雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

愛知県後期高齢者医療広域連合議会 議会運営説明

2014-02-06 15:43:44 | 議会・議員
 14:45-15:30 64応接室
■今日の内容は…
①平成26年第1回愛知県後期高齢者医療広域連合議会定例会
1全員協議会
(1)会期
(2)議案の取扱
(3)請願趣旨説明
(4)会議録署名議員の指名
2定例会
(1)日程第1 議席の指定
(2)日程第2 会議録署名議員の指名
(3)日程第3 会期の決定
(4)日程第4 諸般の報告
(5)     広域連合長あいさつ
(6)日程第5 議案第1号 「愛知県後期高齢者医療広域連合職員も給与に関する条例の一部を改正する条例の制定について」
(7)日程第6 議案第2号 「愛知県後期高齢者医療広域連合後期高齢者医療制度臨時特例基金条例の一部を改正する条例の制定について」
(8)日程第7 議案第3号 「愛知県後期高齢者医療広域連合後期高齢者医療に関する条例の一部を改正する条例の制定について」
(9)日程第8 議案第4号 「平成25年度愛知県後期高齢者医療広域連合一般会計補正予算(第2号)」
(10)日程第9 議案第5号 「平成25年度愛知県後期高齢者医療広域連合後期高齢者医療特別会計補正予算(第2号)」
(11)日程第10 議案第6号 「平成26年度愛知県後期高齢者医療広域連合一般会計予算」
(12)日程第11 議案第7号 「平成26年度愛知県後期高齢者医療広域連合後期高齢者医療特別会計予算」
(13)日程第12 一般質問
(14)日程第13 請願第1号 「後期高齢者医療制度の改善を求める請願書」
(15)日程第14 請願第2号 「愛知県に対して、健診・ワクチン接種等の補助に関する要望書の提出を求める請願書」
(16)     広域連合長あいさつ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曹洞宗 ⑭

2014-02-06 14:44:44 | 宗教
 曹洞宗
曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つである。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 禅(ぜん)は、大乗仏教の一派。南インド出身の達磨が中国に入り教えを伝えて成立したとされている。
 中国禅は唐から宋にかけて発展したが、明の時代に入ると衰退していった。日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、室町時代に幕府の庇護の下で発展した。明治維新以降は、日本の禅が世界に伝えられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014.02.05(水)

2014-02-06 01:59:04 | 日記
 5.0℃(-3.3℃)
○いやはや、寒いとは聞きましたが、最高気温が5℃とはね。最低気温はさほど下がりませんでしたがね。明日明後日は結構冷えるようなんですが、明々後日は一転して「雨」ですからね。暖かくなるということですね。こうも気温が上下すると、体調も崩れやすくなります。気をつけましょう。
さて、今日は午後から議員研修があり、その後、全員協議会、さらにその後、両派合同会議が続けざまにありましたね。夜にはお参りが入りました。人は残念ながら死にゆくものですが、しかし、それが突然であったり、予期しないことで亡くなったりすれば、突然のことで人は動揺し、悲しみに暮れる。まったく、残念なことです。ご冥福を祈ります。
大阪では、「独り相撲」が横行しそうです。それも「卑怯だ」とか言って。では、市長を辞めるのは卑怯ではないのか?「じっくり話し合って」というのは「卑怯だ」と言うのか?自分の物差しで測って、他には測らせないやり方は、卑怯ではないのか?そう簡単に「卑怯だ」呼ばわりは、何とも芸がない。
  

 今日の記念日
「職業野球連盟設立の日/プロ野球の日」。1936年2月5日に、全日本職業野球連盟が結成され、プロ野球が誕生したことに由来。当時の加盟チームは、東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、名古屋金鯱軍、阪急軍、大東京軍の7チーム。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の万歩計

2014-02-06 01:06:35 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①12624歩
②10.0K
③543Kcal
●今日の数字も満足のいく数字ではありますが、ちょっと、消費カロリーがオーバー気味でしょうか。まあ、しかし、ちょどよくとはなかなかいかないもので。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総替え?…民主問う。

2014-02-06 00:42:42 | 報道
■看板政策?をすべて下げる???…あれがあったればこそのミンス。しかし、今後はどんな政策を掲げていくのか?…マネフェスト(政権膏薬)に掲げてきた「高速道路の無料化」「公的年金制度を一元化」「後期高齢者医療制度の廃止」「国家公務員の総人件費2割削減」「2020(平成32)年までに温室効果ガスを1990(平成2)年比で25%削減」「国の出先機関の原則廃止」の7項目を「ゼロベース」で見直す…そして、どうする?…「改革の旗を降ろすことにはならない」と万里の長城代表。…では、つぎの政策は?…まだ、ないみたい。さすが、ミンス。ミンスはこうでなくては。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

評価しない…異心伝心。

2014-02-06 00:21:42 | 報道
■霜橋クン辞職「評価しない」6割(読売世論調査4~5日、市内の有権者を対象)…霜橋クンの辞職・出直し選を「評価しない」とした人は61%で、「評価する」は31%…評価しない理由(複数回答)は、「多額の費用をかけるのは税金の無駄遣い」が89%で最も多く、次いで「任期の途中で辞職するのは無責任」、「議会ともっと話し合うべきだ」が各78%…まあ、まっとうな意見でしょうね。…さて、こんな結果ですが、やるんでしょうかね。まあ、「賽は投げられた」ってことですから、引き下げられないでしょうしね。…結果は、しかしやってみなければわからない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄土宗 50 

2014-02-06 00:02:29 | 宗教
浄土宗
【念仏のみ教えを受け継いだ人々】
法然上人のそばに仕えた弟子たち
•勢観房源智(せいかんぼうげんち)
•法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)
•善恵房証空(ぜんねぼうしょうくう)
•真観房感西(しんかんぼうかんさい)
•遊蓮房円照(ゆうれんぼうえんしょう)

●勢観房源智(せいかんぼうげんち)(1183-1238)(治承7-暦仁1)
 勢観房あるいは賀茂(かもの)上人という。また、現在総本山・大本山となっている、知恩院及び知恩寺二世として多くの信者を集めた。平師盛の子、平家没落のとき、父は戦死し、母とともに源氏の探索からのがれ、13歳のとき法然上人の室に入ったが、平家の子孫であるため身の安全を慮って慈円のもとで出家得度した。のち、基礎教育のために、法然上人の弟子感西(かんさい)の許で勉学に励むこととなる。しかし、4年後に感西が逝去したため、法然の座下に帰り浄土の教えをうけて以来、法然上人が亡くなるまでの約18年間随侍し、秘書的役割を担うこととなった。
 その法然上人の臨終に際しては、亡くなる2日前、浄土宗の教えの要(かなめ)を記した『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』を授けられ、その他円頓戒の道具、本尊、大谷の坊舎、聖教などを譲られた。弟子に蓮寂・浄信・宿蓮があり、この流を紫野門徒という。「源空(げんくう)法然上人の思うところは、この他に全く別の義は無い」というほどの大切なもので、源智は常に首からさげ、誰にも見せることは無かったという。しかし、親交の厚かった川合の法眼(ただすのほうげん)という人の願いに応えて見せたのが世に広まるきっかけとなった。
 他にも、ある一大事業を計画している。それは760年余り経った昭和49年に日の目を見ることになる。
 滋賀県玉桂寺(真言宗)の阿弥陀立像の胎内から46,000に達する人の名が書かれた「結縁交名帳(けちえんきょうみょうちょう)」が発見された。
 源智が、その年に亡くなった法然上人の供養のために阿弥陀仏像を造立、中に、結縁した人びと、また、亡くなっている人の名は、その近縁者によって署名された交名帳を納めた。
 署名は東北から九州の人にまでおよんでおり、交通手段もない時代に、これだけの署名を集めるには、全国に広がっていた念仏者の協力はもちろんのこと、それを束ねるけん引者の存在なくしてはできるものではない。それが源智だったのだ。
 阿弥陀立像の胎内には「建暦2年12月24日沙門源智敬白」と書された願文も発見された。これには「私が歩んでこられたのは、海よりも深く、山よりも高い法然上人の恩徳のおかげであり、さらに法然上人はお念仏によってあらゆる人を救ってくださった。ここにお納めする人びとも同じようにお導きを願うものである」といったことが書かれていた。2人の師弟関係をよく表したものである。
 晩年、賀茂の上人と呼ばれた源智は、暦仁元(1238)年12月12日、56歳で賀茂の功徳院にて没した。
 著書に『選択要決』1巻、『御臨終日記』(醐醍本所収)、『一期物語』(同上)がある(一二・一二寂)
(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする