RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

シラノか松五郎かカサノヴァかドンファンか・・・。

2007-02-25 15:56:18 | びっくり

(代名詞としての男前ドロン)

昨日の西日本新聞の第1面の第一記事は、な、なんと
「無法松モデルはシラノ」
というものだった、さすが西日本新聞じゃ~
九州は小倉の生まれよである。
小倉生まれで玄海育ち~の無法松がフランスの戯曲の剣客
「シラノ・ド・ベルジュラック」だったと言うわけだ、作者の岩下俊介氏
の3男が岩下氏の関連資料の雑誌のなかに「富島松五郎伝~無法松の一生」
の着想として「シラノ・ド・ベルジュラックの日本版をつくりたかった」と
インタヴューで答えていたと言う、日記にもシラノの映画を見て感心し
主演のピエトロマニエを称賛し、シラノの戯曲本も取り寄せて読んだことも
記されていたという記事だったよ。

無償の愛はフランスからか・・・たまたま昨日のテレビの深夜映画で
無償の愛とは、「ま逆のテーマ」のフランス映画
「カサノヴァ最後の恋」ってのがやってて、ついつい見てしまった
1992年のエヴァドゥール・ニエルマンス監督作
原作はアルトゥール・シュニッツラって人でアランドロン主演

~ダーバンセレレゴ~ンズデラモディ~アン~のアランドロンも72歳
この作品は16年前だから、えっと~56歳かな?たぶん
この映画の中のカサノヴァが何歳なのかでてこなかったけれど
20歳そこそこの娘に恋をする、見向きもされないし最後は思いっきり
コテンパンに振られて・・・だけど色事師カサノヴァの面目に掛けて
それで終わりにするわけにはイカナイ・・・。まあネタバレになるので
筋は置いといて、映画としてはこの18世紀のファッションや映像が
面白かったし綺麗だった、実際はこの時代は町は窓から汚物を捨てたり
川も垂れ流しで臭くて汚かったらしいが・・・。
まあ郊外の貴族の屋敷が舞台なので、その辺は出てこなかったが
この時代の貴族や金持ちの男達が、サロンやパーティーに顔を白塗りして
ほくろを描いたり口紅を引き、カツラをかぶり出掛けるのが
特に印象的ですごく喜劇的だった。

カサノヴァは実在するイタリア人で1725~98年に生きた人
世紀の漁色家といわれる冒険家で
「私はセックスのために生まれついており、できるだけ多くのセックスに
耽りたい」といったらしい、実際130人の女性と愛を交わしたが、
127人から被害届をだされたという、ださなかったのは3人よ
ふ~んそりゃつまり普通に性犯罪者じゃないかよ

モーツアルトがオペラ「ドンジョバンニ」を作曲してその台本というか
脚本を書いたダ・ポンテって作家が、近くにいたこのカサノヴァをモデルに
台詞を考えたっていうからね、ダ・ポンテは「回想記」で第2幕第1場・第14曲
「女は私にとってパンや空気より必要なものだ」とドン・ジョヴァンニが
従僕レポレッロに説く言葉は、さっきのカサノヴァの言葉からきたって言ってる。


ドン・ジョバンニはフランスの作家モリエール(1622~73年)が書いた
「ドン・ジュアン」(342年前1665年2月15日パレロワイヤル劇場で初演)
が、イタリアではドンジョバンニ、元々はスペインの放蕩貴族ドンホァン
英語ではドンファンだけどね、「ドン・ファン」ってジョニーデップの
映画は現代の話だったけど、空想青年の話だからね、でもスペインが
空想の話に出てきたよね?たしか。

るるが学生さんの頃にコメディーフランセーズという有名な劇団の
日本公演に連れて行ってもらったことがある、その出し物が
「ドン・ジュアン」だった、フランス語が解るわけないのですが
ちゃんと自動翻訳機とかってあったからOKでしたね。
でもその頃のるるには豚に真珠ってことで、ただぼーっと見ただけ
特に印象もないし、どんな舞台だったかもいまひとつ思い出せません。

モーツアルトが「ドン・ジョバンニ」をプラハで仕上げてプラハで初演
したって何かで読んだ覚えがあったんだけど
プラハに「ホテル・ドン・ジョバンニ」ってのがあるらしいよ
それにプラハの街はドン・ジョバンニが普通に歩いてても違和感のない
中世っぽい町並みだってよ、カサノヴァは「ドン・ジョヴァンニ」の
プラハ初演の時、観客の一人として観劇していたそうです。
ふ~むそりゃ見るよね。

無償の愛のシラノと松五郎
愛欲の人生カサノヴァとドンファン
みんな愛を求め続けていたけど
結局
本当には
愛されなかったともいえる人生よ
って
るるは思いましたけど
だからドラマチックだって思うのかも