訪れた時には、二羽とも右岸側の「髭の渡し跡」に居ましたが、すぐに左岸へ渡り混群の中へ。
『戻ってくるかも?』と待っていてもいっこうにその気配が無く、左岸側で上流へ行き中洲で見えなくなりました。
行き違いを覚悟して甲武橋を渡って左岸側へ追いかけ、この判断が功を奏することに。
至近距離の正面のポジションでカシャカシャカシャカシャ。
近付いた時は、ダイサギと被ったりして上手くいきませんでした。
「髭の渡し」とは (尼崎市HPより)
江戸時代に西国街道の武庫川を渡る際、堰堤(ダム)の付近には武庫川の渡しがあり、
1909年(明治42)に甲武橋がかかるまで渡しは続けられました。
西昆陽村の髭の安兵衛さんの茶屋が近くにあったことから「髭の渡し」と呼ばれたれたようです。
西行きは西昆陽村と常松村が隔月で、東行きは段上・上大市・下大市村が月番でそれぞれ渡しを担当しました。
ありがとうございます。
千里散歩お疲れ様でした。