古天気学 今までの検証結果 4
2013年5月29日 水曜日 天気 曇雨
(28)「享保日記」享保二年四月十七日ノ御祭禮、神輿出御。途中より大雨
→ 福島県須賀川で雨・栃木県日光で晴(雨)・東京で雨 日本中で福島関東関西で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いない。 享保二年四月十七日 茨城県水戸市で 大雨が降った貴重な資料であります。
(29)「享保日記」(享保一年四月十七日)去年は大雨也。前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也
→ 盛岡で 二つの資料で天気が異なるのが気になる。日本中で東北・関東・関西・中国・九州で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いないことがわかる。 享保一年四月十七日 茨城県水戸市で 大雨が降った貴重な資料であります
(30)「享保日記」「(正徳五年年四月十七日)前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也
→ 日本中で北関東で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いないことがわかる。 正徳五年四月十七日 茨城県水戸市で 雨が降った貴重な資料であります。
(31)「享保日記」一、中川六所ノ淵當正月ニ鯉集事大分前代未聞也。地引網ヲ以引ニ、一アミニ七八十本かゝり候由。是ヨ(リ)若キ士衆毎日釣候由。 多ハ針鯉ノヒレ或(ハ)ウロコナドニかゝり上り候由。是ハ多ノ中へ針ヲ入レ候故也と云。ソレヨリ河岸ノ邊へ集り大方川中ニ見へ候由。二月四日の雪水ニて散候由也。
→ 「享保二年正月に、中川(那珂川)で鯉が大量発生し、二月四日に雪が降り川の水が低温になり鯉が居なくなった。」 色々ネットで検索したが、那珂川で何故鯉が大量発生したか不明です。誰かわかる方教えてください。お願いします。
(32)「享保日記」享保二年二月朔日 終日曇ル。同夜中雨ふる。二日 小雨。三日 終日曇。四日 雪フル。六日 曇 七日ヨ(リ)晴天
→ 享保二年二月二月朔日 1717年3月13日 日光・東京は晴 水戸は終日曇。同夜中雨ふる。
享保二年二月二月二日 1717年3月14日 日光は曇 水戸・東京は小雨。
享保二年二月二月三日 1717年3月15日 日光は晴 水戸・東京は曇
享保二年二月二月四日 1717年3月16日 日光・東京・水戸で雪。
享保二年二月二月六日 1717年3月18日 日光・東京は晴 水戸は曇
享保二年二月二月七日 1717年3月19日 日光・東京・水戸で晴
(33)「享保日記」享保二年四月十一日 夜酉中刻より寅ノ刻迄よほど雨ふり候ても、去年より之旱魃ゆへ地しめり候迄也。 十四日 申刻より夜中雨降。 十七日 巳下刻より大雨 二十四日より至に今、北風毎日雨も繁シ。□(ムシ)之不正ノ氣ニ中リ焼シ畠作ニモよほどさハり候由。
→ 享保二年四月十一日 1717年5月21日 水戸 夜酉中刻(18時ころ)より寅ノ刻(4時ころ)迄よほど雨ふり候ても、去年より之旱魃ゆへ地しめり候迄也。
日光・東京では、日中は晴その後雨 → 関東では、日中晴 夕方雨
享保二年四月十四日 1717年5月24日 水戸 申刻(14時ころ)より夜中雨降。
日光では、小雨・東京では 晴後雨 → 関東では、日中晴 夕方雨
享保二年四月十七日 1717年5月27日 水戸 享保二年四月十七日ノ御祭禮、神輿出御。途中より大雨・・・今年より去年は大雨也。前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也。
水戸 巳下刻(10時ころ)より大雨
日光は、晴後雨 東京は雨 → 関東では、晴後10時ごろから雨
享保二年四月二十四日1717年6月24日 水戸 二十四日より至に今、北風毎日雨も繁シ。□(ムシ)之不正ノ氣ニ中リ焼シ畠作ニモよほどさハり候由。
日光・東京では、曇のち雨 → 関東では、曇または雨
享保二年四月十一日・十四日・十七日・二十四日の、茨城県水戸市での天気の大変貴重な資料です。また。「享保日記」 享保二年四月 天気編(2013年4月22日 月曜日)では、四月十七日の大雨の時刻が、・・・輿出御。途中より大雨・・・と不明でしたが、今回の資料で四月十七日巳下刻(10時ころ)より大雨が降ったことが分かった。
(34)「享保日記」享保二年六月九日 1717年7月17日 江府ニ火有り。小伝馬町ト油町との間ノ新道より出火ノ由。朝五ツより七ツ半迄焼候由。南風ニ而馬喰町、柳町ノ方へ焼、浅草ノ方へも焼候由。凡町ノ積六十町程にても可レ有レ之かと申候由。井筒作十手代ノ者見候而相下物がたり候也。
→ 小伝馬町大火。
(35)「享保日記」享保二年六月十四日 1717年7月22日 十四日夜亥ノ刻(22時ころ)迄ノ間月ノ廻りニ五寸程トミへ暉有り。戌刻(20時ころ)過ニ暉滅白ク輪有り、珍敷事之由諸人申候。輪ハ月ノ廻りより一尺ほども間有レ之とミゆる。其圖如レ此。
→ 茨城県水戸で見つかった、享保二年六月十四日の幻月環です。
2013年5月29日 水曜日 天気 曇雨
(28)「享保日記」享保二年四月十七日ノ御祭禮、神輿出御。途中より大雨
→ 福島県須賀川で雨・栃木県日光で晴(雨)・東京で雨 日本中で福島関東関西で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いない。 享保二年四月十七日 茨城県水戸市で 大雨が降った貴重な資料であります。
(29)「享保日記」(享保一年四月十七日)去年は大雨也。前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也
→ 盛岡で 二つの資料で天気が異なるのが気になる。日本中で東北・関東・関西・中国・九州で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いないことがわかる。 享保一年四月十七日 茨城県水戸市で 大雨が降った貴重な資料であります
(30)「享保日記」「(正徳五年年四月十七日)前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也
→ 日本中で北関東で雨が降ったことがわかり 茨城県水戸市で雨が降ったことは間違いないことがわかる。 正徳五年四月十七日 茨城県水戸市で 雨が降った貴重な資料であります。
(31)「享保日記」一、中川六所ノ淵當正月ニ鯉集事大分前代未聞也。地引網ヲ以引ニ、一アミニ七八十本かゝり候由。是ヨ(リ)若キ士衆毎日釣候由。 多ハ針鯉ノヒレ或(ハ)ウロコナドニかゝり上り候由。是ハ多ノ中へ針ヲ入レ候故也と云。ソレヨリ河岸ノ邊へ集り大方川中ニ見へ候由。二月四日の雪水ニて散候由也。
→ 「享保二年正月に、中川(那珂川)で鯉が大量発生し、二月四日に雪が降り川の水が低温になり鯉が居なくなった。」 色々ネットで検索したが、那珂川で何故鯉が大量発生したか不明です。誰かわかる方教えてください。お願いします。
(32)「享保日記」享保二年二月朔日 終日曇ル。同夜中雨ふる。二日 小雨。三日 終日曇。四日 雪フル。六日 曇 七日ヨ(リ)晴天
→ 享保二年二月二月朔日 1717年3月13日 日光・東京は晴 水戸は終日曇。同夜中雨ふる。
享保二年二月二月二日 1717年3月14日 日光は曇 水戸・東京は小雨。
享保二年二月二月三日 1717年3月15日 日光は晴 水戸・東京は曇
享保二年二月二月四日 1717年3月16日 日光・東京・水戸で雪。
享保二年二月二月六日 1717年3月18日 日光・東京は晴 水戸は曇
享保二年二月二月七日 1717年3月19日 日光・東京・水戸で晴
(33)「享保日記」享保二年四月十一日 夜酉中刻より寅ノ刻迄よほど雨ふり候ても、去年より之旱魃ゆへ地しめり候迄也。 十四日 申刻より夜中雨降。 十七日 巳下刻より大雨 二十四日より至に今、北風毎日雨も繁シ。□(ムシ)之不正ノ氣ニ中リ焼シ畠作ニモよほどさハり候由。
→ 享保二年四月十一日 1717年5月21日 水戸 夜酉中刻(18時ころ)より寅ノ刻(4時ころ)迄よほど雨ふり候ても、去年より之旱魃ゆへ地しめり候迄也。
日光・東京では、日中は晴その後雨 → 関東では、日中晴 夕方雨
享保二年四月十四日 1717年5月24日 水戸 申刻(14時ころ)より夜中雨降。
日光では、小雨・東京では 晴後雨 → 関東では、日中晴 夕方雨
享保二年四月十七日 1717年5月27日 水戸 享保二年四月十七日ノ御祭禮、神輿出御。途中より大雨・・・今年より去年は大雨也。前々も雨ふり候事なく候所、去年當年之御祭ノごとくニ大雨にて諸人及2難儀1候事は無レ之也。
水戸 巳下刻(10時ころ)より大雨
日光は、晴後雨 東京は雨 → 関東では、晴後10時ごろから雨
享保二年四月二十四日1717年6月24日 水戸 二十四日より至に今、北風毎日雨も繁シ。□(ムシ)之不正ノ氣ニ中リ焼シ畠作ニモよほどさハり候由。
日光・東京では、曇のち雨 → 関東では、曇または雨
享保二年四月十一日・十四日・十七日・二十四日の、茨城県水戸市での天気の大変貴重な資料です。また。「享保日記」 享保二年四月 天気編(2013年4月22日 月曜日)では、四月十七日の大雨の時刻が、・・・輿出御。途中より大雨・・・と不明でしたが、今回の資料で四月十七日巳下刻(10時ころ)より大雨が降ったことが分かった。
(34)「享保日記」享保二年六月九日 1717年7月17日 江府ニ火有り。小伝馬町ト油町との間ノ新道より出火ノ由。朝五ツより七ツ半迄焼候由。南風ニ而馬喰町、柳町ノ方へ焼、浅草ノ方へも焼候由。凡町ノ積六十町程にても可レ有レ之かと申候由。井筒作十手代ノ者見候而相下物がたり候也。
→ 小伝馬町大火。
(35)「享保日記」享保二年六月十四日 1717年7月22日 十四日夜亥ノ刻(22時ころ)迄ノ間月ノ廻りニ五寸程トミへ暉有り。戌刻(20時ころ)過ニ暉滅白ク輪有り、珍敷事之由諸人申候。輪ハ月ノ廻りより一尺ほども間有レ之とミゆる。其圖如レ此。
→ 茨城県水戸で見つかった、享保二年六月十四日の幻月環です。