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見たこともなかった南蛮人を豊かに表現 ~ザヴィエル像と南蛮屏風

2016年11月19日 | 美術館・展覧会
教科書などで誰もが見た記憶のある有名な南蛮美術の作品「聖フランシスコ・ザヴィエル像」が神戸市立博物館で年に一回程度、不定期ながらも公開されている。

江戸時代初期1613年に幕府からキリスト教禁教令が出された後、ザヴィエルが聖人に列せられた1622年以降に描かれたものと考えられている。

大阪府茨木市の隠れキリシタンだった旧家で永年眠っていたものが大正時代になって発見され、神戸の南蛮美術コレクターであった池長孟(いけながはじめ)が別荘を売ってまでして入手、戦後に神戸市に譲られた。

長らく櫃の中で眠っていたからか、発色が非常によく美しい。ザヴィエルや天使は西洋人の顔つきで描かれているが、西洋絵画のように立体感を強調する表現はなされておらず、不思議な印象を受ける。江戸時代の洋風画によく見られたケースだが、西洋の書籍の挿絵の版画を模して制作されたと考えられているのはこのためだ。

しかしザヴィエルの表情そのものは、非常に慈愛にあふれている。仏教でいえば「悟りを開いた」ように見え、落ち着いており親しみを持てる。信者が祈りをささげる対象として、実に絶妙な表情をしているのである。

神戸市立博物館は、池永コレクションによる南蛮美術が素晴らしい。

日本では100点ほどの南蛮屏風が確認されている中で、鮮やかな色彩、精密な描写、落款が残り作者がわかる、の3点で、館の所蔵する狩野内膳作「南蛮屏風」はトップクラスの作品であろう。南蛮人や日本人の服装、象や洋犬のような当時の日本人はほぼ見たことがない珍獣など南蛮船が入った港の活気が実に豊かに表現されている。

洛中洛外図の南蛮貿易港バージョンといえばわかりやすく、戦国時代が終わって都市での生活を楽しむことができるようになった喜びを、こぞって絵にすることが当時は流行したのであろう。

作者の狩野内膳は秀吉に登用された絵師で、狩野家との血縁関係はない。肥前名護屋城の障壁画制作に参加した後に長崎に赴いたことが、南蛮屏風の豊かな描写に生かされているのだろう。他の代表作に豊国神社の「豊国祭礼図屏風」がある。この作品も町衆の風俗表現が素晴らしい。

紹介した二作はいずれも重要文化財だが、近いうちに国宝になっても納得する人は多いだろう。



江戸時代初期、幕府から西洋で唯一交易を許されたオランダは、スペインとの独立戦争に勝利し、従来の中心貿易港だったアントワープから商人がこぞってアムステルダムに移ってきたことで、空前の繁栄期を迎えていた。当時貴重で人気のあったチューリップの球根が現在の貨幣価値で1個数千万円したという逸話で有名なバブル経済時代である。

1630年代にはレンブラントが売れっ子画家となり、「テュルプ博士の解剖学講義」「夜警」といった傑作を残した。レンブラントの作品の多くはアムステルダム市民からの依頼であり、当時の町の活気や様子がリアルに描かれている。

オランダでも日本でも、絵のクライアントは従来の宗教や政治権力者から富裕な市民層に広がりを見せたのがこの時代である。そのため町の様子を描いた風俗画が非常に多い。

西洋と日本の町衆の描かれ方の違い、一度じっくり見比べてみてください。東西の違いは面白いですよ。

日本や世界には数多くの
「唯一無二」の名作がある。

「そこにしかない」名作に
ぜひ会ってみてください。


展覧会は2016年4~5月に開催されたものです。
公式サイト http://www.city.kobe.lg.jp/museum/

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