時々
舅の話
寡黙で愛想の無い舅が
海軍に行って教官とまで呼ばれていたのが
不思議でしようがないけど
自分の事はすべて自分でしていた
シャツの糊つけ アイロンボタンつけ ポケットをつけたり
ほころびを縫ったり
姑がなくなってからでも不自由することなく
ただ 不器用な事はそれ以上 草木や庭の手入れなど一切しなかったし
草の一本抜くことなかった
棚を作っても 机らしき台を作ってもカタンカタンと傾いていた
101才の舅は自分は98才と言う
100才超えたくないんでしょうかね
認知症になりデイサービスに通いだしてから
人懐こいおじいちゃんになり
お世話してくれる女性の介護士さんにはニコニコと素直に言うことを聞く
優等生です
そんな舅を見ていると父を思い出す
父は軽い脳梗塞になって入院まではしなかったけど
デイサービスに通いだした
頭の方はしっかりしていたので介護士さんのお世話ぶりに感謝して
同じ療育されている人を一人一人観察して日記に書いたり
いつの間にか見えなくなった人を案じて寂しがったり
最後までペンを握っていた
当然手も思うようには動かないので乱雑にメモしたものを
母が清書したりして私に送ってくれた
死後 兄が一冊の小雑誌に印刷してくれた
父は生まれつき足が悪く 戦争も行っていないけど
自分の夢をあきらめ 弟たちや家族のために働いた
生きざまは違うけど
同世代を生きてきた父と舅 年齢も2歳ほどしか違わない
私は18年ほどしか父と暮らしていない
でも舅とは20年以上も暮らしたのにいまだに何一つ歩み寄れない
他人は他人だ!
でも 長男の嫁として
何もわからない舅の事で喧嘩する必要もないから
義妹には協力するつもり
下の絵は父が元気で小説書いていたころ
世相を皮肉って書いたものを送ってくれた
今だったら会食してもやりあげられる時世
どんな絵を描いただろうか
と
ふと思う