雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

いつもの・・・民主問う。

2013-04-30 23:46:28 | 報道
■いやあ、いつもの通りですね!!…「96条」見解トーンダウン。ミンス・万里の長城。…4月11日には、96条改正「必要なし」。ミンス代表万里の長城、馴染ん党を批判。で、もう1か月もたたないうちに「トーンダウン」。記者団に「96条改正は必要ない」と明言し、島の統一見解としてまとめる意向。…しかし、島内からの反発を受け、発言をトーンダウンさせた格好。かわいそうな万里ちゃん。
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2013.04.30(火)

2013-04-30 23:17:00 | 日記
時々 16.9℃(13.0℃)
●今日は、朝のうちは少し雨が降っていて、時々ざあっと降っていました。まあ、あんまりざあざあとは降ってませんでしたので、お参りには程よい加減でした。あしたからまたしばらくはいい天気みたいですが、気温はそんなに上がらないようです。北海道では、まだ雪が降るようなことも言ってましたね。5月2日、3日あたりです。それにしても、この時期「豊田市女子高生強盗殺人事件」が、まだ未解決です。事件以来、各地域で防犯活動が盛んになりましたが、事件は解決には至っていません。2008年(平成20年)5月2日のことです。すでに5年が経とうとしています。合掌。さて、こちらはこちらでお参りです。午前11時から行なわれ、午後から初七日、自宅への移動?とか行いまして、帰ってきたのは、午後4時頃でしたでしょうかね。いろいろありまして、4月ももう終わりとなってしまいました。1年の3分の一が過ぎようとしています。もう少しすると、6月になって議会が始まり、半年が過ぎるのです。そうそう、「図書館戦争」という映画が始まるらしいですね。「図書館記念日」と、狙っているんでしょうかね。いえいえ、6月16日封切り(全国ロードショー)、だそうです。
   

 今日の記念日
「図書館記念日」。図書館法が公布されたのが、1950年(昭和25年)のこの日。これにちなんで、1971年(昭和46年)に全国図書館大会でこの記念日が制定され、翌年から記念行事などを実施している。
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今日の万歩計

2013-04-30 22:57:35 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①15049歩
②12.0K
③619Kcal
●今日は、意外とウロウロしてますね。いろいろとありますからね。あちらこちらと行きます。
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浄土宗 46

2013-04-30 22:21:27 | 宗教
浄土宗
【あいつぐ法難(67~75歳)】
 『選択集』撰述後も上人は、念仏三昧の人として自ら実践し、さらに他の多くの人を導くこと(自行化他)につとめられました。正治二年(1200)、念仏によって往生することは本望であるが、上人に先だってみまかれば、上人のご臨終、続いて没後の追善はおろか、平常のお給仕すらできない、といって気をやむ病床の愛弟感西に、上人は自分の往生は御房の生没にかかわりないのであるから、こころおきなく念仏を相続せよと、いたわるようにはげまし、臨終の善知識となられました。この秋には大番勤仕のため上洛中であった上野国の御家人、薗田成実が上人の門に入りました。
 元久元年(1204)二月、上人は伊豆山源延のために『浄土宗略要文』をしたためられました。上人は専修念仏に対する既成教団からの弾圧の強まることを肌に感じられたので、八月に膝下にあって六ヵ年受教した弁長を 鎮西(ちんぜい)に帰国させました。弁長は帰国ののち教化活動をこころみましたが、かの地には上人から直接受けた法を素直に伝えない一念義や、金剛宝戒という邪義がひろがっていました。ともかくこのことは、京都をはじめ各地に伝播していた念仏の教えすべてが、上人の真意を伝えるものばかりでなく、かえって上人の名をかりた異説のあったことを物語っています。
■元久の法難 ― 制誡七箇条 ―
 はたせるかなこの年の十月、叡山三塔の大衆が 専修念仏(せんじゅねんぶつ)の停止を、ときの天台座主真性に申請しました。上人は彼らのいきどおりをしずめるために、翌月門弟たちを集めていましめ、七箇条からなる制誡をつくり、門弟百九十名の署名をとり、別に誓状をそえて座主に送られました。なぜ専修念仏の停止がさけばれるにいたったかについては、七箇条の制誡の上に読みとることができます。
 それによると、念仏以外の行や阿弥陀仏以外の信仰対象をそしったり、念仏以外の行を実践している者を雑行人とののしったり、折伏したり、強いて念仏門にひき入れようとしたり、あるいは阿弥陀仏の本願をたのむ者は造悪をおそれないといって婬酒食肉を勧めたり、上人の説に違反して自分勝手な説(背師自立義)をとなえたり、あまつさえ上人の説といつわる者が続出していたことを知ることができます。
 これらは上人の専修念仏に便乗する似て非なる者たちの言行でありますが、その被害者である叡山の衆徒たちは、その責任を上人にとらそうと立ちあがったわけです。
ともかくこの念仏停止の運動は、上人を庇護しようとした兼実が座主に宛てた消息もあって、一応さけることができました。このとき、 安居院(あぐい)の聖覚法印は法然の命を受けて『登山状』を撰して天台座主のもとに送りました。
■興福寺奏状
 翌元久二年(1205)正月、上人は霊山寺で別時念仏を行い、八月に入って北白川の二階房で、寒熱が日をへだててきまった時間におこるという一種の熱病にかかられたことがありました。
 ついで十月には南都興福寺の衆徒が、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ、上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。その内容は勅許(ちょっきょ)を得ないで一宗をたてたこと、摂取不捨曼荼羅―専修念仏者だけが阿弥陀仏の光明によって救われ、これに対して念仏以外の諸善を行ずる者は光明を預からないことを絵画的に表現したものが流行していること、諸行をもって往生業としないで、称名一辺倒であること、最低の不観不定の口称念仏を勧めることは、最上の観念をすてることであり、念仏の真意をあやまること、阿弥陀仏の名号やその浄土のことを説き示された本師である釈尊を等閑視していること、宇佐や春日などの宗廟大社― 本地垂迹 (ほんじすいじゃく)の神々を礼拝しないなどです。この奏状を八宗同心の願いであるとしたのは、単なる一宗一派の奏状でなく、既成の仏教教団すべての要請であることを示すためでありました。
 この年の十二月に専修念仏者の庇護を内容とする宣旨がくだされ、かえって衆徒たちの不満をつのらせたのでした。翌年二月、法本房行空と安楽房遵西が召しだす御教書が発せられ、上人は行空だけを破門されました。ついで衆徒たちは五師三綱を代表にたて、宣旨の内容が寛大なることをするどくつくとともに、念仏禁断の宣旨をくだすべきことを院宣奉行の責任者三条長兼や摂政である九条良経を相手に交渉せしめたのであります。
■建永の法難
 良経らは念仏禁断の件について慎重に評定をかさねていましたが、三月に急死され、かわって摂政についた近衛家実らによって諸公卿の意見聴取がすすめられました。緊迫した情勢下におかれた上人は、七月に入って兼実の別邸小松殿に移って庇護されることになりました。八月になると衆徒の代表は早急に宣旨をくだすべきことを要請しました。
 そうしたなかにあって上人は、十一月に内大臣西園寺(大宮)実宗の戒師をつとめられましたが、翌十二月、門下の住蓮と安楽房遵西の二名が、六時礼讃の哀調に感銘した院の女房と密通したという(捏造)事件がもちあがったので、上人はその責任を免れることができませんでした。兼実は免罪運動を行いましたが、功を奏せず、ついに翌建永二年(1207)二月十八日、上人の四国配流が決定し、安楽房遵西は六条河原で、住蓮は近江の馬淵で処刑されることに決まりました。
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ヒー!ハン!?…民主問う。

2013-04-30 22:16:20 | 報道
■もう、あなたたちは、いつもこんなことばかりしてるんですから、もっと生産的なことをしましょう。…ミンス、「安倍のみクス」批判のビラ。マネフェスト作成委も設置。…まずは、前政権時の反省からでしょ!?…「『バブル』ではなく『実体経済』で経済を回復し、『格差』を縮小します!」「安倍のみクスで皆さんの生活はよくなりましたか?!」などと記されている。…大体が「バブル」にもなってませんからね。実体経済は、これからです。実体経済は来年からと言われています。そんなことも知らないで、「ヒーハン」してるんでしょうかね。…もしも、知っててやってるとしたら???
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まあ、いいんですけど・・・馴染ん党。

2013-04-30 22:01:31 | 報道
■北方領土交渉、次官級ですぐに始まる。官房長官。…「北方4島の帰属問題を解決して、平和条約を締結する目標に向かって、粘り強く取り組んでいく体制ができた。(首相が)帰ってきたら体制を整えて、すぐに始まるだろう」はいいんですけど、問題はホントに北方4島帰属問題を解決できるかですよ。…調子のいいことばっかり言ってると、どこかの塔のようになってしまいますよ。気をつけよう甘い言葉と何とやら。
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2013.04.29(月)昭和の日

2013-04-30 05:55:39 | 日記
 24.6℃(6.1℃)
○ちなみに、稲武地域での最低気温は、1.2℃でした。陽も出ていましたが、風が結構ありましたよね。明日は、天気が悪くなるといった噂が飛んでますが、東海地方でも「曇り時々雨」となっていて、全国的にもそうした天気になるようです。さて、今日は田んぼにちょっと出かけまして、その後は今光でした。夕方からお参りの準備に入り、夜の23時過ぎまでかかってしまいました。ところで、ロシアとの首脳会談が行われ、北方四島の返還についていよいよ本格的に話し合いが行われる予定。日本のいいように進められるといいのだが、そうは簡単ではないだろう。まあ、しかしスタートラインに立ったと思えば、これも一つの進展か。これに気分を害されたか、中国は日本との会談はすべて拒否になってきている。中国は国はデカいが気は小さい?
  

 今日の記念日
「昭和の日」。もとは天皇誕生日(1949年 - 1988年)。昭和天皇崩御の後「みどりの日」(1989年 - 2006年)に改称。さらに平成19年(2007年)からは「みどりの日」から「昭和の日」と名称が変更された(「みどりの日」は5月4日に移動)。
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今日の田んぼ

2013-04-30 03:07:48 | 田畑の仕事
 今日の田んぼは…
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今日の万歩計

2013-04-30 03:05:31 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①12898歩
②10.2K
③582Kcal
●今日は、けっこうウロウロしたつもりでしたが、「つもり」で終わってしまいましたかね。特に消費カロリーが案外少ないので、やはり考えないといかんですね。
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浄土宗 45

2013-04-30 02:55:45 | 宗教
 浄土宗
【建久九年のできごと(65~66歳)】
■選択集の撰述
 建久八年(1197)、老齢六十五歳の上人は病いになやまれたことがありました。ときに九条兼実はいたく心配されましたが、回復された様子をみとどけて、「浄土の法門については年来うけたまわっているが、まだ心にとどめ得ない点があるので、なにとぞこの際、肝要なことについて記述していただきたい」と懇請されました。上人は門弟の感西や証空や遵西の三人を動員し、執筆の助手役をつとめさせ、 撰述 (せんじゅつ) にとりかかられました。ようやく翌九年春、一部十六章からなる『 選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう) 』が脱稿されました。(この草稿本は京都の廬山寺に蔵されている)
 上人の宗教体験の一部を記録した非公開の書『 三昧発得記 (さんまいほっとくき) 』(建久九年一月一日から元久三年正月までの記録)によると、上人はこの『選択集』撰述のさなかである建久九年一月一日から三七日間、毎日七万遍の念仏を行い、称名念仏中に浄土の聖相をまのあたりにみとめられたのです。上人のこの見仏は三昧中のできごとで、称名の行者の不求自得であり、あえて観察の意図があってのことではありませんでした。
ともかく、上人が『選択集』撰述のさなかに三昧中の人であったということは、この書が、上人の深い宗教体験によって裏付けられていることを物語るものであり、「念仏の行、水月を感じて昇降を得たり」という『選択集』巻末のことばは、この辺の消息を伝えるものです。
さらに上人はこの『選択集』撰述のあと、その年の四月に『 没後遺誡文 (もつごゆいかいもん) 』を、また五月に『 夢感聖相記(むかんしょうそうき) 』をしたためられました。前者はいわゆる遺言に属するものですが、上人があえてしたためられたということは、老齢もさることながら、前年からの病いがわざわいして、健康にご自信がなかったためであろうとも思われます。また後者は上人が夢中に半金色の聖者善導大師に会いたもうた体験を記録したもので、四十三歳浄土開宗に直接かかわりのある内容をもつものです。上人が二十数年も以前の体験を、記憶をたどってしたためられたということは、
『選択集』第十六章私釈段でふれられた「 偏依 (へんね) 善導一師」ということに関するあかしの必要性を痛感されたからでしょう。
『選択集』一部の要旨は
おもんみれば、それすみやかに生死をはなれんと欲せば、二種の勝法のなかには、しばらく 聖道 (しょうどう) 門をさしおきて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば正雑二行のなかには、しばらくもろもろの雑行をなげうちてえらんで正行に帰すべし。正行を修せんと欲せば正助二業のなかには、なお助業をかたわらにし選んで正定をもはらにすべし。正定の 業 (ごう) とはすなわちこれ仏名を称するなり。名を称すればかならず生ずることを得。仏の本願によるが故なり。
 という一文につきます。「諸師文をつくるにかならず本意一あり。予は選択の一義をたてて選択集をつくるなり」という上人の述懐のように、この書は選択という取捨をもってつらぬいています。生死を出離することについて仏教が説き示す数多い実践のなかから、とくに称名の一行を選びとるのは、あらゆる群萌をもれなく救いとろうとなさる阿弥陀仏の本願のみこころがなさしめたのです。この阿弥陀仏のみ心などについて八種の選択義を説いておられます。
このように『選択集』は阿弥陀仏が示したもうた選択のみこころを開顕するものであり、他面これほど真剣に生死をはなれるただ一筋の道を発見することにとりくんだ書は稀れであります。
しかし選択という取捨をもって臨むところに危険性をはらんでもいました。上人が「こいねがわくば、ひとたび御高覧をへてのち、壁底にうづめて窓前にのこすことなかれ。おそらくは破法の人をして、悪道に堕せしめんことを」という一文で、この書をむすんでいることによって察せられましょう。なぜならば、阿弥陀仏の本願のみこころを説かない天台や真言などの諸宗の教えや、また諸宗で説くところの生死を出離するための実践行をすべて選捨するのが、この書の建前であるからなのです。
ともかく『選択集』は兼実の要請によって撰述されたのですが、その内容はけっして兼実一個人を対象としたものでなく、いわゆる「念仏のひとりだち」を 闡明(せんめい) にした、浄土開宗の宣言書であり、専修念仏者の聖典であります。
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さて?・・・民主問う。

2013-04-30 02:41:13 | 報道
■どれだけ続けられ、そしていつまで報道してくれるか?…ミンスが「全国行脚」第2弾。「靴すり減らし党再生」…ということですが、「第1弾」って何をやってたんでしょうか???…何も見えてこないんですけど。報道の仕方が悪いんでしょうか?それとも見逃した方が悪いんでしょうか?…「対話と行脚」の活動を進め、4月下旬に全国一巡を達成したようです。そして今回第2弾、だそうですが、第1弾の成果は?…「政府の閣僚は皆さん外遊しているが、私たちは国民生活が大変厳しい状況にあるなか、国内でしっかり国民の声を聞き、国会の場でその声を活かしていきたいたい」って、あんた達!自分たちが政権与党の時は何をしてましたか?「政府の閣僚として外遊」してたんじゃないですか!?まったく体質は改善されておらず、脂肪(余分な国会議員?)は落としてますけど、未だ合併症(反省の上に立つ報告説明)は完治してません。…そして、けっこう元気な「巣鴨」へ行って何になる?もっと悲惨な?シャッター通りとかがある場所に行って、聞いてきなさい。…車や新幹線で移動してなにが「靴すり減らし党再生」か。みなさん黒塗りの車で集団移動してるだけではないですか。言葉遊びもいい加減にしなさい!!…報道はそのあたりをどのように、これからしてくれるんでしょうね。楽しみです。
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