すっかりこっちの人を見慣れた頃に、日本に帰ると、突然に周りの人間が変わったように感じるのです
...髪の色とか、目の色とか見た目の事じゃなくて、、、
なんて言うかな、どの人もこの人も、
ざぁます言葉でも使って、お上品に、着物の裾を抑えながら、いそいそと、、、お出かけですか?
みたいな。
やはり日本人は、何といっても、雰囲気も顔も、優しい。
何故なんだろうと考えてみると、皆、言わないことまで悟ってくれるから。
悟るという言葉、英語では 〟See 見る〟とか、〟Realise 気づく〟とか、〟Understand 理解する〟
とか、〟Sense 感じる‶ なんだけど、どれもピッタリではないですよね?それは、悟るという習慣は無いから?
こっちの子供たちは、小さい時から人前で話すことを訓練します。
幼稚園の頃から、‶Show&Tell‶ と言う時間があって、子供たちは好き好きに自分の自慢の(?)一品を持って
皆の前で、これは、何をするものか?どうして手に入れたか?どう使っているか?どう思っているか?
等を、プレゼンテーションするのです。
うちの子を含めて、子供たちは、お気に入りのおもちゃなんかは、持って行って、皆に自慢したり、一緒に遊んだりしたいので、
学校の規則ではおもちゃは持って行ってはいけないことになってるけれど、
‶ Show and Tell ‶ だけは何を持って行っても許されるので、
クリスマスシーズンは、‶ Show and Tell ‶ が、盛んになったります。
日本人は自分の言いたいことを言う習慣がない代わりに、
言わなくても相手の心の中を感じ取って先に手を打ってあげる、と言う行為が出来るのだと思います。
オーストラリア人って、多民族国家だから、ほかの民族よりきっと遥かに、他人への理解度が高いと思うし、
優しいし、鷹揚だと思うけれど、
日本人の様に、悟ってくれることは無いと思うのです。
美しい日本語。
日本語には敬語とか、謙譲語とかあるけれど、英語にはそのものズバリの敬語や謙譲語は無くて、
丁寧語を使って敬意を表現します。それってやっぱり、オペラハウスと、甲子園スタジアムぐらいの差がありますよね?
これって感覚の違い。
例えば、こっちでは、子供が幼稚園の時、先生が、子供にものを放って渡したり、本に座ったり、
お昼寝をしている子供の頭をまたいだり、なんていうのは衝撃だったし(うちの母は、人の頭を跨いではいけないと言ってました。
小学校の先生が、授業を教える時、机に座っちゃったり、机の上に靴を置いたり、
って、いうようなことは悪くないと言えば悪くないんだけど?
ファッションだって根本的な感じ方が違う、と思うのです。ファッションは心の中の現れ。
日本人は、他の人の気分を悪くさせないように気遣うようなファッションだけど、
オーストラリア人はそんなこと関係なくて、自分が楽しむために着ているし、
( 因みにフランス人なんかは、他の人の目を楽しませるためにおしゃれするんじゃないかな?)
日本人は、新品かどうか気にするけれど、オーストラリア人は気にしない。
中古品のお店、日本じゃ、こっそり買いに行く印象もあるけれど、
オーストラリアでは、ベンツで乗り付けたマダムが、要らなくなったものを寄付したついでに、
ごっそりドレスを買い込んで行ったりする。
中古車だって、日本みたいに安くないのです。
だから結婚だって、何回でもしちゃうのかなぁ?
オーストラリアに住んであっという間の20年。普段、オーストラリア人と接することが殆どだけれど、
日本人の奥ゆかしさや、優しさは、やっぱり顔にも出ていると思うのです。
やっぱり、日本人とお話ししていると、心が休まります。
いいなぁ、日本人。