ふいに、何の前触れもなく、自分のある側面を拒否されたり、否定されたりすることがある。
もともと、それが自分にとってのネックであり、問題点であるという認識がある時には、指摘してくれた人が辛辣で直截的であることを思うだけであるが、それが全く自身で意に介さない事柄であったとき、衝撃は大きい。
昨日、生まれてこの方、褒められることはあっても、否定されたことは一度もなかった筆跡について、日頃は円満で穏やかな人物から否定されるという出来事に出くわした。
「寝耳に水」がダブルでやってきたようで、いささか面食らった。
あれ?この人はいつも万人に対して肯定的な人だが、ホントにホントウは人間に対する見方がとっても批判的な人なのかもしれない。
いつも綺麗よねって褒められることの多かった自分の筆跡も、ホントにホントウは素人くさい奇異な筆跡であって、プロの文字を見慣れている人にとっては稚拙な汚い字にすぎないのかもしれない。
足元をすくわれると、ひょっとして?感は生活の隅々に及び、落ち着かないことこの上もない。
信じることの出来ない私は救われない。
もともと、それが自分にとってのネックであり、問題点であるという認識がある時には、指摘してくれた人が辛辣で直截的であることを思うだけであるが、それが全く自身で意に介さない事柄であったとき、衝撃は大きい。
昨日、生まれてこの方、褒められることはあっても、否定されたことは一度もなかった筆跡について、日頃は円満で穏やかな人物から否定されるという出来事に出くわした。
「寝耳に水」がダブルでやってきたようで、いささか面食らった。
あれ?この人はいつも万人に対して肯定的な人だが、ホントにホントウは人間に対する見方がとっても批判的な人なのかもしれない。
いつも綺麗よねって褒められることの多かった自分の筆跡も、ホントにホントウは素人くさい奇異な筆跡であって、プロの文字を見慣れている人にとっては稚拙な汚い字にすぎないのかもしれない。
足元をすくわれると、ひょっとして?感は生活の隅々に及び、落ち着かないことこの上もない。
信じることの出来ない私は救われない。