
前回の意味不明な(冷静になった今、私もそう思う)ブログ【前川清】を書き残したまま、Judyは一体何処へ消えてしまったのか、、と、何人かの友人から、心配と興味津々が入り交じったお電話を頂きましたが、マダムJudyさまは、念願の『自由』を素晴らしく満喫して、素敵な4日間を過ごさせていただきました。
いやー、楽しかった。実に、楽しかったー!!そして、濃厚。フフッ
水を得た魚のように、自由気ままに果てしなく広い海の中を思う存分泳ぎまくってやったー、って
言えば満足な表現になるでしょうか。
お陰で、元気倍増、意欲満々で、最高にリフレッシュ状態。
本日は、ついに、夫も息子もそれぞれの旅から戻り、家の中は、トランクだのリュックだの散乱し、洗濯物の山となっておりますが、「ぜーんぶ、お母様が片づけておいて上げるから、大丈夫よーん!!」と、お片づけもルンルンと楽しめちゃうほど、超ご機嫌で小麦色の肌をしたキュートな「お母様」となっております。
火曜日から4日間
、
Judyさまは、ゴルフをしたり、ダイビングをしたり、波の音を聴きながら読書をしたりetc、
日頃思いっきりしてみたかったことを心ゆくまで十分に堪能いたしました。
(そういえば、まだナイスボディメイク中の身にかかわらず、ピンクのビキニを着てしまいました。Judyのラブボディをご覧になられた方、ごめんなさい)
とにかく余計なことは、一切手放し、携帯電話も切り、好きな事だけを好きな所で好きな人間と過ごしました。自然の中で、完全にプライベートで、どんな役もしなくていい、ひとりのビキニになった、じゃなくて、素にさらされたJudyとなって!
五感がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じました。
感情がシンプルになっていく。
何が大切で、何が好きで、何が嫌いかが、よくわかった気がする。
そして、今まで、「○○でなければならないから」、という理由で行動していたことがいかに多かったか。
大切にしなければならないもの、と言うように、「○○しなければならないもの」という表現がいかに多かったか。
それが、自分で自分をぎゅうぎゅうに窮屈にしていたのです。
究極に言えば、自分がそれを好きか、嫌いか、それだけでいい。
好きな事は、守りたいし、大切にしたい。人も同じく。
嫌いな物は、もういらない。バイバイです
キラキラとした美しい海の中を潜っているときに、素晴らしい発見がありました。
それは、Judyの心の底に見つけたキラリと輝く一粒の真珠
中を覗いてみると、『助ける --- Help,Give,Support』というメッセージが見えます。
その真珠を手にとってみたら、それはそれは恍惚とした幸せな気持ちになりました。
そして、心からそれをやりたいと、望んでいることがわかったのです。
今の私の仕事は、まさにそれです。
この真珠を大切に胸に抱き、一生賭けて、全うしたいと思います。
長年、かなり頻繁に「自由、自由、自由が欲ししいのだよぉー!!」とわめいておりましたので、
今回は、ワクワクしながら、念願の『自由』をかなり意識して過ごしておりましたが、実は、自由とは、不安や恐怖感とも背中合わせだということをなにげに感じたのでした。
手放し全開で喜んでいると、なんとなーく、すぐ横に、ふっと『死』を感じることがあったのです。生きるか、死ぬか、どっちしかありませんよーっていう、究極な感じ。なんだろか。
思いっきり、『今ここに生きて』いたのだろーか。
自分の自由な意志で生きるということのパワーの強さに衝撃を受けたのか。
自由を体感してみると、日常生活では束縛や強制などを余儀なくされることがあるけれど、家族や大切な人たちに守られて暮らしているお陰で、安心して生活ができているのだなと、素直に感謝の気持ちになりました。(謙虚な気持ちも持っています)
一体、『自由』の定義とは、何だろうか?
Judyの欲する『自由』とは、束縛されたくないとか、心の赴くままとか、気ままな生活とか、自分の意志通りに行動するとか、なんとなく日頃のうっぷんの反動か、ひたすら憧れのイメージが非常に強い状態で、私の意識に訴えかけておりましたが、やはり、どんなことにも、責任は存在するわけで、自由とは、ある前提条件の上で成立しているものであると、思うのであります。
ですから、無条件的に絶対的な自由というものは、実際の社会生活の中には存在しないのではないのでしょうか。そう考えると、自由を妨害するものがあるなら、その妨害を除去したり、緩和したりすることで、自由の幅が広がるのだから、自由を手に入れたいと思うときは、Judyさまの自由を邪魔する物事や輩は、排除するよう努めてまいればいいのじゃー!!と、いうことになります。
広い広い空や海を見ていると、ぽつんと在る自分の生命体を感じ、『生まれて、死ぬ』自分に、畏怖を感じます。だからこそ、この世で今この肉体を与えられた自分に対し、ありとあらゆる自分が生み出す可能性を見てみたいと強く思うのです。そのために、私が必要とするもののひとつは、自由な感覚です。自由なアーティスティックな感覚は、私に大きなエネルギーをもたらしてくれるものです。それはすでに小さい頃からの必需品アイテムであったように思うのです。(だから、妄想が得意なのか!?)
Judyさまの求める愛する『自由』というのは、自由な行動というより、『自由な感覚』であったんですね。
ということで、大切なオフの時間は、いつでもどこでも私の意識次第で、自由な感覚で過ごせるということになります。なんだか、嬉しいぞぉー!!
私は、ようやく、『自由』を手に入れた気がします。
そして、もうひとつ、大事にしようと思ったことがあります。
『大切な人が、大切にしているものを 大切にすること。』
Judyの人間関係の定義は、これと『笑顔の力』だけで十分です。
なんだか、非常にシンプルになった気がする。
肩の力も抜けて、楽に生きていけそうな予感。
神様から、素晴らしい4日間をプレゼントされました。Thank you,God!!
よぉーし、マダムJudyちゃん42歳、『自由自在に輝くJudy流美しく可笑しい人生』、そして、
『自由な彩りで美しいオーラを放つ私』をますます目指して頑張りまーす
いやー、楽しかった。実に、楽しかったー!!そして、濃厚。フフッ

水を得た魚のように、自由気ままに果てしなく広い海の中を思う存分泳ぎまくってやったー、って
言えば満足な表現になるでしょうか。
お陰で、元気倍増、意欲満々で、最高にリフレッシュ状態。
本日は、ついに、夫も息子もそれぞれの旅から戻り、家の中は、トランクだのリュックだの散乱し、洗濯物の山となっておりますが、「ぜーんぶ、お母様が片づけておいて上げるから、大丈夫よーん!!」と、お片づけもルンルンと楽しめちゃうほど、超ご機嫌で小麦色の肌をしたキュートな「お母様」となっております。
火曜日から4日間

Judyさまは、ゴルフをしたり、ダイビングをしたり、波の音を聴きながら読書をしたりetc、
日頃思いっきりしてみたかったことを心ゆくまで十分に堪能いたしました。
(そういえば、まだナイスボディメイク中の身にかかわらず、ピンクのビキニを着てしまいました。Judyのラブボディをご覧になられた方、ごめんなさい)
とにかく余計なことは、一切手放し、携帯電話も切り、好きな事だけを好きな所で好きな人間と過ごしました。自然の中で、完全にプライベートで、どんな役もしなくていい、ひとりのビキニになった、じゃなくて、素にさらされたJudyとなって!
五感がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じました。
感情がシンプルになっていく。
何が大切で、何が好きで、何が嫌いかが、よくわかった気がする。
そして、今まで、「○○でなければならないから」、という理由で行動していたことがいかに多かったか。
大切にしなければならないもの、と言うように、「○○しなければならないもの」という表現がいかに多かったか。
それが、自分で自分をぎゅうぎゅうに窮屈にしていたのです。
究極に言えば、自分がそれを好きか、嫌いか、それだけでいい。
好きな事は、守りたいし、大切にしたい。人も同じく。
嫌いな物は、もういらない。バイバイです

キラキラとした美しい海の中を潜っているときに、素晴らしい発見がありました。
それは、Judyの心の底に見つけたキラリと輝く一粒の真珠

中を覗いてみると、『助ける --- Help,Give,Support』というメッセージが見えます。
その真珠を手にとってみたら、それはそれは恍惚とした幸せな気持ちになりました。
そして、心からそれをやりたいと、望んでいることがわかったのです。
今の私の仕事は、まさにそれです。
この真珠を大切に胸に抱き、一生賭けて、全うしたいと思います。
長年、かなり頻繁に「自由、自由、自由が欲ししいのだよぉー!!」とわめいておりましたので、
今回は、ワクワクしながら、念願の『自由』をかなり意識して過ごしておりましたが、実は、自由とは、不安や恐怖感とも背中合わせだということをなにげに感じたのでした。
手放し全開で喜んでいると、なんとなーく、すぐ横に、ふっと『死』を感じることがあったのです。生きるか、死ぬか、どっちしかありませんよーっていう、究極な感じ。なんだろか。
思いっきり、『今ここに生きて』いたのだろーか。
自分の自由な意志で生きるということのパワーの強さに衝撃を受けたのか。
自由を体感してみると、日常生活では束縛や強制などを余儀なくされることがあるけれど、家族や大切な人たちに守られて暮らしているお陰で、安心して生活ができているのだなと、素直に感謝の気持ちになりました。(謙虚な気持ちも持っています)
一体、『自由』の定義とは、何だろうか?
Judyの欲する『自由』とは、束縛されたくないとか、心の赴くままとか、気ままな生活とか、自分の意志通りに行動するとか、なんとなく日頃のうっぷんの反動か、ひたすら憧れのイメージが非常に強い状態で、私の意識に訴えかけておりましたが、やはり、どんなことにも、責任は存在するわけで、自由とは、ある前提条件の上で成立しているものであると、思うのであります。
ですから、無条件的に絶対的な自由というものは、実際の社会生活の中には存在しないのではないのでしょうか。そう考えると、自由を妨害するものがあるなら、その妨害を除去したり、緩和したりすることで、自由の幅が広がるのだから、自由を手に入れたいと思うときは、Judyさまの自由を邪魔する物事や輩は、排除するよう努めてまいればいいのじゃー!!と、いうことになります。
広い広い空や海を見ていると、ぽつんと在る自分の生命体を感じ、『生まれて、死ぬ』自分に、畏怖を感じます。だからこそ、この世で今この肉体を与えられた自分に対し、ありとあらゆる自分が生み出す可能性を見てみたいと強く思うのです。そのために、私が必要とするもののひとつは、自由な感覚です。自由なアーティスティックな感覚は、私に大きなエネルギーをもたらしてくれるものです。それはすでに小さい頃からの必需品アイテムであったように思うのです。(だから、妄想が得意なのか!?)
Judyさまの求める愛する『自由』というのは、自由な行動というより、『自由な感覚』であったんですね。
ということで、大切なオフの時間は、いつでもどこでも私の意識次第で、自由な感覚で過ごせるということになります。なんだか、嬉しいぞぉー!!
私は、ようやく、『自由』を手に入れた気がします。
そして、もうひとつ、大事にしようと思ったことがあります。
『大切な人が、大切にしているものを 大切にすること。』
Judyの人間関係の定義は、これと『笑顔の力』だけで十分です。
なんだか、非常にシンプルになった気がする。
肩の力も抜けて、楽に生きていけそうな予感。
神様から、素晴らしい4日間をプレゼントされました。Thank you,God!!
よぉーし、マダムJudyちゃん42歳、『自由自在に輝くJudy流美しく可笑しい人生』、そして、
『自由な彩りで美しいオーラを放つ私』をますます目指して頑張りまーす

「自由」な感覚を持つということは、レイ流に言うと、「自分を解放する」っていうことでしょうか???好きなことをやる、気持ちよいことをやる。ってことですかね。
ますます素敵になられた、JUDYさま。
あさっては、私たちの底力を
衣装のほうは、どうします???
まず、JUDYちゃんは、ピンクのビキニを下に着ておいてくださいね