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春恒例の「等伯」展は素晴らしい_石川県七尾美術館

2019年06月20日 | 美術館・展覧会

能登半島の付け根部分、和倉温泉の近くにある石川県七尾(ななお)美術館。長谷川等伯の出身地でいくつか作品も所蔵しており、毎年5月に等伯の展覧会を大々的に開催しています。今年2019年になってようやく行くことができました。

  • 京都の寺や国立博物館など全国から名品を借りて大々的に開催、地方で稀有な定番の展覧会
  • 等伯の若い頃、七尾時代の展示も充実していることも、この展覧会の希少価値
  • 円熟期の作品も揃っており、等伯の画家としての成長ぶりが本当によくわかる


七尾は能登半島でも富山湾側に面しており、海は穏やかで自然の恵みの豊かさを感じることができます。そんな自然の恵みが等伯を育てたのです。


能登島大橋、爽快な橋と海のドライブが名なので楽しめる

七尾は、能登半島の大部分を占める旧・能登国の国府があったところで、石川県では金沢よりはるかに古い歴史を持つ街です。能登の海の幸や和倉温泉を中心とする温泉リゾートがよく知られており、パティシエの辻口博啓の出身地としても有名になっています。

長谷川等伯は1539(天文8)年、七尾を治めていた戦国大名・畠山氏の下級武士の家に生まれました。幼い頃に染物屋の長谷川家に養子に出され、そこで絵を学びます。当時の七尾は日蓮宗の僧が京都と盛んに往来しており、文化的にも先端を走っていたエリアです。

等伯も京の最先端文化に触れる機会は少なくなかったと考えられています。元も早いと確認されている等伯作品では20代のものがのこされています。

石川県七尾美術館は常設での等伯作品の展示はなく、毎年春恒例の「等伯展」で集中的に披露されています。

館蔵品を始め周辺の古刹に少なからずのこされている、京都に出る前のいわゆる「七尾時代」の「信春(のぶはる)」と名乗っていた頃の作品が鑑賞できるのが、この展覧会の大きな魅力の一つです。まためったに見る機会のない等伯の養父・宗清(むねきよ)の作品も展示されます。この展示も地元・七尾で開かれる展覧会ならではです。

長谷川家は熱心な日蓮宗の信者だったこともあり、宗清も多くの仏画や肖像画を手掛けていたようです。今回は高岡の妙傳寺に伝わる「日蓮上人像」が出展されています。落ち着いた画風で写実的に精緻に描かれています。七尾時代の等伯作品も仏画や肖像画が多く見られますが、養父の影響がはっきりと見て取れます。

等伯(信春)作品では羽咋の妙成寺につたわる「涅槃図」が見応えがありました。京都の寺でも多くをのこした等伯の涅槃図の中でも最初期の作品でしょう。作品を見た瞬間に「上手い」と感じました。等伯は京に出て腕を磨いた印象が強いですが、京に出る前からかなりの腕前だったことがはっきりと確認できます。

1571(元亀2)年、等伯33歳の時に養父が亡くなり一家で京に出ます。理由は定かではありませんが、等伯としては一大決心をしたと思われます。



上洛直後は七尾の実家の菩提寺・本延寺(ほんねんじ)の本山である本法寺(ほんぽうじ)を頼り、塔頭・教行院(きょうぎょういん)に身を寄せます。その後10年ほどは、のこされた作品や活動の記録も乏しく、謎の多い時代です。

南蛮貿易で栄える当時の最先端都市・堺に頻繁に出かけ、日蓮宗や大商人のコネクションを活かして人脈を築くとともに、絵の流派としては当時全盛の狩野派に並びうる表現力を身に付けるべく、京都の寺で様々な日本や中国の作品を鑑賞して学んでいた。このように考えられています。

後に本法寺の住職になる高僧で等伯の伝記「等伯画説」をのこした日通(にっつう)や、大徳寺での制作など大仕事の受注に大きく影響した千利休とも堺で知り合っています。

【展覧会公式サイト】 ご紹介した作品の画像の一部が掲載されています

この謎の多く作品数の少ない時代でも、東博蔵「牧馬図屏風」が出展されていることから、この展覧会の構成のレベルの高さがうかがえます。馬と武士が生き生きと走り回る様子が描かれており、とても「躍動感のある屏風です。一方等伯の特徴である洗練されたバランス感はすでに十分に身に付けていることもうかがえます。素晴らしい作品です。重要文化財です。

等伯が京に出て10年以上たった頃には、大徳寺から仕事を受けていたようです。数々の戦国大名からの帰依を受け、茶の湯サロンの最高峰として繁栄していた大徳寺から仕事をもらえることは、京都画壇の中でも一定の評価を確立していたことを意味します。

1989(天正17)年、51歳の時の「山水図襖」も出展されています。等伯が大徳寺三玄院に住職の留守中に勝手にあがりこんで描いたという伝説がのこるように、襖の地の桐紋の上に描かれた不思議な作品です。白い桐紋は雪が舞っているようで幻想的に見えるところに驚きます。重要文化財です。現在は高台寺圓徳院の所蔵です。

1989(天正17)年、52歳の時、御所造営の仕事が決まりかけていたところを狩野派に土壇場で奪われます。その4年後、秀吉が亡き鶴松の菩提寺として建立した祥雲寺の障壁画制作を受注します。この障壁画が現在の智積院に伝わる国宝「楓図」です。等伯はついに狩野派と並ぶ地位を確立します。

【石川県七尾美術館 公式サイトの画像】 猿猴図屏風
【石川県七尾美術館 公式サイトの画像】 松竹図屏風

等伯の画風が最も脂にのっていた50-60歳代の作品も目白押しです。石川県七尾美術館所蔵の名品2点はいずれも2015年に発見されたもので、洗練された等伯の画風が見事に伝わってきます。

「猿猴図屏風」は等伯が尊敬していた南宋の画僧・牧谿(もっけい)が描く猿をまねたものと考えられています。「松竹図屏風」は竹がしっかりと大地に立っている下半分に対し、上半分は霧がかかったようにおぼろげで、その対比が魅力的です。等伯の代表作「松林図屏風」を思わせます。


石川県七尾美術館の外観

展覧会場には国宝「松林図屏風」の高精細複製品も展示されていました。等伯の画風の一つの基準として展示作品の表現と見比べると面白いです。等伯の腕のすごさがよくわかります。

石川県七尾美術館では等伯作品の常設展示はありませんが、春以外の企画展でも出展されることはあるようです。能登にお出かけの際は公式サイトをチェックの上、ぜひ訪れてみてください。地方にも素晴らしい美術館があることを実感できます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



日本美術には別冊太陽
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<石川県七尾市>
石川県七尾美術館
2019年度春季特別展
長谷川等伯展 〜屏風・襖-大画面作品を中心に〜

【美術館による展覧会公式サイト】

主催:石川県七尾美術館
会期:2019年4月27日(土)~5月26日(日)
原則休館日:会期中無休
入館(拝観)受付時間:9:00~16:30

※5/12までの前期展示、5/13以降の後期展示で一部展示作品/場面が入れ替えされます。
※この展覧会は、今後他会場への巡回はありません。
※この美術館は、コレクションの常設展示を行っていません。企画展開催時のみ開館しています。



◆おすすめ交通機関◆

JR七尾線/のと鉄道「七尾」駅下車、車で5分、徒歩20分
能越自動車道・七尾城山IC/七尾ICから車で各10分

JR七尾駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
JR七尾駅まで 金沢駅から在来線特急で60分

【公式サイト】 アクセス案内

※鉄道は本数が少ないため、事前にダイヤを確認の上、利用されることをおすすめします。
※この施設には無料の駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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