母の兄弟姉妹が老齢の祖母を連れて、遠くから、
認知症が重くなってきた母に会いに来てくれた。
老々介護の解決策のひとつとして、
今月から、1ヵ月の三分の一は、ショートステイになったので、
施設で会うことになった。
母のモト家族である人たち。
私がこの世に存在する前から、
母の人生を共にしてきた母の大切な人たち。
10mくらい先のテーブルに座っていた母に、誰かが「おねえさん」と声をかけると、久しく見ないスピードで、機敏に顔を上げ、それと同時に母の顔がパッと明るくなり、今にも駆け出しそうな勢いだった。
私は、これだけで、実はかなりビックリした。
叔母たちの顔を判断できないことも有り得るかもしれないとひそかに心配していたからだ。
叔母や叔父たちが、母の手を握りながら、
「おねえさん、会いたかったよ」と口々に言う。
そのたびに母は子供のように喜ぶ。
身体を弾ませて、声を上げて笑っていた。
その中でも、強く心に残ったのは、
91才の祖母と71才の母の再会だった。
ひと回り小さくなって、あまりしゃべらなくなった祖母が、
母の手をしっかりと握って、母の名前を呼んだ。
母も、祖母だと言うことが何となくわかったのか、
ものすごく嬉しそうな顔をする。
急に、祖母の頬や髪をゆっくりとなでた。
そして、涙を流しながら笑っていた。
祖母も微笑みながら涙を流していた。
母の純粋に喜ぶ顔に感動し、喜び、心が熱くなる。
母が、ひさしぶりに、私が知っている母になっているのを見ることができた。
なつかしい母がいた。
けれども、祖母は、母を見て何を感じたのだろう。
こうなってしまった娘に何を思うのだろう。
切なくて、切なすぎて、嗚咽しそうになる。
祖母は、ずっと母の手を握りながら、
何度か、小さな声で、元気でいてね、元気でね、とささやく。
母は、聞いていない。
でもきっと心では聞いているんだよね。
母の無邪気な顔は、確実に嬉しいのだけれど、
胸がしめつけられるように切ない。
人間とは、一度に幾つもの感情を抱くことができるのものだなあ、と思った。
心の糸がいくつも交叉して織り上げられていくように。
もしかしたら、こんなふうに母と祖母が会える日はもう最後かもしれない。
足腰がとても弱くなってしまった祖母は、車いすを所々で借りながら、往復した。
母の認知症がもっと進行すれば、どうなるかわからない。
『今しかない』という判断で、母の兄弟たちが、今回、行動してくれたのです。
会えてよかった、と心からそう思う。
あの場にいたみんなが、絶対にそう思ったことでしょう。
溢れる笑顔。
溢れる涙。
笑いながら涙が頬を伝っている笑顔は、なんて深い表情なのだろう。
会えてよかったね。
今も、母たちの笑い声が、心の奥まで響いている。
嬉しい、けれど、切なく。
切ない、けれど、1滴の濃い幸せが身体の随まで染み渡る。
『会える』ということが、こんなに胸を熱くするなんて。
人と人とをつなぐ、とても大切なものを教えてもらったような気がします
人間っていいね・・
認知症が重くなってきた母に会いに来てくれた。
老々介護の解決策のひとつとして、
今月から、1ヵ月の三分の一は、ショートステイになったので、
施設で会うことになった。
母のモト家族である人たち。
私がこの世に存在する前から、
母の人生を共にしてきた母の大切な人たち。
10mくらい先のテーブルに座っていた母に、誰かが「おねえさん」と声をかけると、久しく見ないスピードで、機敏に顔を上げ、それと同時に母の顔がパッと明るくなり、今にも駆け出しそうな勢いだった。
私は、これだけで、実はかなりビックリした。
叔母たちの顔を判断できないことも有り得るかもしれないとひそかに心配していたからだ。
叔母や叔父たちが、母の手を握りながら、
「おねえさん、会いたかったよ」と口々に言う。
そのたびに母は子供のように喜ぶ。
身体を弾ませて、声を上げて笑っていた。
その中でも、強く心に残ったのは、
91才の祖母と71才の母の再会だった。
ひと回り小さくなって、あまりしゃべらなくなった祖母が、
母の手をしっかりと握って、母の名前を呼んだ。
母も、祖母だと言うことが何となくわかったのか、
ものすごく嬉しそうな顔をする。
急に、祖母の頬や髪をゆっくりとなでた。
そして、涙を流しながら笑っていた。
祖母も微笑みながら涙を流していた。
母の純粋に喜ぶ顔に感動し、喜び、心が熱くなる。
母が、ひさしぶりに、私が知っている母になっているのを見ることができた。
なつかしい母がいた。
けれども、祖母は、母を見て何を感じたのだろう。
こうなってしまった娘に何を思うのだろう。
切なくて、切なすぎて、嗚咽しそうになる。
祖母は、ずっと母の手を握りながら、
何度か、小さな声で、元気でいてね、元気でね、とささやく。
母は、聞いていない。
でもきっと心では聞いているんだよね。
母の無邪気な顔は、確実に嬉しいのだけれど、
胸がしめつけられるように切ない。
人間とは、一度に幾つもの感情を抱くことができるのものだなあ、と思った。
心の糸がいくつも交叉して織り上げられていくように。
もしかしたら、こんなふうに母と祖母が会える日はもう最後かもしれない。
足腰がとても弱くなってしまった祖母は、車いすを所々で借りながら、往復した。
母の認知症がもっと進行すれば、どうなるかわからない。
『今しかない』という判断で、母の兄弟たちが、今回、行動してくれたのです。
会えてよかった、と心からそう思う。
あの場にいたみんなが、絶対にそう思ったことでしょう。
溢れる笑顔。
溢れる涙。
笑いながら涙が頬を伝っている笑顔は、なんて深い表情なのだろう。
会えてよかったね。
今も、母たちの笑い声が、心の奥まで響いている。
嬉しい、けれど、切なく。
切ない、けれど、1滴の濃い幸せが身体の随まで染み渡る。
『会える』ということが、こんなに胸を熱くするなんて。
人と人とをつなぐ、とても大切なものを教えてもらったような気がします
人間っていいね・・
ママは、まだまだ、元気だから、次の機会に会いに来てね。
嬉しいなあ~★
今日、ちょうど、Bettyちゃんに美味しいお菓子を買いました。
近いうちに送ります!!
私、今熱いです。
胸が熱くて篤くてアツくて....
そしてまさに切ない....
ママに会いに行くツアー企画、同行したかったのですが
直前に聞いたので今回は日程的に無理で断念しました。
‘私達’、表現が未熟だから上手く伝えられないけれど
たぶんjudyおねえさまと皆同じ想いでしょう。
可愛いママ、逢いたかったなぁ
40代になると、今までになかったシチュエーションが増えますね。
それも人生のお勉強なのかな。
楽しもう、と思います。
Kさん、Eさんに感謝してます。
Kさんは、ママに「おとうさん」って呼ばれてました。
頭の感じとお顔がそっくりだもんね
一昨日の夜、品川に来たんだってね!
よし坊に会いたかったなあ~(^^)
そういえば、誰か紹介してあげて、と言われました~。
どう?
将来は我々の世代になりますから、まみちゃんは自分を大事にね
いどご「いとこ」同士、ながいぐすっぺす