private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(コンビニにて 2)

2024-09-08 18:05:17 | 連続小説

 3番目に並んでいた男が遂にこらえきれず声を荒らげた。蓄積された時間が長いだけに、その爆発力も比例している。それはユウヘイが言いたかったことを代弁していた。と同時に口に出さなくて良かったと安堵した。もしかしたら自分がそうなっていたかもしれない。
 これはどう見ても悪目立ちしただけだ。あーあ、やっちゃたよと言うような、周りも賛同の声を上げるわけでなく、むしろ冷ややかな目で見ている。男は短絡的行動をとる、不寛容な人間に振り分けられた。
 ひとつ前のフードの女性がピクリと肩を動かし、男の声に慄き不安を感じたようで、読んでいた本を閉じ手に持ち替えて、何が起きたらすかさずその場を離れるつもりなのだとユウヘイは推察した。
 これまでヒソヒソと異口同音を唱えていた者たちもピタリと口を閉ざした。あれだけ好戦的な口を叩いていた後ろの高校生達も、あいつ最低だなと、自分達が口にしていたことを棚に上げて手のひら返しだ。
 周りの雰囲気に勝ち馬を得たと、行動に出た途端にハシゴを降ろされる。ユウヘイも、そんな時勢の波に乗りそこねる英雄気取りをこれまでも何度も目にしていた。
 列に沈黙が流れる。別の意味で並んでいるのが辛くなっていた。聞こえないふりや、気づかない振りにも限度がある。男がまわりに目をやり、賛同はないのかと強要してくる。
 そんな状況あってもお年寄りと店員の態度は変わらず、お金を数え続けている。店員と普通に会話しているので、耳が遠いというわけではないだろう。自分のことだと思っていないのか、だとすれば認知機能の劣化を疑がいたくなる。
 これで収まらないのは声をあげた男だ。誰にも同調してもらえず、お年寄りやレジに無視されて面白いワケがない「何だ、オマエら。そう思わねえのかよ」さらに憤る。
 他の人たちは見てはいけないものを避けるように、目を反らしたり、下を向いたりする。同じ不満を持った者たちの代表者として声を上げたはずなのに、これでは唯一無援の反乱者になってしまっている。
 ユウヘイは嫌な予感しかしなかった。やり場がなくなった怒りの矛先がどこに向けられるのか。どうしたってあの老人に危害がおよぶだろう。
 イメージしてみた。自分が列を離れて、あのオトコの元に歩み寄り、”よせよ、もうすぐ終わりそうじゃあないか、そんな言い方したら、焦って余計に時間がかかるだけだ”とたしなめる。
 男は怒りに任せてユウヘイを突き飛ばそうとする。ユウヘイは、伸びた手を払いのけると、左足を軸にして鋭い右フックをアゴ先に。ただしヒットする紙一重のところで寸止する。自分のお気に入りのボクサーの得意技だ。そうして男はその衝撃だけでヘナヘナと崩れ落ちてく。
 首を振って苦笑いする。できるわけがない。単なる格闘技好きが観ているだけで自分でもできるような錯覚を覚えてしまうのはありがちだ。小さなころからケンカひとつしたこともないユウヘイが、そんな行動に出ればいろんな意味で大怪我をするだけだ。
 お年寄りは財布の隅にある小銭が取り出せないようで、震える指先でほじくり出そうと必死で周りに気が行っていないのか、それともそもそも気にしていないのか。後者であれば相当な胆力だ。
 レジの店員にしても同様で、なににしろ男の怒号で竦み上がっている様子はない。その時点でユウヘイの妄想は的はずれだ。
 これはある意味最強のふたりだ。そう思うと、一体誰のせいで自分たちがこんな目に合っているのかと、迷惑を被り続けているこちらの身にもなって欲しい。
 男はついに行動に出た。高い身長を利用して、前に並ぶ女性の肩越しから手を延ばす。老婆を無理やりにでもこちらを向かせようした。
 ユウヘイはどうなってしまうのかと息を呑んだ。行列に巻き込まれて観たかった番組を見逃したぐらいなら、ありきたりのエピソードだ。それが傷害事件になれば穏やかではない。
 警察沙汰になり事情聴取に協力することになれば、8時のテレビに間に合わないどころではない。
 しかし、その男の右手は老婆には届かなかった。
 ひとつ前にいたフードの女性は、肩越しから伸びる男の腕を本を持った手で払いのけると同時に、右脚を軸に左回転する勢いのままに、男のアゴに左の拳が伸びた。
 稲妻のような一撃。ユウヘイは目を見張った。自分がこんなふうにできたらと思い描いた夢のような打撃を、彼女は現実にやってのけた。
 それでとどまらなかった。彼女のカミソリのように鋭く、切れ味抜群のフックは、男のアゴに当たったか、当たらなかったかぐらいのところで寸止めされていた。強い打撃はなかった。せいぜい触れたと言ったところか。
 男が反撃を想定していなかったことを差し引いても、見事なスッテプと切込みからの攻撃と言って良かった。ここはコンビニの店内で防犯カメラもあるだろう。だからこそ彼女もヒットさせなかったはずだ。ユウヘイがそうイメージしたのもそのためだった。その点が一致したことで何か満足感がある。
 背丈の差がありフック気味のパンチは、アッパーになっていたのかもしれない。それもカウンター気味に入っていたので、試合だったらKO間違いなしの決定的な一発だ。ユウヘイが観てきたこれまでの経験がそう言わせた。
 そしてその男は、その大きな体躯を折り曲げて、ヘナヘナと崩れ落ちていく。一体何が起きたのか。ユウヘイもそうだが、列に並んでいた客も呆気にとられる。実は当たっていたのかという疑念さえ起こる。
 何の音もしなかったことが、その疑念を否定していた。あれだけの大男が崩れ倒れたパンチが、無音のはずである理由がない。それが唯一当たっていないと断言できる理由だった。
 そこまで完璧に再現されればユウヘイは薄気味悪ささえ感じる。自分の脳内が誰かに読み取られているのか。スキャンされて電子的に映像化でもされているのかと、あわててアタマを抱えるようにして隠した。
 あの素早い動きと、ヒットさせなくとも男を腰砕けにさせた、死を想起させるほどの内なるパワー。ボクシング中継を楽しみにしての帰宅途中に、思わぬ足止めを強いられた中で、ユウヘイはとんでもないものを目撃してしまったと、イメージとの偶然も含めて興奮状態になっていた。
 自分ができもしないことと妄想した、最高のシチュエーションを現実のものとしてやってのけた。まさにマンガやアニメが実写になり、そこになんの演出も加わらない、大男の撃沈を生で目の当たりにした。