3-11 東日本大震災のあのすざましい光景ををTVで視聴したおり、正直なところ「現代の地獄図」が描けると思った。
あの日より、新聞・写真集・ビデオ等を何度も見なおし構想を練た。
しかし、「現場に行ったわけではなく、描いてはなるまい。芸術的創作とは異なる」という、妙な遠慮というかヒキ目があった。
次々と報じられるその後の様子に、人様の目ではなく「スケッチ取材に行こうか」と思いもしたが、本質的に描きだす、絵にするということに迷いに迷い、獏とした構想だけであった。
9月下旬に私の創作活動をよく知る青年からの一言が、制作をしようという気にさせた。
その青年は、大震災早々にボランティア活動に参加し続け、想像を絶する光景と、彼の地の人々の心の暖かさに感動したという。
さらに「芸術家の目であの光景と、人々を描き出してほしい。龍さんだからこそ表現する世界が観たい!!」と。
その一言から突き動かされ「描き出す」という目的で、可能な限りの報道資料に目を通す。
あの日より、新聞・写真集・ビデオ等を何度も見なおし構想を練た。
しかし、「現場に行ったわけではなく、描いてはなるまい。芸術的創作とは異なる」という、妙な遠慮というかヒキ目があった。
次々と報じられるその後の様子に、人様の目ではなく「スケッチ取材に行こうか」と思いもしたが、本質的に描きだす、絵にするということに迷いに迷い、獏とした構想だけであった。
9月下旬に私の創作活動をよく知る青年からの一言が、制作をしようという気にさせた。
その青年は、大震災早々にボランティア活動に参加し続け、想像を絶する光景と、彼の地の人々の心の暖かさに感動したという。
さらに「芸術家の目であの光景と、人々を描き出してほしい。龍さんだからこそ表現する世界が観たい!!」と。
その一言から突き動かされ「描き出す」という目的で、可能な限りの報道資料に目を通す。