二重橋は日本人にとって特別な場所
現在の皇居は、明治になってから天皇の住居になったもので150年ほどしかたっておらず、京都御所の1,000年には時間の積み重ねではまだまだ及びません。しかし今の日本という国を形成した明治以降の激動の歴史が皇居には詰まっています。
第二次大戦中までは宮城(きゅうじょう)と呼ばれていた皇居の歴史の足音を追ってみたいと思います。
皇居は、徳川幕府が明け渡した江戸城に京都から行幸してきた明治天皇の御在所となったことから、天皇の住居としての新たな人生が始まります。当初は西の丸(二重橋を渡った宮殿のあるエリア)に残された江戸城の御殿を使用していましたが、1873(明治6)年に焼失します。
1888年(明治21年)に明治宮殿が完成するまでの間は赤坂離宮の敷地を仮皇居としていました。西の丸に完成した明治宮殿は、終戦直前まで私的な生活の場と公務を行うオフィスとして使用されます。大日本帝国憲法の発布式もこの明治宮殿で行われました。
日米開戦が現実味を帯びてきた1941年4月に防空機能を高めた天皇の住居として「御文庫(おぶんこ)」が着工されます。目立たないよう広大な森だった吹上庭園内(皇居の西半分の半蔵門側のエリア)に建設したもので、1942年7月に完成しています。昭和天皇は徐々に御文庫で過ごす時間が長くなっていきます。
1945年5月、空襲で炎上していた堀を挟んだ対岸の国会前にあった参謀本部からの火の粉を受け明治宮殿が全焼します。木造建築だったこと災いしました。和洋折衷で明治文化の粋を集めた建物でした。現存していれば超一級の文化遺産であったことを疑う余地はありません。
1945年7月には地下防空壕としてすでにあった「御文庫付属室」の防空性能を強化するとともに、御文庫と地下トンネルで接続します。空襲警報が出るたびに昭和天皇はトンネルを通って付属室に避難していました。昭和天皇が終戦を決断した御前会議は、付属室内の会議室で行われています。
戦後、付属室は昭和天皇の意向で放置されてきました。存在をあまり知られていませんでしたが、2015年に宮内庁が朽ち果てた御文庫付属室の現状の写真・映像を公開したことで話題になりました。
【公式サイト】 宮内庁 御文庫附属庫
【読売新聞】2015/8/1 朽ちた「終戦聖断の場」…皇居「御文庫付属室」公開
御文庫の建物は1961年に昭和天皇の住居として建設された「吹上御所」に組み込まれます。宮内庁は皇族の住居を「御所」と呼びます。昭和天皇崩御後も、昭和天皇の皇后であった皇太后の住居「吹上大宮御所」として使用されていました。2000年の皇太后の崩御以降は使用されていません。
現在の今上天皇の御所は吹上大宮御所の南に1993年に新設されました。新宮殿は明治宮殿の跡地に1969年に新設されますが、住居機能を分離し、公務を行う専用施設となりました。皇居内には自由に立ち入ることはできませんが、二重橋から新宮殿の区間のみ見学することができます。
石造りの迎賓館は100年たっても色あせていない
現在の赤坂御用地と迎賓館のある赤坂離宮は、江戸時代は紀州徳川家の中屋敷でした。1873(明治6)年の西の丸御殿焼失の危機に際して皇室に献上され、以来皇族の重要な施設が置かれてきました。
明治天皇は皇太子(大正天皇)のために、赤坂離宮に1909(明治42)年に旧東宮御所を造営します。この際の建物が現存する「迎賓館」です。昭和天皇も皇太子時代に旧東宮御所を住居としていました。
2009年には明治時代製作の文化財として初めて国宝に指定されています。鹿鳴館を設計したお雇い外国人建築家のジョサイア・コンドルの弟子で明治を代表する宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)が設計しました。片山は東京・京都・奈良の国立博物館の設計でも知られています。
大正天皇や昭和天皇はこの建物をあまり好まなかったようです。いかにもヨーロッパの宮殿を思わせるようなきらびやかさは、明らかに和の落ち着いた雰囲気とはかけ離れているとお感じになったのでしょうか。石造りのため、高温多湿の日本の夏は大変だったとも思われます。
内部を見学できますが、確かに日本にいるとは思えない空間です。迎賓館は太平洋戦争末期の空襲の被害を受けず生き残りました。明治宮殿は空襲のあおりで焼失しています。迎賓館の中の空間では、運命というものを強く感じさせます。
現在の皇太子の住居は1960年に造営された赤坂御用地内にある「赤坂東宮御所」です。皇太子時代の今上天皇に引き続き、現皇太子が使用しています。2019年の今上天皇の退位後は、現皇太子の住居である東宮御所を仙洞御所として使用する予定になっています。
【Wikipediaへのリンク】 皇居
【Wikipediaへのリンク】 迎賓館
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
少しずつ国民にオープンになっていった皇居の歴史を紐解く
皇居 参観案内(宮内庁)
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/koukyo.html
迎賓館 赤坂離宮(内閣府)
https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/
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