大阪のバスケットボールの強豪校で顧問の先生の体罰によりキャプテンが自殺した事件。
自ら命を絶つ決断をした、自ら命を絶つまで追い詰められた少年の気持ちは計り知れない。
そしてTVでは体罰肯定論、反対論が議論されてる。が、その大半が体罰反対論だ。
その体罰肯定論者の大半は体育会系であり、自分自身体罰を受けそれを乗り越えて来た人たちだ。
「あの時監督から殴られたおかげで今の自分がある」、「先生から叩かれたから道を踏み外さずに今の自分がある」、「叩かれて初めて気付いた事が今の自分を支えてる」・・・こんな意見が多い。
でも・・・それは体罰を乗り越えて来た人達の意見であり、自分自身の成功体験で意見を述べてるに過ぎない。
体罰に嫌気が差し途中で挫折した者、体罰によりその才能を開花させることなく競技を辞めざるを得ない状況になった人間にとっては、体罰を受けた先生・監督に対しては恨みしか残ってないだろう。
また、体罰否定論者の人達って本当に現場の事を知っているんだろうか?
すでに有名になった桑田真澄さんの意見。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ">
素晴らしい意見であり、私も99%賛成です。ぶん殴って言う事聞かせて、首根っこ捕まえて無理矢理やらせた練習で何が残るんだろうか?何を得られるんだろうか?何もない!
そう云った意味で桑田さんの意見には99%賛成なんですが残りの1%は・・・?
八尾フレンズ → PL学園 → 巨人と表街道を歩いて来た桑田さん、確かに強くするために体罰は不要かもしれない。
桑田さんが所属していたチームは意識、目標がはっきりした集団であり、そこからはみ出す選手は置いていくだけで良かったのかもしれない。
が、それが強くするためではなく矯正させるためだとしたら・・・
TVで偉そうにコメンテーターとして出演してる人達には判らない、理解不能などうしようもないクソガキがいるのも事実。
それでも「辛抱強く話せば分かり合える」って言うのはあまりにも無責任すぎる。
これは数年前の福岡県の中学卒業式の話し。
こんなバカ相手に話し合いもクソもない、間違いなく人間の言葉が通じないクソガキもいるのである。
では、能書き垂れてる私自身は体罰についてどう思うのか?
肯定も否定もしない・・・両方出来ない。どっちか分からない。これこそ無責任かもしれないが・・。
ただ一つだけ解ってることは・・・
「感情的に叩けばただの暴力」、「愛がある暴力は体罰で許せる!」と云う意見も多い。
でもそれってドコで線引きするんだろうか? 叩く方に愛情があっても叩かれる方に尊敬、感謝、愛情がなければただの暴力になる。
こんなのは所詮言葉遊びである。
体罰はどこまで行っても暴力である。監督が、先生が、自分より弱い立場の部員・生徒に向かって振う暴力である。
どんなに後付けの理由を言葉で飾り付けようと体罰は暴力だ。
大事なのは暴力を振う人間がそれを理解しているかどうかだ。
自分より弱い立場の人間に暴力を振う意味と覚悟があるかどうかだ。
と偉そうに書き綴ってきたが、高校時代、私は言葉や身体的暴力を受けて野球を続けてきた。
正直それ自体、今ではスゴく感謝している。今の自分があるのはそれら全てのコトに耐え抜いてきたからである。
忍耐する心、目標を達成した時の喜び、夢破れる悔しさ・・・今に自分の骨格を作ってくれたのは厳しい上下関係であり、理不尽極まりない独特の野球部のルールだったことは間違いない。
ただ、同級生で入部したのは50人以上、最後まで続けたのは23人しかいなかった。
この脱落していった30人以上の面倒は最後までしっかり見る!
この覚悟があれば暴力は許せるし、せざるを得ない子供がいるのも事実である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます