決められないから、レシピ通りに野菜や肉を買い直す」。
こうして使い残した食材を、ごみ出しのたびに「生ごみ」へ変えてしまっている。
もらったまま食べきれず、一部が腐り始めたミカン五キロをごみ袋に流し込み、この日の「掃除」は完了した。
村びと100人のうち(中略)41人は、1年を8万円以下で暮らし、ときどきしかたべられません。(マガジンハウス刊「世界がもし100人の村だったら(3)たべもの編」より)
もちろん、食べ物を捨てることはもったいないと分かっている。
でも、食費に困っているわけじゃないから、やっぱり新鮮なものを食べたい。
「食品への対価は払ったんだから、捨てても許されるんじゃないかな」。
そんなふうに罪悪感を紛らわせている。
× ×
ブランド牛のステーキ、オマールエビ、フォアグラにキャビア、ワイン、ケーキ…。
さっきまでの「ごちそう」が、割りばしやアルミホイルと一緒くたに特大ポリ袋に投げ込まれ、「ごみ」の山になっていく。
「はしを付けていないものも多いけど、特に『どんでん』の日は忙しくて、もったいないとか振り返る間もない」。
福岡市の大手ホテルスタッフだった女性は、そう語る。
どんでんとは、披露宴が続く婚礼会場のセッティングを、大急ぎで変えること。
舞台裏の隠語だ。
一組の披露宴が終わると、二十人ほどのアルバイトが汗だくになって会場を走り回り、百人から二百人分もの食べ残しを片付ける。
少しでも手足の動きを止めると、監視役の社員から怒声が飛ぶ。
そんな作業が、多いときで一日に二十組もあった。
1キロの牛肉をつくるには20トンの水がいります。
(中略)
いっぽうで16人の村びとは料理につかうきれいな水がありません。(同)
ホテルは食べ残しを見越して料金設定するから、痛くはない。
だが、世界各地から集められた食材は、日々の食べ物や水に不自由している家族と隣り合わせで、ぜいを尽くして作られたものかもしれない。
大量の重油やガソリンを使って、地球の裏側から運ばれたものかもしれない。
残食の堆(たい)肥(ひ)化を始めたホテルもある。
だが、「だから、食べ残しても大丈夫」という免罪符を与えてしまえば、世界の「命」を日本人が無駄にむさぼる構図は変わらない。
「難しい問題ですよね…」。
一生に一度のもてなしの席ぐらい豪勢にしたいだろう。
高級感が期待されるホテルとしても、けちくさい対応はできない。
走り続ける社会にいては、「どうしようもない」というほか答えが見えない。
× ×
●4千万人分の食 無駄に
一人一人の「仕方がない」が積み重なった総量はどれだけだろう。
誰もがふたをしたがる「臭い物」の代表選手・生ごみの現状は、実は、なかなか分かりにくい。
農林水産省が、「食べ残しや廃棄の実態を明らかにする」とうたっている「食品ロス統計調査」がある。
ロス率は非常に低く、二〇〇四年度は外食産業で3・3%、一般家庭で4・2%にとどまった。
一方で、環境省が試算した生ごみ量は一般廃棄物の34%という。
魚の骨など食品ロスに含まれない調理くずも交ざっているとはいえ、差が大きすぎる。
その理由は、調査のやり方だ。
外食産業の調査は、レストランや食堂の、それも昼食だけが対象。
十月下旬、ピンセットとはかりを用意した九州農政局の職員三人がある食堂の残さいを調べた。
だが、食べ残しはほぼゼロ。
「昼食はみんなしっかり食べますからね」と担当職員。
家庭の調査も、「協力者が少なく、毎年同じ家庭にお願いすることも多い。すると、意識が上がるのか食品ロスが減る傾向がある」(同職員)。
それが実態だ。
× ×
「ぐちゃっとして臭い生ごみを見たい人はいないから、国の調査も難しいんです」
そう語る石川県立大教授の高月紘(廃棄物学)は、学生と3K(臭い、汚い、根気がいる)の調査に取り組んだ“ごみ博士”。
京都大教授だった一九八一年から〇二年にかけて、京都市の家庭の生ごみを細かく分類した。
ごみから見えた日本人のライフスタイルに、高月は驚(きょう)愕(がく)した。
〇二年、生ごみの約四割が食べ残しで、その約三割はまったく手付かずだった。
さらに、手付かずの約六割は、賞味期限前。
バブル崩壊後も、食べ残しが減らないのはどうしたことだろう。
科学技術庁(当時)は一九九九年、日本全体で食べずに捨てられている食品を金額に直すと、年間十一兆円に達すると報告した。
これはまさに、日本の農業と水産業を合わせた生産額とほぼ同じ規模だ。
作った食べ物を丸ごと捨て、金任せに外国から輸入し続ける「放食(ほうしょく)」日本。
食料自給率が先進国最低の40%に落ち込み、生産者の汗すら見えないこの社会では、「罰当たり」と怒る声も弱々しい。
× ×
終戦時、一日千四百キロカロリーの食料で生き延びた日本人。
六十年後、その半分近くの食料を口に入れないまま捨てている―。
農水省の「食料需給表」(一人に食料が供給された量)と、厚生労働省の「国民健康・栄養調査」(一人が食べた量)を基に推計すると、日本人は一人当たり一日七百二十五キロカロリー(供給量の約28%、〇三年度)を食べ残している。
全国民分を合わせると、なんと四千万人を超える大人に食料提供できる量だ。
食べ残しは、処理費の無駄でもある。
家庭の生ごみのうち、食べ残しだけでもゼロになれば、年間千八百二十五億円(〇三年度)のごみ処理事業経費が節約できる計算だ。
同じ地球上では、八億人もの人々が栄養不足に苦しんでいるというのに…。
高月は、訴える。
「日本人のライフスタイルは犯罪的。リサイクルより前に、膨大な食べ残しを減らすことが先決です」 (敬称略)
家庭ごみの約38%、事業系ごみの約31%が生ごみ(環境省調べ)という飽食日本。
「もったいないけど、しょうがない」という感覚とともに、食べられるものが日々「ごみ」に変わっています。
「食卓の向こう側」第七部では、未来世代によりよい社会を手渡すため、生ごみを通して、私たちの暮らしのあり方、そして、循環型社会へ向けた半歩先の行動を考えます。
(2005/11/27 西日本新聞朝刊)