日本の王朝文化を今に伝える京都御所が2016年7月から参観申し込み不要で通年公開となり、日本の“宮殿”の見学・鑑賞がとても身近になりました。桂離宮・修学院離宮も、当日に空きがあれば事前参観申し込みなしでも見学・鑑賞できるようになりました。
皇族の住居の名称には独特の表現がたくさんあります。TVで耳にすることも多いですが、案外意味がわからなかったりします。皇族の住居からはある意味、日本文化の最高峰とはいかなるものかを感じることができます。そんな時に便利なように用語を整理しました。
1)天皇の住居・政庁の名称とその変遷
現代の天皇の住居とオフィスは「皇居(こうきょ)」と呼ばれます。明治になる前は「御所(ごしょ)」という名称がよく知られています。長い歴史の間に名称はしばしば変わっています。
都の中の天皇の住居である、いわゆる“宮殿”の存在は飛鳥時代までさかのぼることができます。しかし大まかな位置や名称がわかっているだけで建物の構造や配置まではわかりません。藤原京になってようやく、大極殿など中心的な建物の大まかな大きさが発掘調査で確認できるようになりました。
続く平城京では、天皇の住居や政庁が置かれた「平城宮」の様子がかなり詳しく明らかになっています。
内裏(だいり)
天皇の住居エリアのことです。中国式の大規模な都として初めて建設された藤原京で成立した概念と考えられています。禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)とも呼ばれます。現在は御所(ごしょ)と呼ばれ、京都御所は内裏に相当します。
平安時代以降は南面する内裏の正門を「建礼(けんれい)門」と呼びます。
【Wikipediaへのリンク】 内裏
朝堂院(ちょうどういん)
天皇が政務や儀式を行うエリア、すなわち天皇のオフィスのことです。中心的な建物が「大極殿(だいごくでん)」です。明治時代に設けられた平安神宮は、朝堂院内の主な建物と配置を5/8の大きさで復元したものです。
平安時代には南面する朝堂院の正門を「応天(おうてん)門」と呼びました。
【Wikipediaへのリンク】 朝堂院
大内裏(だいだいり)
内裏や朝堂院とともに様々な官庁を含んだエリアのことで、天皇による政治の中枢部分となります。現在の皇居と霞が関の官庁街をあわせたようなエリアです。平城京における「平城宮」に相当します。
「大内裏」は室町時代に一般化した呼び名で、それまでは「宮(みや)」と呼ばれていました。そのため「平安宮」という言い方も間違いではありませんが、現代では用いません。
藤原京以降は南面する大内裏の正門を「朱雀(すざく)門」と呼びます。
【Wikipediaへのリンク】 大内裏
里内裏(さとだいり)
平安時代以降に、内裏以外の邸宅を天皇の住居として用いたものです。頻繁に火災に見舞われた内裏を再建するまでの一時的な住居として、平安京内を転々としていました。
現在の京都御所は、南北朝時代に北朝側の里内裏として使われていたエリアが原型です。火災があっても同じエリアで再建され続けたため、明治になるまで場所は動いていません。
京都のお寺を中心に、里内裏として使われていたところには「〇〇御所」という名称が現在にも伝わっています。
【Wikipediaへのリンク】 里内裏
御所(ごしょ)
在位中の天皇を意味する「今上(きんじょう)天皇」の住居エリアのことです。内裏とほぼ同じ概念です。現在も用いる名称で、皇居・吹上御苑内にあり、公務を行う「宮殿」と区別されています。
よく知られているように現・京都御所は、東京遷都前の江戸時代まで今上天皇の住居だったエリアです。文化財として見学することができます。
【Wikipediaへのリンク】 御所
【Wikipediaへのリンク】 京都御所
宮内庁 参観案内
http://sankan.kunaicho.go.jp/index.html
皇居(こうきょ)
よく知られているように、天皇の住居や公務に関連する施設があるエリアのことです。天皇の住居である「御所」、天皇が公務を行う「宮殿」、皇室を支える「宮内庁」が主な施設として所在します。
第二次大戦後から用いられた名称で、明治から第二次大戦中までは「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれていました。
【Wikipediaへのリンク】 皇居
2)様々な御所の名称には意味がある
「御所」の二文字だけで表すと、今上天皇の住居を指します。英語で言うThe Goshoです。〇〇御所のように御所の前に名称がつくと、今上天皇以外の皇族が使用する住居の意味になります。
仙洞(せんとう)御所
譲位して上皇・法皇になった天皇を意味する「太上(たいじょう)天皇」の住居を指します。「院御所(いんごしょ)」とも言います。京都御所の東側にある現存する仙洞御所は、見学することができます。
【Wikipediaへのリンク】 仙洞御所
大宮(おおみや)御所
譲位した天皇の皇后である皇太后(こうたいごう)の住居を指します。「女院(にょいん)御所」ともいいます。「大宮」とは皇太后の敬称です。
京都御所の東側に現存する大宮御所の御殿は、皇室の宿舎として今も使用されています。仙洞御所と一体となった庭園(北園が大宮御所の庭園、南園が仙洞御所の庭園)は見学できますが、御殿は非公開です。
東京にも「大宮御所」が造営されていますが、2000年の昭和天皇・皇太后の崩御後は使用されていません。
【Wikipediaへのリンク】 大宮御所
東宮(とうぐう)御所
次の天皇となる皇太子の住居を指します。幕末までは現在のように御所とは別の敷地に設けるのではなく、御所内の建物を使用していました。
平安時代の内裏では「昭陽舎(しょうようしゃ)」もしくは「梨壺(なしつぼ)」が東宮御所でした。江戸時代の京都御所では「小御所(こごしょ)」で儀式を行い、「御花御殿(おはなごてん)」で生活していました。
現在の皇太子の住居は1960年に造営された赤坂御用地内にある「赤坂東宮御所」です。皇太子時代の今上天皇に引き続き、現皇太子が使用しています。
【Wikipediaへのリンク】 東宮御所
武家にも御所がありました
御所は天皇に準ずる位の高い人の住居にも用いられていました。
- 柳之御所:平泉の奥州藤原氏初代・清衡から三代・秀衡が使用した居館
- 伽羅御所:奥州藤原氏三代・秀衡が柳之御所を大改修した居館
- 花の御所:室町幕府三代将軍・義満が造営した足利将軍家の邸宅
- 二条御所:室町幕府十三代将軍・義輝の邸宅
3)御所の中の建物
大内裏・内裏・御所の中には様々な建物がありました。主なものについてご説明します。
大極殿(だいごくでん)
都の大内裏の中で政務や儀式を行う「朝堂院」エリアの正殿(中心的な建物)です。天皇による重要な儀式や行事が行われました。飛鳥時代からあった可能性が考えられており、藤原京・平城京・平安京では存在が確認されています。
【Wikipediaへのリンク】 大極殿
紫宸殿(ししんでん)、宸殿(しんでん)
天皇の住居エリア「内裏」の正殿です。平城京にあったかはよくわかっていません。天皇の儀式・行事が行われていました。平安時代の半ばからは大極殿に変わって紫宸殿が天皇のオフィスとして最も重要な建物になります。里内裏の中にも紫宸殿は設けられました。京都御所には幕末に古式にのっとって再建された紫宸殿が現存します。現在の皇居にはありませんが、天皇のオフィスの役割は宮殿が担っています。
宸殿(しんでん)とは紫宸殿の省略呼称と考えられています。現在では、門跡寺院に移築した、皇族が使用していた建物を指します。
【Wikipediaへのリンク】 紫宸殿
清涼殿(せいりょうでん)
天皇の住居のエリア「内裏」の建物の一つです。平城京にあったかはよくわかっていません。平安時代の半ばには天皇の私的な住居として使われていました。里内裏でも設けられましたが、次第に儀式の場となっていきます。私的な住居は常御所(つねごしょ、現・京都御所では御常御殿)に移りました。
京都御所には幕末に古式にのっとって再建された清涼殿が現存します。
【Wikipediaへのリンク】 清涼殿
小御所(こごしょ)
江戸時代に、天皇が幕府の使者や諸大名を謁見する場所、また皇太子の儀式をおこなう場所として使われた建物です。幕末の王政復古の大号令が発せられた日に、徳川家と徳川慶喜の処分を決めた「小御所会議」が行われた場としても知られています。
1954年に打ち上げ花火で焼失しましたが、1958年に忠実に旧来を再建した建物が現存します。
御学問所(おがくもんじょ)
江戸時代に、学問や遊興をおこなう場所として使われた建物です。徳川幕府による禁中並公家諸法度で「天皇は学問が第一」と定義されたため設けられましたが、実施は和歌などの遊興に主に使われました。
御常御殿(おつねごてん)
天皇の私的な住居として使われた建物です。現存する御常御殿は、儀式を行う紫宸殿のように復古調の寝殿造りではなく、生活に便利な書院造で造られています。
4)御所以外の皇族の邸宅
天皇や皇族は、御所以外にも様々な邸宅を設けています。いわゆる別荘がその多くを占めますが、様々な名称が用いられます。
別業(べつぎょう/なりどころ)、田荘(たどころ)
古代から平安時代にかけての貴族の別荘のことです。「〇〇殿(どの)」と呼ばれることがあります。平安時代の別業としては、宇治の平等院、嵯峨の清凉寺・大覚寺・仁和寺、岡崎の白川殿、東山の南禅寺が知られています。
【Wikipediaへのリンク】 別業
後院(ごいん)
譲位後の上皇・法皇の宮殿のことです。平安時代の天皇の追号(死後に名付けられた名前)は、後院の名称に由来するものが多く、歴代の天皇の名称になっています。
離宮(りきゅう)
御所(皇居)とは別に設けられた宮殿のことです。現在の宮内庁の規定では比較的大規模なものを指します。京都の修学院離宮と桂離宮が現存しますが、皇族の宮殿としては使用されていません。いずれも文化財として見学することができます。
かつては以下のような離宮が存在しました。
- 鳥羽離宮:京都市南部・城南宮付近にあった平安時代末から鎌倉時代にかけての上皇の邸宅、院政の中心地でした
- 赤坂(あかさか)離宮:現・迎賓館、皇太子時代の大正・昭和天皇の邸宅
- 霞関(かすみがせき)離宮:現・国会前庭南地区、国賓宿舎や大正時代に摂政となった昭和天皇の東宮仮御所として使用された、第二次大戦末期に空襲で焼失
- 芝(しば)離宮:譜代大名・大久保家上屋敷の跡地、宮家邸宅や迎賓館として使用された、昭和天皇ご成婚時に東京市に下賜され現・旧芝離宮恩賜庭園となった
- 浜(はま)離宮:江戸幕府6代将軍・家宣の実家・甲府徳川家の下屋敷が将軍家の別荘として使用された、明治から終戦時までは天皇の別荘、終戦後に東京都に下賜され現・浜離宮恩賜庭園となった
- 武庫(むこう)離宮:大正時代に設けられたが第二次大戦末期の空襲で大半を焼失、1967年に神戸市に下賜され現・須磨離宮公園となった
【Wikipediaへのリンク】 離宮
御用邸(ごようてい)
明治になって宮内省により設けられた概念で、御所(皇居)とは別に設けられた、離宮より小さい宮殿を指します。現在も天皇が静養にたびたび訪れることでよく知られています。
以下の御用邸が現在使用されています。
- 那須(なす)御用邸:栃木県に大正15年に造営
- 葉山(はやま)御用邸:神奈川県に明治27年に造営、大正天皇が崩御した場所、1971年に放火で焼失したが1981年に再建
- 須崎(すざき)御用邸:静岡県下田市の三井財閥の別荘を1971年に宮内庁が買い取って御用邸にした
かつては以下のような御用邸も存在しました。
- 沼津(ぬまづ)御用邸:1969年廃止、現・沼津御用邸記念公園
- 田母沢(たもざわ)御用邸:1947年廃止、現・日光田母沢御用邸記念公園