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年一日だけお会いできる天平の美仏がまもなく ~東大寺「執金剛神」公開

2017年11月19日 | お寺・神社・特別公開

法華堂は東大寺の源流、1200年以上奈良の街を見続けてきた

 

 

東大寺の境内はとても広い。観光客が集中する南大門から大仏殿に至る参道の西には戒壇堂、北には正倉院、東には法華堂と日本の歴史を語るにはかけがえのない伽藍が点在する。中でも東の伽藍は春日山・若草山の山麓にあって、奈良の街並みを見下ろす絶景が広がる。天平人がこのような絶景を意識して建立したのかは定かでないが、法華堂があるエリアは東大寺の伽藍の中で最も古い。

 

現在の法華堂は、聖武天皇が誕生間もなく夭折した皇太子の弔いに728(神亀5)年に建立した金鐘寺(こんしゅじ)、すなわち東大寺の前身寺院の堂宇として建てられた。金鐘寺は741(天平13)年に国分寺・国分尼寺建立の詔により大和の国分寺(=金光明寺)に昇格し、国家の中心の寺院として745(天平17)年から大仏が造立されることになる。以来1200年の時を重ね、今の東大寺に至る。

 

法華堂は天平美仏の宝庫でもある。堂内にある10体はすべて天平期の造立ですべて国宝だ。国宝の伝日光・月光菩薩像なども長らく堂内にあったが、土で固めて作られている塑像で地震に弱いため、免震装置を備えた東大寺ミュージアムに2011年から移されている。

 

堂内10体のうち9体は乾漆像で、漆により固く塗り固められているため地震には比較的強い。しかし1体だけは塑像だが、あえて東大寺ミュージアムに移されていない。それが執金剛神(しゅorしつこんごうしん)で、東大寺にとってはとても大切な仏様だ。

 

執金剛神は金鐘寺の頃から寺の中心的な存在で、東大寺の初代別当(べっとう、最高責任者のこと)になった良弁(ろうべん)により作られたものと考えられている。普段は秘仏で、年1日だけ良弁の命日である12/16に公開される。

 

執金剛神とは仏を守護する神であり、南大門にあって著名な金剛力士(仁王)と同じ役割だ。しかし仁王のように阿吽のペアではなく単独の像で、仁王のように寺の入口である山門に置かれるわけではない。仁王のように裸ではなく甲冑を付けており、仁王の阿形のように両目と口を大きく開き怒号する表情をあらわす。一方全国で非常に多い仁王と異なり、ほとんど作例がない。ここ東大寺法華堂(仏師不明)と高野山霊宝館(快慶作)、京都・舞鶴の金剛院(快慶作)が知られているくらいだ。

 

法華堂の執金剛神は、造立されてから1200年以上経過した仏像としては驚異的に彩色が残されている。希少性と相まって際立ってその神秘性を増している。長らく秘仏として大切に寺によって守り続けられてきた賜物であろう。平安末期と戦国時代の2回、大仏殿が焼失した際も他の法華堂の諸仏とともに難を免れている強運の持ち主である。

 

とてもリアルで本当に動き出しそうに見える。天平時代の仏像も鎌倉時代のように日本的なリアルさが特徴だ。大きさはほぼ等身大、公開時はごく間近でお会いすることができる。まさに手で触れることができるような間近さだが、執金剛神の威厳のある目はそれを許さない。見る者に絶妙の緊張感を与える表情で、守護神の役割を見事に表現している。

 

現在戒壇堂にある四天王と並んで天平リアリズムの最高傑作だ。年に一日だけだが、わざわざ出かける価値は充分にある。

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

とても奥が深い東大寺の歩みを今一度整理するにはこの本

 

 

東大寺

http://www.todaiji.or.jp/

原則休館日:なし

※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。

 

 

秘仏開扉 法華堂執金剛神立像

http://www.todaiji.or.jp/contents/function/buddha6.html

 

 

 

 

 

 


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