古墳の石室の中に入れます
石舞台古墳は、日本で最もよく知られた古墳の一つでしょう。巨大な石組がどんと置かれているが、中は空っぽ、摩訶不思議なアート作品にも見える姿がとても印象的です。
発掘調査により周りを空堀や堤で四角に囲まれていたことはわかっています。石室の上の盛り土は失われており、古墳の形状はわかっていません。しかし1,400年の時間が蓄積した圧倒的なオーラを発し、飛鳥時代を象徴する遺産であることは誰も異論はないでしょう。
飛鳥時代に絶大な権勢を誇った蘇我馬子の墓とする説が有力なようです。長い間石室が露出していたため副葬品は全く残されていません。盛り土が失われた理由もわかりません。「石舞台」と呼ばれる理由も「天井石が平面で舞台のように見える」などの説があるようですが、これも定かではありません。とにかくわからないことだらけですが、「世紀の大発見」のようなものが出てこない限り、確証を得ることは難しいでしょう。
石舞台古墳の大きさはこれくらい
推定築造方法の解説
エジプトのピラミッドとは比べものになりませんが、それでも巨石をどうやって運んだかには興味がわきます。石の総重量は2,300t、中でも天井石は77tもあります。現地の解説パネルを読むと、膨大な人力を動員すれば築造できないことはないと理解できます。
しかしそんな動員を行うためにはとてつもない権力が必要です。世界最大の墓と推定される堺・仁徳天皇陵に至っては、どんな石室が埋まっているのか、とても興味がわいてきます。
実態がよくわからないけれど魅力的なものに、人間はロマンを感じます。古代の遺跡はその典型です。その古代の遺跡の典型が「石舞台」です。石室の中に入れる、というのもさらにそのロマンを深めます。
中に入れる古墳は、奈良県内では石舞台の近くの桜井市に「艸墓古墳」「文殊院西古墳」があります。しかし石室が露出していてかつ中に入れる古墳の存在は、かなりの古墳ファンでない限りわからないでしょう。「石舞台」はまさに「ここにしかない」、1,400年の時間が積み重ねた美しいオブジェなのです。
石舞台から見た二上山
二上山(にじょうざん)は大阪府と奈良県の境となる山です。古代より飛鳥地方と海への玄関口・難波(なにわ、現在の大阪市から堺市にかけての海岸)を結ぶ交通の要所で、日本最古の官道(=国道)と言われる「竹内(たけのうち)街道」が山の南側の峠を通っています。
竹内街道を通って数多くの朝鮮半島・中国大陸からの文化が飛鳥に運ばれてきました。そんな外国への玄関口を示す二上山が、石舞台からはっきりと見えます。
飛鳥はとても静かなところです。時間の経過を忘れるには、日本で最も適したところの一つだと思います。
<追伸>
「あすか」は現在、自治体名は「明日香」と表記します。一方その他の、駅名や大まかなエリア、歴史の時代区分などはすべて「飛鳥」と表記します。明日香村の公式サイトによると、古事記や万葉集には両方の表記を含めて様々な感じが使われているようで、どれが正式かという概念自体がありません。
漢字を使い始めた古代は、日本語の発音を表記する漢字、いわゆる「万葉仮名」が一つに定まっていなかったからだと考えられます。このような、古代の地名に複数の表記があることは珍しくありません。現在の大阪の古代の名称は「なにわ」ですが、難波/浪速/浪花など複数あります。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
古代国家形成に絶大な影響力を持った豪族の命運はいかに?
石舞台古墳(明日香村観光サイト「あすかであそぼ」)
https://asukadeasobo.jp/kankou/ishibutai
原則休館日:なし
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