private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over17.3

2018-05-13 06:30:57 | 連続小説

「ここにいてもしょうがないから、とにかく移動するよ、もうケーサツも動いてなさそうだし」
 どうしてそんな確約ができるのかおれにはわからないけど、朝比奈がそう言うならきっとそうなのに違いない。ここまでの彼女の行動や言動が確実に実績として蓄積して、その判断はおれのなかで揺ぎ無いものになっていった。
 朝比奈はそう言っておいてクルマを動かそうとはしない。どこへ行くのかも、どうするのかも。おれが何について問い掛けてくるのか、なかば楽しんで待っているのかもしれない。そう思うとよけいに何について最初に尋ねるべきなのか決められなかった。
 
あんな無茶な戦いを吹っかけてしまう朝比奈が理解できなかった。あの窮地を逃れるためにはしかたなかったのかもしれないし、極力有利な条件でまとまったのかもしれない。それにしてもだ、、、
「言葉はそれだけで力をもっている。それが本人に備わっていなくても、言葉に引き寄せられ、実体を伴っていくこともあるし、圧し潰されることもある。ホシノはなにを成し遂げたいの?」
 そんな、いきなり、哲学的な話をされても、なんの準備もできてないし、おれはただ、高校生活最後の夏休みを、できれば有意義に過ごしたかっただけなんだけど、残念ながら自分の意にそぐわず、ただ回りに引きずり回されているだけだった、、、 今年もやっぱりそんな夏休みだった、、、
 朝比奈はおれには、どんな回答でも受け入れるかのように問いかけてきた。さっきのヤツラと話していた時とは違う、幅広い意見を受け入れる態勢だ。
「そうね、ああいうヤツらを相手にする時は、自分で選択しているように思わせて、こちらの望む方向へ導ければいい。すべての判断を自分でしていると思うのは大きな間違いで、そのほとんどが誰かの指示に従っている」
 
なるほどその理論でいけば、朝比奈の言葉にも盲点はあると言い換えられるんじゃないのか。向こうは向こうで、望む方向へ持っていけたとほくそ笑んでいるかもしれない。実際、勝てば朝比奈を好きなようにすることを約束させたんだし。
「すべては勝者の理論で成り立っている。わたしが正しいとかそういうことではなく、不利な状況を少しでも有利にもっていく努力をしただけで、あいつ等が勝てば、結果的にあいつ等の判断、方法が正しかったとなる。それ以上のことは誰にもできないわ。わたしはホシノが勝つ前提ではなしを進めた。それだけのことよ」
 そんな、おれが勝てなきゃ、朝比奈の駆け引きもすべてパアになるってわけだ、、、 それが8月31日、、、
「ねえ、ホシノ。8月31日ってなんの日か知ってる?」
 
それでですねえ、31日、、、 8月31日と言えば全国の少年、少女が一年の中で一番嫌いな日ではないだろうか、、、 365日、いろんな日があるわけだけど、この日ほど小中高生に嫌われる日はないはずだ。この日が誕生日だったりしたら、喜んでいいのか、悲しんでいいのか。8月31日だって好きでそうなったわけじゃないのに、そういうことって往々にしてあったりするわけで、動物も、植物も、色も、風景も、身体の一部も、自分自身も、いつしか嫌いになるモノやところが創り出されてしまう、、、 夏休みの終わりって、なんでこんなに物悲しいんだろう、、、 宿題が多いのもその一因だな、、、
「以前、アジアの大国がね、人口の増加を抑制しようと出生率をさげる政治的プロパガンダをおこなったけど、そんな強制的な方法よりこの国が2LDKを標準化させて、4人掛けのテーブルを売り場のメインに据えて、家族4人が生活できる給与配分をし、テレビドラマでそういった家族を映し出したことで、おのずと出生率が二人以下になっていった。気にしないうちに浸透していく」
 朝比奈はこうしてよくわからない例えばなしを、ちょくちょくかましてくる、、、 ここで国家の出生率のはなしって、、、 
 
夏休みって一年のなかで一番長い休みであり、無限の開放感があり、多くの経験をする時期であり、未知との遭遇と過去への後ろめたさ。そんなさまざまな情景が合いまみあって感情を形成していく過程でふたりの愛を育んでしまうからとか、、、 おれもぜひとも愛を育みたい、、、 その前にやんなきゃいけないことが、、、
「わたしは思うの、夏休みの存在意義ってね、自分が生まれてから、何かに終わりを告げられ、その過程を体験していくことなんだって。なんどかやり直しができるけど、それもまた、いつか“最期の”っていう時が来る」
 そうだ。いまおれたちがいるこの時が、まさに最期を迎えようとしている。
「確実にカウントダウンされていく、あと何日で終わる。その日々がさして大切なわけじゃないのに、なぜか貴重な日々だと思えてしまう。これも一種のシビリアン・コントロールとマス・サイコロジー。この感覚の植え付けが、一生涯ついてまわる。あるひとはそれを自由の略奪と結びつけ、あるひとは死へのカウントダウンと結び付ける。それもこれもすべて夏休みの終わりから始まっているって考えたら、この国の教育方針ってかなり罪なものだと思わない?」
 ああ、そういうこと。ここにつながるわけね、国のはなしが。国の教育方針にどうこういえるほど大した人間ではないので、おれにはなにも思うところはないけれど、なにかを失くしていく過程と正面から向き合うのはこの時ぐらいだろう。
 
冬休みとか、春休みの二週間では知ることのできない一ヶ月半は、その時間的領域によってだけ生みだされる不思議な気持ちのなかでだけ芽生えるようだ。一ヶ月半は何回でもやってくるのに、この期間だけはなにか特別と思えるエネルギーの噴出や、消失に満ち溢れている。
「ホシノは春先に宙ぶらりんで放り出されたままになってるんじゃない。走って掴み取るはずだったモノを手にしないまま、そこから締め出されてしまった。もう二度と戻れない場所があり、だけど次に行くべき場所も見つからない。まわりの状況と環境、自分の置かれた時期に流されて、忘れようとつとめている。閉じ込めたままに」
 じゃあなにか、ここまでの流れはすでにあの時から始まっていたのか。それもいいだろう。だけど、腑に落ちないのは、どうしてなんの関わりもないおれなんかのために、キョーコさんであり、永島さんであり、そして朝比奈が骨を折ってくれるのか。おれがそんな施しを受ける権利なんてあるはずないじゃないか。それに、どうしてクルマなんだ。運転したこともないクルマで走ることが、おれの次の場所になるなんてなんで言い切れるんだ、、、 言い切るよな、朝比奈だもん。
「なぜか? その疑問に答えはない。それはわたしや、そのキョウコさんであったり、ナガシマさんであったり、アナタのおかあさんや、スタンドに遊びに来た子供や、まぎれこんできたネコだってそう。個々にもそうすべき理由があり、それはもとよりホシノが望んでいたことで、ひとつひとつがつながったからじゃないの。偶然とか必然とで片付けるのは簡単だけど、自分が生きていくうえで何がたまたまで、何が意図的だったかなんてわけられる?」
 さっきのやりとりを見ている限り、そんなものは確定できないとしか言いようがない。それに敵前逃亡を考えているおれは、昔なら軍法会議で銃殺間違いないだろう。
「逃げたっていいのよ。むりに戦う必要はない。自分の判断で逃げることも立派な行動で、まわりが腰抜けだのチキンだのってあざわらうのは、そう言わなきゃ自分の立場を確立できないだけなんだから」
 逃げたっていい、、、 なんていい言葉だ、、、 そしてそれ以上に拘束できる言葉をおれは知らない。そこまで逃げ道を用意してもらっておいて、じゃあ失礼しますなんて言えるほど軽いオトコではありたくない。こうして過去の歴戦の勇者たちはオンナに励まされて、尻を叩かれ、戦場へ出向いていった、、、 歴戦の勇者って、、、