RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

尻を焼く島での出会いはオロロン~。

2007-02-23 15:18:11 | こんなんどう?

(ウフッやっと蕾ふくらむ・・・右のは昨年のさくらんぼ)

花が咲きだす頃ふと思い出すのは北海道の焼尻島のことだ
アイヌ語のヤング・シリ(近い方の島)を語源とする焼尻島は
羽幌港からフェリーで約55分、高速船で約33分周囲12kmの小さな島。

花の島ともいわれる、近くの天売島は鳥の島、オロロン鳥がいる島
ペンギンが飛んでるとるるが思った、あのオロロン鳥です
焼尻島には天売島とは違って多種多様の植物が繁る自然林や、
数多くの小鳥たちの水飲み場にもなっている池、渓谷がある。
また春にはカタクリやエゾエンゴサク、夏にはエゾカンゾウ
エゾスカシユリなど多くの花々が咲き、豊かな自然が魅力的な離島です。
と紹介される島ですが、何故その島を思い出すかって?

るるが高校生の夏休みに同じ絵画部のりえ子ちゃんと2人で北海道の旅を
したのです、列車を乗り継ぎ、青函連絡船に乗り、また列車に乗って


先ずは焼尻島を目指したのでした、それと言うのもこの旅のコンセプトは
「北海道の牧場で働く」ってわけでした、半分働いて後の半分の日程で
そのバイト料で北海道をちょっと周遊するという計画でした
それでりえ子ちゃんの親の知人の知人が焼尻島で牧場をしているからと
いうので手紙を書いてもらって、二人は意気揚々と出発いたしました

羽幌港まで24時間以上かかってたどり着いたものの、その頃焼尻島への
連絡船は一日1本しかなく、今でも2本らしいが、とにかく、ついた時間が
遅かった
その日には乗れなかったから、目的地までほぼ2日かかってたどり着いたさ
あんたがたどこさ

そしてその島の唯一の旅館主がその牧場(めん羊)の持ち主でもあったので
旅館をたずねて行きました、もちろん働くのはOKでしたが、と、ところが
どっこい夏休みの時期は牧場の仕事はたいしてなくて、旅館のほうが忙しいから
旅館を手伝ってくれと言われ・・・我々のコンセプトは
はかなくも崩れ去ったのでした、そしてその旅館のお仕事は思った以上に
ハードハードでした。
なぜなら心臓破りの別館へ至る、急勾配階段が、天国への階段のように
連なっていたからです。

旅館の仕事は朝は朝食配膳、あとかたづけ、布団上げ、部屋の掃除
浴衣備品を各部屋へ配備、回収浴衣や帯の整理、ロビー玄関の掃除
昼休憩の後、夕食の配膳給仕、団体さんは大広間で家族は部屋食なので
この心臓破りの階段をお膳持っていったりきたりの汗汗の連続
そして布団敷きも忘れちゃならぬ、しかし時々お客さんからご祝儀を
貰うこともございます、う、嬉しい
風呂はおそ~イ時間にけっこう汚い、しまい湯に入り
夜は疲れてバク睡・・・修行じゃ~
それでも10日ほどがんばって働きつつ、慣れてくると従業員の人達にも
かわいがられ、うちとけて楽しく過ごしたのでした。

昼の休みに牧場や島を散歩したりも出来ました。
つり舟にも載せてもらい海の散歩も出来ました。
そして島を去る日も近づいたある夜に、りえ子ちゃんは言いました
「るるちゃん、わたしプロポーズされちゃったよ
「え?プロポーズ?って・・・結婚の?」
「うん板長さんによ」
「・・・・。」
「あの礼文島から来ている板長さん」
「あ。そ、それでなんて答えたと?」
「無理ですって」
「だよね」

という事件がありました、実話です。

そして二人は焼尻島と尻に火が点いた?板長さんに別れをつげたのです
その後、旭川へ行き、洞爺湖をさくらんぼ食べ食べ9キロ徒歩で回遊し
札幌にも行って珍來軒(ガイドブックの來來軒を探していったのだが)
で、まずいラーメンを食べて、また列車にのって、夏休みの旅を終えて
帰路に着いたのでした。


いつか北海道に行くことがあれば、ぜひにもう一度焼尻島に寄って見たい
と思っているわけです、ついでに天売島オロロン鳥も見に行きたい

そんな話を昔、自転車男と娘にしたら
「僕も大学時代自転車で日本1周した時、焼尻島へ行ったことあるよ」
と言っていたのを娘が何故かおぼえていて、今年の結婚記念日に
「おかあとおとうは北海道の島で出会ったんやろ?おかあが仲居さんして
働いてた旅館におとうが泊まりに来たんやったろ?」
「・・・
「どこでどうなってそんな話になったのよ」
「違うと?」
「違うわい
「前に聞いた話をごっちゃまぜにして、適当につくったやろ」
「え~ず~とそう思ってたのに
「もうありえん・・・て。」

てな会話がなされたのでした。
「なんで仲居さんや話作るなら、せめて美人女将と言ってくれ。」

そんな尻を焼く旅の話です。