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銀閣寺ものがたり_足利義政がのこした現代日本文化の原点

2019年03月01日 | 美の殿堂ものがたり

京都・銀閣寺と言えば”わび・さび”を連想する人が少なくないでしょう。日本独自の美意識をまさに具現化したような美しい寺であり、建物と庭園が織りなす空間には中世の美意識の痕跡が数多くのこされています。

  • 世界遺産から国宝/特別名勝まで、空間の文化財指定としてこれ以上ない最高評価を受ける稀有の寺
  • 何といっても室町時代の国宝建造物2棟が現存していることが、庭園空間の趣に磨きをかけている
  • 書院や床の間、茶道といった現在に続く日本文化の原点は国宝の東求堂
  • 政治的には評価の厳しい足利義政も、現在の日本文化の礎を築いた功績は計り知れない


銀閣寺は建物や庭園はトップクラスの文化財指定を受けていますが、絵画・陶芸などの美術品は意外に多くありません。空間美の美しさが際立つ銀閣寺が歩んできた時間から、美しい理由を私なりに紐解いてみたいと思います。


銀閣(観音堂)は裏から見ると意外な表情をしている

銀閣寺が通称であることはよく知られており、正式名称は8代将軍・足利義政の法号に因んだ慈照寺(じしょうじ)です。義政は銀閣寺の前身となった別荘・東山殿を心血を注いで造成し、政治から逃避して悠々自適の生活をしていたようなイメージを持たれがちですが、そんなことはありません。

義政は1443(嘉吉3年)年、8歳で将軍に選出されます。しかし2年前には父の6代将軍・義教(よしのり)が家臣に暗殺されているように、実質的に戦乱の世は始まっていました。権力争いを繰り広げる側近たちの間にあって、義政は大人になっても政治権力を確立するのは並大抵ではなかったと想像できます。

正室・日野富子とは結婚当初から不仲で、男子ができなかったことから、1464(寛正5年)年に実弟の義視(よしみ)を還俗させて将軍職を譲れる環境を整えます。この頃すでに祖父・義満が築いたような別荘を築き、隠遁生活を送ることを考えていたようです。

しかし翌年、富子が男子・義尚(よしひさ)を生んだことで、次期将軍争いに側近たちの権力争いも加わって泥沼化します。この争いが応仁の乱の出発点になったことはよく知られています。


銀閣寺垣

義政は37歳の1473(文明5)年、東西両軍の大将が相次いで死去したことから応仁の乱の厭戦ムードが高まったタイミングで、将軍職を8歳の子の義尚(よしひさ)に譲って隠居します。実子・義尚を将軍に就けることで政治的影響力の拡大を図ろうとする正室の日野富子との仲が決定的に冷え込み、その状態から逃避したと、一般的には言われています。

1482(文明14)年、46歳の義政は悲願の別荘・東山殿の造営を現在の銀閣寺の地で始めます。翌年には早くも東山殿に居を移し、造営に心血を注ぎます。1486(文明18)年には自身の持仏堂として国宝・東求堂(とぐどう)を完成させますが、続いて着手した観音堂・銀閣の完成を見ることなく1490(延徳2)年にこの世を去ります。

鎌倉・室町時代はまだまだ中央集権や法律は確立されておらず、将軍が家来をコントロールすることは現代の感覚では考えられないほど大変でした。父の義教が強権政治の反感を買って暗殺されていることから、あいまいな態度を取り続け政治の前面に出ないことが第一と考えていたのかもしれません。

飢饉の際にも庶民を助けず花の御所の造営にいそしんだという批判もありますが、「君臨すれども統治せず」という立ち位置を貫いたとも解釈できます。応仁の乱の混迷の時代に、暗殺されることなく24年間の長きにわたって将軍職を続けたことは、ある意味世渡りに長けた人物だったように思えます。

日明貿易を通じて富と中国文化を吸収し、唐物(からもの)の陶磁器や絵画を多数所有します。東山御物(ひがしやまごもつ)です。現在そのほとんどが国宝・重要文化財に指定され、現存する室町時代の美術品の根幹をなしています。

東山御物は戦国時代に散逸しており銀閣寺にはほとんどのこされていません。銀閣寺には現在の日本文化の原点になったような空間が味わえる観音堂・銀閣と東求堂(とうぐどう)の二棟がのこりました。


銀沙灘と向月台の白砂が銀閣を引き立たせる

観音堂が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからのようです。見た目通りの金閣と対比させた呼び方ですが、銀箔が張られていた形跡はなく、なぜ”銀”のなかはよくわかっていません。

観音堂は、金閣が戦後すぐに焼失したため、現存する唯一の室町時代の庭園楼閣建築です。楼閣ですが四辺の大きさや形状が同じでなく、見る角度によって表情を変えます。これも義政の美意識でしょうか。祖父・義満が造った四辺同じの金閣とは異なり、建築や陶磁器など立体物の造形で対称や幾何学的な均整を好まなくなる以降の日本文化に通じる趣を感じます。

2Fの外壁は、現在は美しい木目で、屋根の板葺きと調和していますが、創建当初は黒漆塗りでした。これも義政が金閣とは異なる理想郷を目指したものでしょう。

観音堂の裏には創建当初の黒漆塗りの外壁の一部の復元模型が展示されています。観音様を祀る仏堂らしい華やかな彩色を施した部分もあり、より荘厳な浄土世界を感じる趣だったと想像されます。タイムマシンがあるならば、月に黒光りする観音堂の美しさを見てみたいものです。

東求堂は、和風建築の基本となる、畳敷きで床の間がある書院造の原型とみなされています。同仁斎(どうじんさい)は義政が書斎や茶室として使っており、現在に続く茶室の原点とも言える部屋です。日本文化の礎がまさにこの部屋に詰まっているように思えます。床の間は砂壁ではなく障子で、開けると掛軸のように庭園をのぞめるようになっています。500年以上前の意匠ですが、現在も洗練された美しさは全く色あせていません。


錦鏡池

東山殿は1490(延徳2)年に義政がこの世を去った直後に遺命で寺に改められました。これが現在の慈照寺の始まりです。相国寺の境内にある慈照院は、将軍が亡くなった際に位牌を安置する慣例に従って開かれた塔頭です。

東山殿は室町将軍が造営した最後の邸宅です。室町幕府は義政の死から、最後の将軍・義昭が信長から追放されるまで80年ほど続きます。この間は室町将軍の権勢が全くなかった時期であり、邸宅を造る余裕などなかったのが実情です。

有力な庇護者がいなくなった慈照寺は1550(天文19)年に戦災で焼失しますが、観音堂と東求堂だけは奇跡的に焼失を免れました。夢窓礎石による西芳寺庭園を参考に、義政自ら造営の指揮を執った庭園も荒廃し、江戸時代の初期1615(慶長20)年の大改修がなされたのが現在の庭園です。

庭園は義政時代からはかなり趣が異なっていると思われますが、山の斜面を上下しながら様々な角度から池や庭を見下ろす趣は、西芳寺庭園との共通点を感じます。山の斜面を含んだ立体的な空間と、観音堂・銀閣や東求堂との調和は、日本の数ある美しい庭園の中でも格別です。

波紋を表す銀沙灘(ぎんしゃだん)と富士山のような向月台(こうげつだい)の白砂も、禅寺らしい謎めいた造形が人々を惹きつけます。いずれも2つの国宝建築を見事に引き立たせています。

銀閣寺は庭園/境内の文化財指定として最高峰の特別史跡/特別名勝のダブル指定です。加えて世界遺産にも指定されており、いわばトリプル指定とも言えます。日本で他のトリプル指定の例は、平泉の毛越寺、京都の金閣寺/醍醐寺三宝院、奈良の平城宮東院庭園、広島の厳島神社の5か所だけです。さらにその中でも国宝建造物があるのは銀閣寺/醍醐寺三宝院/厳島神社に限られます。


これほど落花が似合う庭はない

銀閣寺の周辺は浄土寺(じょうどじ)という地名です。東山の緑に囲まれたとても閑静な住宅街になっています。この地名、京都によくある「昔あった施設に因んだ名前」で、慈照寺の敷地には浄土寺がありました。浄土寺が応仁の乱で焼失した跡地に、義政が東山殿を造営したのです。

現在の銀閣寺の入口に寄り添うようにある浄土院(じょうどいん)は、浄土寺の法灯を引き継いだ浄土宗の寺です。五山送り火の大文字の管理を檀家が担当していることで知られます。

五山送り火がいつから行われているかは全く不明で、大文字の起源も諸説あります。義政が先立たれた義尚を弔うために始めたという説もあるようです。もし史実なら義政は日本を代表する年中行事の一つの起源にも関わっていたことになります。

義政はやはり、現在の日本文化の礎を築いた偉人というかけがえのない側面を持つ人物なのです。大阪の東洋陶磁美術館にある世界有数の陶磁器コレクションを築き上げたものの、会社を倒産させた安宅英一の人生と重なるものを感じます。



日本人の美意識の原点を銀閣寺に見出す

銀閣寺
【公式サイト】 http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html


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