西日本新聞より
2005年7月25日
食卓の向こう側・第6部 産む力、生まれる力<1>現代人 自然なお産難しく 偏食が母体にも影響
飽食、運動不足、環境汚染…。
経済が発展し、効率化した社会の恩恵を享受する一方、生活そのものが「自然」から遠ざかっている現代。
食卓の向こう側・第六部「産む力、生まれる力」では、命の始まりと向き合う「お産」を通して、私たちの生き方や社会のあり方を見つめます。
民家のような畳敷きの一室。
春日助産院(福岡県春日市)には、病院のような機器類は見当たらない。
時計の針が午前二時を回った。隣室の明かりがほのかに照らす布団の上でお産が始まった。
「もうすぐだよ。しっかり息して、赤ちゃんに酸素を送ろうね」。
白衣ではなく、Tシャツにエプロン姿の助産師が、産婦の腰をマッサージしながら、静かに語りかける。
バーススツール(出産用のイス)にまたがった産婦が強い陣痛に従っていきむと、赤ちゃんの頭が見えた。
「上手ね。もう楽にしていいよ」。
産婦が力を緩めると、重力の助けを借り、つるっと生まれた。赤ちゃんは、羊水を自分で鼻と口から「ぐしゅっ」と出して「ほにゃー」と泣いたが、母の胸に抱かれるとすぐ、穏やかな表情に戻った。
立ち会った家族が、新しい命を囲んで約二十分。助産師が言った。
「へその緒の拍動が止まったね。そろそろ切ろうか」。
子宮は、赤ちゃんが十分肺呼吸できるようになったころ、自然にへその緒から血液を送ることをやめ、胎盤をはく離しようとする。
自然な流れに合わせてへその緒を切り、後産も済ませた助産師は、手際よく赤ちゃんに母乳を吸わせた。
「乳首が刺激されると、子宮をぎゅっと収縮させるホルモン(オキシトシン)が出る。産後の異常出血を防ぐため、ほ乳動物の体が備えた自然の止血法なのよ」
× ×
体が本来持つ力を最大限生かすお産をサポートする春日助産院。
最近、「なるべく薬や医療技術に頼らない『自然なお産』をしたい」と、助産院を訪れる妊婦が増えた。
だが、院長の助産師大牟田智子(45)は、こう指摘する。
「そういう人でも、実は『自然に産める体』になっていないことが多いんです」
妊娠五カ月で来院した女性は、朝がパン一枚、昼は買った弁当、深夜に焼き肉やハンバーグを外食し、野菜は食べてもサラダだけという生活。
子どものころからの運動不足で体は硬かった。
「そのまんまでは難産が目に見えている」と大牟田。
子宮や卵巣、胎盤など生殖器には、毛細血管が張り巡らされている。
「偏食で血液がどろどろになると、生殖器は本来の機能を発揮しにくく、病気も起きやすい。
お産に必要なホルモン分泌もスムーズにいかない」というのだ。
その女性は来院後に食生活を見直したものの、弱い陣痛が九日間続き、本格的な陣痛から三日がかりでお産した。
また、ダイエットや手軽な食事で鉄欠乏性貧血(酸素を運ぶ血色素の欠乏)になっている妊婦も、来院者の半数近くに上る。
重症になると、母体からの血液だけで成長している胎児の「生まれる力」にも影響しかねない。
× ×
四十年前の一九六五年、大牟田の母・喜香(77)が、この助産院を開業した。
大牟田は、約二十年前の新米助産師のころ、母のやり方を懸命に覚えようとした。
しかし、「母の世代に倣うだけでは、今の女性の体や生活に合わなくなっている」と気づいた。
例えば、母乳育児。
以前は、しっかり食べさせ、飲ませ方を教えればよかった。
でも今は、乳腺(せん)に脂肪などが詰まり、胸がガチガチに張る産婦が目立つ。
搾乳して時間がたつと、脂の層が浮く母乳もある。
母乳の苦味や甘みが強くて赤ちゃんが飲まなかったり、飲んでも湿疹(しつしん)や便秘になったりし、母子の心身トラブルにつながることもある。
「今、母乳育児をサポートするには、『乳のもとは血』ということから伝える必要がある」と大牟田。
食生活を整え、それをおいしいと感じる体をつくれば、悩みも少しずつ改善していくという。
「お産は自然そのもの。向き合うと、現代人の生活がいかに不自然かを感じます」
■助産院
助産師の国家資格を持つ人が運営。自宅分娩(ぶんべん)専門や、母乳育児のサポートのみの助産院もある。厚生労働省によると、総数は1970年、15731カ所だったが、2003年には1409カ所に減った。
(2005/07/25付,西日本新聞朝刊)