小説十八史略 傑作短編集
平成21年8月24日~9月2日
著者 陳舜臣
講談社
【内容】春秋から三国時代を経て隋唐、南宋。中原に覇を競った人びとを活写し、今なお多くの読者を魅了する『小説十八史略』。のちの始皇帝、秦王暗殺を命じられた荊軻。金の都で蒙古から史書を守る宿命を負った宋人王勉をはじめ、孟嘗君、楊貴妃など「十八史略」の時代に生きた人物に光をあてる歴史小説コレクション。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
・「荊軻、一片の心(荊軻)」
○荊 軻(けい か、ピンイン:Jing Ke、 ? - 紀元前227年)は中国戦国時代末期の刺客。燕の太子の命を受け、策略を用いて秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された。
・「孟嘗君の客(孟嘗君)」
○孟嘗君(もうしょうくん ? - 紀元前279年)は中国戦国時代の政治家。戦国四君の一人。姓は嬀(ぎ、女偏に為)、氏は田、諱は文。諡が孟嘗君である。斉の威王の孫に当たる。
・「虎符を盗んで(信陵君)」
○信陵君(しんりょうくん ? - 紀元前244年)は中国戦国時代の魏の公子であり、政治家・軍人。三代昭王の末子。姓は姫、氏は魏、諱は無忌。戦国四君の一人。大国秦によって圧迫を受けた魏を支え、諸国をまとめ上げ秦を攻めるも、兄王に疑われて憂死した。兄が安釐王として立つと、封ぜられて信陵君と名乗る。信陵君は多種多様な客を多数集めて自分の手元においており、その数は三千人を超えた。
・「季布の一諾(季布)」
○季 布(き ふ)は、項羽配下の楚の武将。項羽と同郷の生まれで、若い時から弱者を助けていたことから任侠としても名高かった。その信頼も厚く、劉邦を幾度も窮地に立たせた。季布は子供の頃から義理堅い人物として評判であり、その物事を直言する人柄とで次第に宮廷でも重みをますようになり、「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」とまで言われるようになった。
・「虎穴に入らずんば(班超)」
○班 超(はん ちょう、32年 - 102年(建武9年 - 永元14年)中国後漢の軍人。字は仲升(ちゅうしょう)。班固の弟。西域(現在の新疆ウイグル自治区あたり)に匈奴を追って後漢の勢力を広げ、その後は西域都護として長く西域を保持した。
・「弥勒乱入(李修)」
○隋の煬帝の時代、煬帝の暴政に対し民衆の決起を促すため、建国門に乱入して壮絶な死を遂げた男たちの逸話。隋滅亡の八年前の出来事とされている。
・「背負って走れ(安生)」
○安生の経歴不祥。中国仏教の聖地・五台山にある「文殊菩薩真容像」の作者といわれる。
・「楊貴妃は覇水を見た(楊貴妃)」
○楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) - 756年7月15日(至徳元載(元年)6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと言われたため、傾国の美女と呼ばれる。古代中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。現代でも世界三大美女の一人とされている。(クレオパトラと楊貴妃に、ヘレネ(日本では小野小町)が加わる)。実際は太っていたという説もある。
・「パミールを越えて(高仙芝)」
○高仙芝(こう・せんし、Gao Xianzhi, 生年不詳 -天宝14載 755年)は高句麗系の唐の軍人。西域で活躍し、タラス河畔の戦いでアッバース朝のイスラム軍と交戦した。
・「落日孤雲(元好問)」
○元好問(げん こうもん、1190年(明昌元年) - 1257年11月4日(蒙哥7年9月4日))は、金末期の詩人。太原(山西省太原市)出身。字は裕之、号を遺山という。父は元徳明、兄は元好古。