古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

古天気学 今までの検証結果 2

2013-05-27 08:46:53 | 古天気学
古天気学 今までの検証結果 2

2013年5月27日 月曜日 天気 晴

8.「村松虚空蔵尊の霊験木」古天気年代測定法を試み検証
元禄2年(8月・後からネットでいろいろ検索したら8月であることが分かった)、陸奥の国の船が村松の沖で嵐に遭いました。船乗達は助かるようにと、船板に村松虚空蔵尊への願文を書いて流しました。嵐が過ぎ去って助かった船乗達が村松虚空蔵尊にお礼参りに来た時、偶然その船板が海岸に流れ着きました。黄門水戸光圀はこの事実を知って、その船板に事の経緯を彫らせました。
和暦 元禄二年八月七日(西暦1689年9月20日)と特定した。「曽良随行日記」曽良様と天下の副将軍 水戸光圀に感謝 
 
     

9.正徳四年八月八日と九月八日に水戸領内で暴風があったか無かったかの検証
「水戸紀年」 正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風
1714年9月16日 正徳四年八月八日の「水戸紀年」の記録は間違いなしです。
高倉逸斎『探旧考証』正徳四年九月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風
1714年10月15日 正徳四年九月八日の『探旧考証』の記録は旧暦・月の書き間違い。


10.正徳四年暴風雨 追加
「享保日記」水戸藩士 與力西野清八郎正府 「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」
正徳四年八月八日の暴風雨の全国的な大被害が甚大であることを考えると、享保二年に記事「當四年以前八月九日ノ嵐ヨリよほどつよし。」は、正徳四年の暴風雨であることに間違いないと思う。
「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」「水戸紀年」・「探旧考証」・「享保日記」

11.35年来の大風の項目について検証 
「正徳四年八月八日 暴風屋を倒し、樹を抜く。水戸領中、損耗数多、35年来の大風」「水戸紀年」・「探旧考証」・「享保日記」
延宝七年と延宝八年どちらも水戸地方で被害があるため該当するような気がする。 延宝七年の暴風雨は、水戸地方だげの大被害なのか。(全国的にデータの不足) 延宝八年の暴風雨は、水戸も含め全国的で大被害のため、「35年来の大風」は、延宝八年(1680年10月5日~6日)閏八月十三日~十四日 と断定する。
                
12.「琉球国山中王の年貢米廻船が台風にあって、五月十三日に川尻海岸へ漂着すとという事件が起きた。出動した藩役人の取り調べの結果、漂着した理由もわかり、乗組員を手厚く保護して、六月には薩摩藩へ引き渡している。」「続水戸紀年・茨城県史料=近世政治編Ⅰ」 
全国的に雨や大雨が多く、文政二年五月十三日(1819年7月4日)茨城県日立市川尻町沖合で台風に遭遇したことが、事実である事がわかる。

13.「享保日記」 享保十年十月廿日、午ノ后刻より廿一日、廿二日朝迄、地震有り。晝夜絶えず。都合三十度ほどほど云。此内両度つよし。是も酒やノ酒などゆりこぼし候ほどニハ之無。其外ハ少づゝ也。
東北・茨城県に、午後12時ごろに発生した地震で、茨城県水戸市は震度 3 津波なし 震源地不明

14.「享保日記」 享保十一年十一月廿七日未ノ上刻 よほどの地震也。近年に無(レ)之地震也。然共廿四年以前未ノ年之地震ニ格別軽き事也。
東北・関東に、午後2時ごろ発生した地震。茨城県水戸市 震度 4 津波無 震源地不明

15.「享保日記」享保十一年十一月廿七日(1726年12月20日)未ノ上刻 よほどの地震也。近年に無(レ)之地震也。然共廿四年以前未ノ年之地震ニ格別軽き事也。
関東地方を襲った 元禄大地震 元禄16年11月23日(1703年12月31日)震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.2と推定されている。 水戸 震度 5 


16.「享保日記」 享保十五年戌十月朔日、夜明七ッ過地震也。當廿八年以前未ノ年以来之大地震也。追而承侯得バ、地震以後ニ湊磯へ津波入、夥敷きハぎニ有(レ)之。舟大分波にとられ、或は破損有(レ)之由。湊にてなひやなどにハ破損有(レ)之山。人死ハ無(レ)之山也。
茨城県に朝4時ごろに 地震二より津波の高さ2m以上が発生し 舟の被害あり。 震源地 茨城県沖 ?享保十五年十月朔日の地震資料数が少ないため、今後の発見が必要。

17.「享保日記」 享保十五年戌十月朔日、夜明七ッ過地震也。當廿八年以前未ノ年以来之大地震也。追而承侯得バ、地震以後ニ湊磯へ津波入、夥敷きハぎニ有(レ)之。舟大分波にとられ、或は破損有(レ)之由。湊にてなひやなどにハ破損有(レ)之山。人死ハ無(レ)之山也。
関東地方を襲った 元禄大地震 元禄16年11月23日(1703年12月31日)震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.2と推定されている。

18.「享保日記」享保十六年九月七日夜、五ッ時よほどの地震。近所紺やノ藍ヲゆりこぼし侯由。
東北地方を中心に、震源:38.0°N、140.6°E 宮城白石付近 規模:M≒6.5 大地震 茨城県水戸では、震度 4
コメント
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